4 楽園における人間

最初の人間は、ただよいものとして創造されただけではなく、創造主との親しい交わり、自分自身、また周囲の被造物との調和のうちに置かれていました。これ以上に優れたものは、ただキリストによる新しい創造の栄光だけです。

教会は、聖書の象徴的なことばを新約聖書と聖伝とに照らし合わせて権威をもって解釈し、人祖アダムとエバは原初の義と聖性の状態にあったことを教えています。この原初の聖性の恵みとは、神のいのちへの参与でした。

この優れた恵みのおかげで、人間は生活のあらゆる面で支えられていました。神との親しい交わりにとどまっていさえすれば、人間は死ぬことも苦しむこともなかったはずです。人問の内的調和、男と女との調和、そして人祖とすべての被造物との間の調和の状態は、「原初の義」と呼ばれています。

神が当初から人間にお与えになった世界の「支配」は、何よりも先に、ほかならぬ人間自体の中で自己支配の形で実現されていました。人間はその存在の全体にわたって完壁であり、秩序を保っていました。というのも、感覚的快楽、この世の富の所有欲、理性の命令に反する自己主張の三つの欲に捕らえられていなかったからです。

神との親密さのしるしは、神が人間を園に置かれたことにあります。そこで人間は「耕し、守る」(創世記2∙15)ために暮らします。この仕事は苦しみではなく、男と女が神に協力して見える被造界を完成させるという仕事でした。

神の計画によって人間のために備えられた原初の義によるこの調和全体が、やがて人祖の罪によって失われることになります。