2 「肉体と霊魂から成っている一つの存在」

神にかたどって造られた人間は、肉体的であると同時に霊的です。聖書の物語はこの事実を象徴的なことばでこういい表しています。「主なる神は土のちりで人を形づくり、その鼻にいのちの息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2∙7)。したがって、人間のすべては神の意志のとおりにできたものです。

聖書がいう魂とは、しばしば人間のいのち、あるいは人間のペルソナ全体を示します。しかしまた、人間の内部のもっとも奥深いもの、もっとも大事なもの、すなわち、人間を特別に神の似姿にするものをも指しています。つまり、「霊魂」は人間の中の霊的原理を意味します。

人間の肉体は、「神の似姿」の尊厳にあずかります。それが人間の肉体であるのは、まさに、霊魂によって生かされているからです。人間の全体がキリストのからだに結ばれ、聖霊の神殿となるように召されています。 「肉体と霊魂が一つになっている人間は、肉体的な状況のもとでは物質界の諸要素を自己の中に集約しています。その結果、物質界は人間を通してその頂点に達し、人間を通して創造主の賛美を自由に歌いあげるのです。したがって肉体の生活を軽蔑することはゆるされません。反対に肉体は神によって造られ、最後の日に復活するものですから、善なるもの、栄誉に値するものとして取り扱わなければなりません」

霊魂と肉体とは根底から結びついているので、霊魂を肉体の「形相」というべきです。すなわち、物質から成る肉体は霊魂のおかげで、生きた人間のからだとなっているのです。人間のうちなる精神と物質とは結合した二つの本性ではなく、この結合によってただ一つの本性が形成されています。

教会の教えによれば、各霊魂は直接神によって創造されたものであって、親から「作られた」ものではありません。教会はまた、霊魂は不滅であると教えています。霊魂は死のときに肉体から分離しますが、消滅することなく、最後の復活のときに、再び肉体と結ばれます。

ときとして、魂は霊と区別されることがあります。たとえば聖パウロは、「主が来られるとき」、わたしたちの「霊も魂もからだも何一つ欠けたところのない」「非のうちどころのないものとして」保たれるようにと祈っています(一テサロニケ5∙23)。教会の教えでは、この区別は霊魂の中に二つのものを認めるということではありません。「霊」は人間が創造のとき以来、超自然的目的に向けられ、その魂は無償で神との交わりに高められることができることを意味しています。

霊性についての教会の伝統は心を強調しますが、その心とは聖書的な意味での「人間のもっとも深いところ」(エレミヤ31∙33参照)を意味しており、それによって人は神を受け入れるか拒否するかを決定することになるのです。