4 創造の神秘

神は英知と愛によって創造される

わたしたちは、神が英知をもって世界を造られたことを信じます。世界は何かの必然、盲目的運命、または偶然によって現れたのではありません。世界は、ご自分の存在、英知、善に被造物をあずからせることを望まれた神の自由な意志から生じたことを、わたしたちは信じます。「あなたは万物を造られ、み心によって万物は存在し、また創造された」(黙示録4∙11)。「主よ、みわざはいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた」(詩編104∙24)。「主はすべてのものに恵みを与え、造られたすべてのものをあわれんでくださいます」(詩編145∙9)。

神は「無から」創造される

創造なさるために、神は前もって存在する何ものも、いかなる助けも必要とされないことをわたしたちは信じています。創造はまた、神の実体の必然的な流出でもありません。神は「無から」自由にお造りになられるのです。 「神が、世界をそれ以前に存在する素材から造り出されたのでしたら、何の不思議もありません。人間である職人でさえ、素材を与えられるならば、すべて望むままにそれを細工することができます。ところが、神の力が現れるのは、お望みになるすべてのものを無からお造りになるというところなのです」。

聖書において、「無から」創造されるという信仰は、約束と希望を豊かに含む教えとして示されています。たとえば、七人の息子の母親はその子らの殉教を励まし、こう語ったのでした。 「わたしは、お前たちがどのようにしてわたしの胎に宿ったのか知らない。お前たちに霊といのちを恵んだのでもなく、わたしがお前たち一人ひとりの肢体を組み合わせたのでもない。人の出生をつかさどり、あらゆるものに生命を与える世界の造り主は、あわれみをもって、霊といのちを再びお前たちに与えてくださる。それは今ここで、お前たちが主の律法のためには、いのちをも惜しまないからだ。……子よ、天と地に目を向け、そこにある万物を見て、神がこれらのものをすでに在ったものから造られたのではないこと、そして人間も例外ではないということを知っておくれ」(二マカバイ7∙22-23,28)。

無から創造することができる神は、聖霊によって罪びとたちのうちに清い心を造りながら、魂のいのちを与え、復活によって、死者たちにはからだのいのちを与えることがおできになります。神は「死者にいのちを与え、存在していないものを呼び出して存在させる」(ローマ4∙17)かたなのです。また、みことばによってやみに光を輝かせることのできた神は、ご自分を知らない人々に信仰の光を与えることもおできになります。

神は秩序あるよい世界を創造される

もし神が英知をもって創造なさるのであれば、被造物には秩序があるはずです。「あなたは、長さや、数や、重さにおいて、すべてに均衡がとれるようにはからわれた」(知恵11∙20)。それらのものは、「見えない神の姿」(コロサイ1∙15)である永遠のみことばのうちに、みことばによって造られたので、神の似姿として神との親しい交わりに召されている人間の用に供されています。神の知性の光にあやかる人間の知性は、神が被造物を通してわたしたちに語られることを理解することができます。いうまでもなく、それにはかなりの努力と、創造主とそのわざとを前にした謙虚さ、ならびに畏敬の精神を必要とします。神の善から生まれた被造物はその善にあやかります(「神は見て、よし、きわめてよしとされた」〈創世記 1∙4,110,12,18,21,31〉)。神は、被造物が人間のための贈り物、人間にゆだねられた遺産となることをお望みになりました。教会は、物質界のすばらしさをも含めて、被造物がよいものであることを、反対者に対して幾度も繰り返し弁護しなければなりませんでした。

神はご自分のすべてのわざより無限に偉大なかたです。その「威光は天よりも高く」(詩編8∙2参照)、「大きなみわざは究めることもできません」(詩編145∙3)。しかし、神は最高の、自由な創造主、存在するすべてのものの第一原因ですから、被造物のもっとも奥深いところに内在しておられます。「〔わたしたち〕は神の剌こ生き、動き、存在します」(使徒言行録、7.28)。聖アウグスチヌスのことばによれば、神は「わたしのもっとも奥深いところよりも奥深く、わたしのもっとも高いところよりも高く」おいでになるのです。

神が、創造の後、被造物を放棄することはありません。初めに存在を与えるだけではなく、一瞬一瞬その「存在」を支え、動く能力を与え、目的に導かれま丸創造主に対するこの全面的な依存を認めることは、英知と自由、喜びと信頼の源となります。

「あなたは存在するものすべてを愛し、お造りになったものを何一つ嫌われない。憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。あなたがお望みにならないのに存続し、あなたが呼び出されないのに存在するものが果たしてあるだろうか。いのちを愛される主よ、すべてはあなたのもの、あなたはすべてをいとおしまれる」(知恵11∙24-26)。