1 「神をかたどって」

「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」(創世記1∙27)。人間は被造物の中で比類のない地位を占めています。というのは、(1)「神にかたどって」造られ、(2)その独自の本性の中に、霊的世界と物質的世界とが一っになっており、(3)「男と女」に造られ、(4)神との親しい交わりにあずかれるようにしていただいているからです。

見えるすべての被造物の間で、ただ人間だけが「創造主である神を知り愛することができます」。人間は、「神が一そのもの自体のために望んだ一地上における唯一の被造物です」。人間だけが知と愛によって神のいのちにあずかるよう招かれています。人間はこの目的のために造られましたが、まさに、そこにこそ、人間の尊厳の基本的根拠があるのです。 「何が原因で、あなたは人間にこれほど大きな尊厳をお与えになったのでしょうか。それは、はかりしれない愛にほかなりません。その愛をもって、あなたはお造りになったものをご自分のうちに眺め、その愛のとりことなられました。実際、あなたが人間を造られたのは愛によってであり、また、人間をあなたの終わりない善を味わいうる存在になさったのも、愛によってです」。

人間一人ひとりは神にかたどられているので、ペルソナとしての尊厳が備わっており、単なる物ではなく、人格なのです。人間は自分を知り、自分を所有し、自分を自由に与え、他の人々と親しく交わることができます。また、人間は恵みによって創造主と契約を結び、自分に代わってだれも行うことのできない信仰と愛をもって神に応答するように召されています。

神は万物を人間のために創造なさいました。そして人間は、神に仕え、神を愛し、被造物のすべてを神にささげるために造られました。 「このような配慮に包まれて存在し始めるものは、一体何者なのでしょうか。人間です。人間は、神の御目には他のすべての被造物にまさって貴重な、偉大で感嘆すべき生きものです。天も地も海も、ありとあらゆる被造物が存在するのは人間のためです。神はこの人間の救いを最重要視されたので、人間のために御ひとり子さえ惜しまなかったほどです。実際、神は人間をご自分のもとに上げ、右の座に着かせようと、いつもあらゆる手段をとられたのです」。

「実際、人間の神秘は肉となられたみことばの神秘においてでなげればほんとうに明らかにはなりません」。 「聖パウロの教えによれば、人類の起源には二人の人がいます。アダムとキリストです……。聖パウロによれば、最初のアダムはいのちを受けた人間として造られましたが、最後のアダムはいのちを与える霊的存在です。最初のアダムは最後のアダムによって造くられ、そのかたから霊魂を受け、それによって生きています……。第二のアダムは第一のアダムを造りながら、ご自分の像を刻みました。ですから、第二のアダムは第一のアダムの役割を担い、その名を受け取りました。それはご自分にかたどってお造りになったものが滅びてしまわないようにするためでした。第一のアダムと第二のアダム、前者には始まりがありますが、後者には終わりがありません。本当は、第二のかたが第一なのです。第二のかたご自身、「わたしは最初の者にして、最後の者である亅とおおせになっているとおりです」。

起源が共通なので、人類は一つです。実際、神は「一人の人からすべての民族を造り出されました」(使徒言行録17∙26)。 「人類は神において起源を一にするとは、何というすばらしい世界観でしょう。……人類の本性は一つです。すなわち、肉体と不滅の霊魂とによって成り立っています。世界における直接の目的と使命は一つです。住まいも一つ、すなわちこの大地です。すぺての人間は自然法によって地の実りを利用し、いのちを養い、発達させることができます。超自然の目的も一つ、神ご自身で、人問はすぺて神に向かわなければなりません。この目的に達する手段も一つです。……キリストによって行われた贖罪のわざでも一つに結ばれています。」

「人類の連帯と愛」というこの法則は、個々人、文化、民族の豊かな多様性を排除することなく、人間は皆、真に兄弟姉妹であることをわたしたちに保証しています。