3「あるという者」である神は真理と愛である

「あるという者」である神はイスラエルの民に、ご自分を「いつくしみとまことに満ちた者」(出エジプト34∙6)として啓示されました。この二つの語に、神のみ名の豊かさが要約して表現されています。神はそのすべてのわざの中で好意といつくしみと恵みと愛とを示されますが、また、信頼性、不変性、忠実さ、真理をも表されます。「〔わたしは〕あなたのいつくしみとまことのゆえにみ名に感謝をささげます」(詩編138∙2)13。神は真理です。なぜなら、「神は光であり、神にはやみがまったくない」(一ヨハネ1∙5)からです。神は「愛」(一ヨハネ4∙8)です。使徒ヨハネが教えているとおりです。

「みことばの頭はまことです。あなたはとこしえに正しく裁かれます」(詩編119∙160)。「主なる神よ、あなたは神、あなたのみことばは真実です」(サムエル下7∙28)。したがって、神の約束はいつも果たされます。神は真理そのもので、そのことばは欺くことがありません。ですから、わたしたちはすべてのことにおいて、神のことばの真理と忠実さに、全幅の信頼をもって自分をゆだねることができます。人間の罪と失墜の始まりは、神のことば、好意、忠実さを疑わせようとした誘惑者の虚言によるものです。

神の真理は被造界全体の秩序を保ち、世界を治める知恵です。おひとりで天地を造られた神だけが、神とのかかわりの中で造られたすべてのものについての真の知識を与えることがおできになります。

神は、ご自分を啓示されるときにも真実です。神に由来する教えは「真理の教え」(マラキ2∙6)です。世に御子を遣わされたのは、「真理についてあかしをするため」(ヨハネ18∙37)でした。「わたしたちは知っています。神の子が来て、真実なかたを知る力を与えてくださいました」(一ヨハネ5∙20)。

イスラエルの民は歴史の中で、神が自分たちに自らを啓示し、すべての民の間から自分たちをご自分の民として選ばれた理由は、無償の愛以外には何もなかったということを悟ることができました。また、神が自分たちを救い、不忠実と罪をゆるし続けてくださったのも、愛によってであることを、預言者たちのおかげで悟ることができました。

イスラエルの民に対する神の愛は、子に対する父の愛にたとえられています。この愛は、幼子に向けられる母親の愛よりも強いものです。神は、花婿が花嫁を愛するよりも深くその民を愛されます。この愛は、もっともひどい不忠実に対しても揺らぐことがありません。そしてついには、このうえなく貴重なたまものをお与えになります。「神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3∙16)。

神の愛は「永遠」(イザヤ54∙8参照)です。「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしのいつくしみはあなたから移らない」(イザヤ54∙10)。「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなくいつくしみを注ぐ」(エレミヤ31∙3)。

聖ヨハネはさらに推し進めて、「神は愛です」(一ヨハネ4∙8,16)といっています。神の存在そのものが愛なのです。時が満ちて御ひとり子と愛の霊を遣わすことによって、神はご自分のもっとも隠れた内奥を示されます。神は永遠に父と子と聖霊の愛の交わりでありますが、その交わりにわたしたちをもあずからせようと、お決めになったのです。