4 神のわざと三位一体の役割

「ああ、至福の光なる三位、ああ根源的一致!」。神は、永遠の至福、不死のいのち、消えることのない光です。神は愛、父と子と聖霊です。神は自由に、ご自分の至福のいのちの栄光を分かち合おうとしておられます。それは、愛する御子において世界創造以前から抱いておられた「秘められた計画」(エフェソ1∙9)です。この計画により、「イエス・キリストによって神の子にしようと、前もってお定めになったのです」(エフェソ1∙5)。すなわち、「神の子とする霊」(ローマ8∙15)によってわたしたちを「御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められ」(ローマ8∙29)たのです。この計画は、「永遠の昔にわたしたちのために与えられた」(二テモテ1∙9)恵みで、三位の愛から直接に出たものです。それは、創造のみわざ、人祖の失墜後の救いの全歴史、子と聖霊の派遣ならびにそれが永続される教会の派遣の中で展開されていきます。

神の救いの営みはすべて、三位の共同のわざです。三位には、唯一のまったく同じ本性しかないのと同じように、ただ一つの同じわざしかありません。「父と子と聖霊は被造物の三つの本源でなく、ただ一つの本源です」。そうでありながら、おのおののかたがそれぞれに固有の特性に従って共同のわざを行われるのです。ですから、教会は新約聖書に従い、「父である神は一つで、すべてはそのかたから出ている。主イエス・キリストは一つで、すべては彼によって成っている。聖霊は一つで、すべてはその中にある」と宣言します。神の三位の固有な特性を明らかにするのは、とくに受肉という御子の派遣と、たまものとして与えられる聖霊の派遣です。

聖三位の共同かっ個々のわざである神の救いの営み全体は、それぞれの特性と唯一の本性を知らせます。したがってキリスト者の全生活は、決して聖三位を分離することなく、聖三位のそれぞれと交わることなのです。御父の栄光をたたえる者は、御子によって聖霊のうちにそうするのであり、キリストに従う者は、その人を御父が引き寄せ、聖霊が動かされるので、そうするのです。

救いの営み全体の究極目的は、神によって創造された人々が至福である三位一体の完全な一致のうちに入ることにあります。しかし、わたしたちはすでに今、至聖である三位一体の住みかとなるよう招かれています。「わたしを愛する人は、わたしのことばを守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしはその人のところに行き、一緒に住む」(ヨハネ14∙23)、とキリストはいわれます。「ああ、わたしの神、わたしの礼拝する三位一体よ、わたしがまったく自分を忘れ、わたしの霊魂があたかもすでに永遠に住んでいるかのように、安らかに、静かに、あなたのうちにとどまるようお助けください。ああ、わたしの不変の神よ、何事もわたしの平和を乱さず、わたしをあなたから引き離すことなく、たえず、あなたの神秘の深みにいっそう深く分け入らせてください。わたしの魂を鎮め、これをあなたの天のみ国、あなたの喜ばれる住まい、あなたの憩いの場としてください。わたしが片時も、わたしの魂に住まわれるあなたを孤独にしておくことなく、すべてを挙げて信仰に目覚め、礼拝しつつ、あなたの創造のみわざにこの身のすべてをゆだねて、あなたとともにとどまりますように」。