3 「男と女に創造された」

男と女は神によって創造されました。すなわち、神は、お望みにより、男と女が、一方では人格として完全に平等であり、他方では男と女という違いを持つものとして造られました。「男であること」「女であること」は神が望まれたよいことです。男にも女にも譲りえない尊厳があり、その尊厳は創造主である神に直接由来します。男と女は、同じ尊厳を備えた「神の似姿」です。「男として」、また「女として」、両者とも創造主の英知と善を反映します。

神を決して男性のイメージで受けとめてはなりません。神は男でも女でもありません。神は純粋な霊で、そのうちに性別はありません。しかし、男と女の「美点」、たとえば、母親、父親、夫婦のそれは、神の無限の完全さのある側面を反映するものです。

神は、ともに造られた男と女とが相互のために生きるように望まれました。聖書のさまざまな表現を通して、神のことばがこのことを理解させてくんます。「人がひとりでいるのはよくない。彼に合う助ける者を造ろう」(創世記2∙18)。いかなる動物も、人にとってこのような「相手」になることはできません。神が男から抜き取ったあばら骨で女を「造り上げ」、男のところへ連れて来られると、男は感嘆の叫び、愛と共感の叫びをあげました。「これこそ、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉」(創世記2∙23)。男は、女が同じ人間でちるもう一人の「自分」であることを発見するのです。

男と女は「相互のために」造られました。しかし神は男と女を「半分半分の人間」、あるいは「不完全な人間」として造られたのではありません。神が男と女を造られたのは相互の交わりのため、お互いが相手の「助け手」となるためです。両者は人間としては平等であり(「わたしの骨の骨……」)、男生、女性としては補い合うものです。結婚で神は両者を結び合わせ、両者が「一体となって」(創世記2∙24)、人間のいのちを伝えることができるようになさいます。「産めよ、増えよ、地に満ちよ……」(創世記1∙28)。子孫に人間のいのちを伝えることにより、男と女は、夫婦として、親として、独自に創造主のわざに協力します。

神の意図によれば、男と女は、神の「協力者」として地を従わせる使命を持っています。この支配権は、横暴で破壊的なものであってはなりません。「存在するものすべてを愛される」(知恵11∙24)創造主にならって、男と女は、他の被造物に対する摂理に参与するように招かれています。したがって、神が自分たちにおゆだねになった世界に対する責任を負っています。