7 要約

人間は死のとき、生者と死者との裁き手であるキリストが行う私審判で、自分の不滅の霊魂において、永遠の応報を受けます。

「〔わたしたちは〕キリストの恩恵をもって死ぬすべての魂が、死を超える永遠において神の民であることを信じます。これらの魂がその肉体と再び一致する復活の日に、死は決定的に征服されると信じています」。

「わたしたちは天国においてイエスとマリアとともに、集められた人々の群れが天の教会を形成していることを信じます。彼らがそこで永遠の幸福のうちに神をそのままに見、そしてそれぞれの形で、栄光のうちにキリストが行使される支配のもとに聖なる天使たちに結び合わされ、わたしたちのために執り成し、その兄弟的配慮をもってわたしたちの弱さを助けていることを信じます」。

神の恵みと親しい交わりのうちに死んでも完全に清められていなかった人々は、永遠の救いは保証されているとはいえ、神の喜びに入るために必要な聖性を得られるよう、死後、清めの苦しみを受ける必要があります。

教会は「聖徒の交わり」によって、神が死者たちをあわれんでくださるように願い、また、死者のために祈り、とくに聖なるエウカリスチアのいけにえをささげます。

教会はキリストに倣い、「地獄」とも呼ばれる悲しくて嘆かわしい永遠の死というものがあるということを信者に思い起こさせます。

人間は神と一致することによってのみ、創造された目的であり願望の的であるいのちと幸せとを得ることができます。地獄の苦しみの中心となるのは、この神との決別の状態が永遠に続くということです。

教会はだれ一人滅びることのないように、「主よ、〔わたしが決して〕あなたから離れることのないようにしてください」と祈ります。確かにだれも自分で自分を救うことはできませんが、これと同じく確かなことは、神は「すべての人々が救われること」(一テモテ2∙4)を望んでおられ、神には「何でもできる」(マクイ19∙26)ということです。

「すべての人は裁きの日に、自分が行ったことを報告するために自分の肉体をもってキリストの法廷に出頭することを、聖なるローマ教会は固く信じ、強く主張します」。

神の国は世の終わりに完成します。そのとき、正しい人々は肉体も霊魂もともに栄光を受け、キリストとともに永遠に統治し、物質界自体も一新されます。そのとき、神は永遠のいのちの中で「すべてにおいてすべて」(一コリント15∙28)となるでしょう。