6 新しい天と地の待望

世の終わりに、神の国は完成します。公審判の後、正しい人々は肉体も霊魂も栄光を受けてキリストとともに永遠に統治し、全宇宙が新たにされるでしょう。
「その教会は、天の栄光において初めて完成を見るのです。すなわち、万物の回復の時が来て、全人類とともに全世界一それは人間に密接に結ばれ人間を通して自己の目的に到達します一もまたキリストにおいてまったく建て直されるのです」。

人類と世界を変革するこの神秘的な刷新を、聖書は「新しい天と新しい地」(二ペトロ3∙13)と呼んでいます。それは、「あらゆるものが、天にあるものも地にあるものも、頭であるキリストのもとに一つにまとめられる」(エフェソ1∙10)という神の計画の最終的な実現です。

この新しい世界、天上のエルサレムで、神は人の間に住まわれます。そして、「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださ(います)もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦も(ありません)最初のものは過ぎ去ったから」(黙示録21∙4)です。

人類にとって、この完成は創造のときから神が定めておられた人類一致の最終的な実現で、旅する教会はこの一致の「秘跡のような」ものでした。キリストに結ばれた人々は、あがなわれた者たちの共同体、神の「聖なる都」(黙示録21∙2)、「小羊の妻である花嫁」(黙示録21∙9)を形づくります。この共同体はもはや、人間の地上における共同体を破壊し傷つける罪、汚れ、自己愛などによって損なわれることはありません。神が選ばれた人々にご自分を無限に示される至福直観は、幸福と平和と交わりの、尽きることのない泉です。

宇宙について、啓示は、物質的世界と人間との間に神の定めに基づく深い一体性があることを明らかにしています。
「被造物は、神の子たちの現れるのをせつに待ち望んでいます。……被造物も、いつか滅びへの隷属から解放される、という希望を持っています。……被造物がすべて今日まで、ともにうめき、ともに産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、霊の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、からだのあがなわれることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます」(ローマ8∙19-23)。

したがって、見える宇宙もまた一新されるよう定められています。それは、復活されたイエス・キリストに結ばれた人々の栄光にあずかることによって、「宇宙自体がその最初の状態に復帰して、もはや何の障害もなく、正しい人々に奉仕するため」なのです。

「わたしたちは地と人類の完結の時を知らないし、宇宙がどのように変えられていくのかも知りません。罪によって醜く変形した世界の様相は確かに過ぎ去ります。しかし、神によって新しい住居と新しい地が用意され、そこには正義が支配し、その幸福は人間の心にある平和への願望をすべて満たし、また超えるものであることをわたしたちは教えられています」。

「しかし、新しい地に対する期待は、現在この地を開拓する努力を弱めるものであってはならず、かえってそれを励ますものでなければなりません。この地上において、すでに新しい世をいくらか予表している新しい人類家族の共同体が育っています。したがって、地上の進歩は、キリストの国の発展とははっきり区別されなければなりませんが、人間社会の向上に寄与することができる限り、神の国にとっても重要なのです」。

「人間の尊厳、兄弟的交わり、自由など、すなわち人間の本性と努力のよき実りであるこれらすべての価値あることを、わたしたちは主の霊において、また主のおきてに従って地上に広めた後、それらをあらゆる汚れから清められたもの、光り輝くもの、変容したものとして再び見いだすでしょう。それはキリストが『永遠普遍の国』を父に返すときです」。そのとき、神は永遠のいのちの中で「すべてにおいてすべて」(一コリント15∙28)となられるのです。
「永続する真のいのち、それは御父にほかなりません。御父が御子によって、聖霊のうちに、万物に例外なく天のたまものを注いでくださいます。御父のあわれみのおかげで、わたしたち人間もまた、永遠のいのちの変わらぬ約束を受けました」。