5 最後の審判

「正しい者も正しくない者も」(使徒言行録24∙15)、すべての死者の復活が、最後の審判の前に行われます。そのとき、「墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行った者は復活していのちを受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来る」(ヨハネ5∙28-29)のです。そのとき、キリストは「栄光に輝いて天使たちを皆従えて来〔られます〕……すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置〔かれます〕……こうして、〔正しくない人たち〕は永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠のいのちにあずかる」(マタイ25∙31-33,46)のです。

真理であるキリストを前にしたとき、一人ひとりが神とどのようにかかわったかが明らかになります。最後の審判では、各自がそれぞれの生涯中に行ったよいこと、怠ったこと、またその最終的結果までが明らかにされます。
「悪人が行うすべての悪は記録されています。しかも、彼らはそれを知らないのです。神が黙しておられない日が来ます(詩編50∙3)。……キリストは左側にいる人たちに向かってこういわれるでしょう。わたしはお前たちのため、地上にわたしの哀れな貧しい者たちを置いた。わたしは彼らの頭であり、天で父の右に座していた。しかし、地上ではわたしの肢体が飢えていた。お前たちがわたしの肢体である人々に何かを与えていたなら、それは頭であるわたしに届いたであろう。わたしの哀れな貧しい者たちを地上に置いたとき、わたしは彼らを、お前たちのよい行いをわたしの宝庫に納めるための代理業者としたのだ。ところが、お前たちは彼らの手に何も預けなかった。だから、お前たちはわたしのもとでは何も持たないのだ」。

最後の審判は、キリストの栄光の再臨のときに行われます。御父だけがその時と日をご存じで、それを決定されるのも御父です。そのとき神は、御子イエス・キリストを通して、全歴史に対する決定的な宣告を下されます、わたしたちはそのとき、創造のすべてのわざと、救いの計画のすべての究極の意味を知ります。そして、摂理が感嘆すべき方法で万物をそれぞれの究極目的に導かれたことを理解します。最後の審判は、神の正義は被造物が犯したあらゆる不正に打ちかつこと、また、その愛は死よりも強いことを明らかにします。

最後の審判の教えは、神が人間に「聞き入れる時、救いの日」(ニコリント6∙2)をまだ与えておられる間に、回心するようにと促します。また、神への聖なる畏敬を起こさせ、神の国の正義を行うように促し、「ご自分の聖なる者たちの間であがめられ、また、すべて信じる者たちの間でほめたたえられる」(ニテサロニケ1∙10)ために来られるキリストの再臨の「祝福に満ちた希望」(テトス2∙13)を告知します。