2 天国

神の恵みと神との親しい愛のうちに死に、完全に清められた人々は、キリストとともに永遠に生きます。この人々は永遠に神に似た者となります。神を「ありのままに」(一ヨハネ3∙2)、「顔と顔とを合わせて」(一コリント13∙12)見るからです。
「わたしは、使徒的権威をもって次のことを宣言します。神がどのようなかたであるかを考えると、すべての聖人……や、キリストの聖なる洗礼を受けた後に死のときに清めるべきものを何も残さずに死んだ信者……、あるいは、死のときないし死後に清めるべき何かを持っていたとしても死後その浄化を終えた信者の霊魂は……、たとえ自分の肉体の復活や公審判の前ではあっても、救い主であるイエス・キリストの昇天以後は、これまでも、現在も、これからも、キリストとともにある天国、天の国、天上の楽園における、聖なる天使たちの交わりに受け入れられましたし、受け入れられていくのです。わたしたちの主イエス・キリストの受難と死以来、このような霊魂は、いかなる被造物の仲介もなく、顔と顔とを合わせて神の本性を直観しましたし、また直観するのです」。

至聖三位一体とともにあるこの完全ないのち、また至聖三位、おとめマリア、諸天使、諸聖人とのこのいのちの交わりが、「天国」と呼ばれます。天国とは、人間の究極目的、その内奥にある願望の実現であり、この上ない至福の状態なのです。

天国で生きるとは、「キリストとともにいる」ということです。選ばれた人々は「キリストのうちに」生きるのですが、キリストのうちに真の自分という存在を、つまり自分の固有の名前を確保します。いや、むしろ見いだすのです。
「いのちとは、キリストとともにいることです。キリストのおられるところ、そこにみ国があるからです」。

イエス・キリストは、死と復活とによって、わたしたちに天国を「開かれました」。至福者たちのいのちは、キリストが成し遂げられたあがないの実を余すところなく享受することにあります。キリストは、ご自分を信じ、み旨に忠実であった人をご自分の天上の栄光に加えられます。天国とは、キリストに完全に合体したあらゆる人のこの上なく幸せな共同体なのです。

神との幸せな交わり、キリストに結ばれたすべての人との幸せな交わりの神秘は、理解と想像をはるかに超えるものです。聖書はこれについて、いのち、光、平和、婚礼のうたげ、王国のぶどう酒、父の家、天上のエルサレム、楽園などの表象で語っています。「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神はご自分を愛する者たちに準備された」(一コリント2∙9)。

神は超越的存在ですから、ありのままに見ることができるのは、ご自分の神秘を自ら人間に直接にお見せになるとき、また、その能力を人間にお与えになるときだけです。天上の栄光に包まれた神を観想することは、教会によって「至福直観」と呼ばれています。
「あなたの栄光、あなたの幸福は何とすばらしいものでしょう。あなたは、神を見ることをゆるされ、あなたの神である主キリストのおそばで救いの喜びと永遠の光とにあずかる光栄を受け、……天の国で正しい入々、神の友である人とともに、あなたの獲得した不死の喜びを味わうでしょう」。

至福者たちは天の栄光のうちにあって、他の人々や全被造物に対する神のみ旨を喜んで果たし続けます。彼らは、すでにキリストとともに統治しており、キリストとともに「世々限りなく統治する」(黙示録22∙5)ことになるのです。