3 最終の清め・煉獄

神の恵みと神との親しい交わりとを保っていながら、完全に清められないままで死ぬ人々は、永遠の救いこそ保証されているものの、死後、天国の喜びにあずかるために必要な聖性を得るよう、ある浄化の苦しみを受けます。

教会は、永遠にのろわれた人たちの苦しみとはまったく異なる、選ばれた人が受ける最終的浄化を、煉獄と呼んでいます。教会は煉獄に関する信仰の教えを、とくにフィレンツェ公会議とトリエント公会議で表明しました。教会の伝承では、聖書の若干の箇に基づいた、清めの火というものを取り上げています。
「ある種の軽い罪に関して、審判の前に清めの火があることを信じなければなりません。その根拠は、真理であるかたが、もしだれかが聖霊に対して冒漬のことばを口にすれば、この世でもあの世でもゆるされない、といわれたことにあります(マタイ12∙32)。このことばから、ある罪はこの世で、他のある罪はあの世でゆるされうる、と解釈することができます」。

この教えはまた、すでに聖書が述べている死者のための祈りの慣行にも基づいています。「そういうわけで、〔ユダ∙マカバイ〕は死者が罪から解かれるよう彼らのためにあがないのいけにえをささげたのである」(ニマカバイ12∙45)とあります。教会は当初から死者の記念を重んじ、死者のために祈り、とくにエウカリスチアのいけにえをささげていました。それは死者が清められて、神の至福直観に至ることができるためです。教会はまた、死者のために施し、免償、償いのわざを勧めています。
「死者を助け、追悼を行いましょう。ヨブの息子たちが父親のいけにえによって清められたのなら、わたしたちはなぜ、死者のための供え物が死者に何らかの慰めをもたらすことを疑うのでしょうか。ためらわずに、死んだ人々を助け、彼らのために祈りをささげましょう」。