聖母マリアへのまことの信心 8章 聖母に対する内部的信心の実行

みじかく、まとめています。外部的信心は、ここでは記していません。

聖母に対する内部的信心の実行

内的信心業を、簡単に言えば、自分の行いのすべてを、イエズスによって、イエズスと共に、イエズスにおいて、イエズスのためにもっとも完全に行うために、マリアによって、マリアと共に、マリアにおいて、マリアのために行うことである。 

A マリアによって 

自分のすべての行いを、マリアによって行わなければならない。(マリアによって、導かれ、行動する)

万事において聖母に服従し、神の霊であるマリアの霊に導かれなければならない。

聖母への信心を持っている者もたくさんあるが、

マリアの霊によって導かれ、行動している者だけが、まことの忠実な信心家である。

マリアの霊は、神の霊である。それはマリアが、一度も自分の霊によって行動せず、いつも神の霊によって動いているので、ちょうど、「神の霊がマリアの霊となる程だ」と言えるからである。

霊魂が、マリアの霊によって導かれるためには、次のようにしなければならない。 

何かを始めるとき、それを行う前に、自分自身の霊と意志とを、全く棄てる

なぜなら、私たちの闇の霊、私たちの意志と行いとは、どんなによく見えても、マリアの聖なる霊を妨げるからである。

②聖母の思いのままに導いていただくために、マリアの霊に自分を委ねる。

自分を、清らかなそのみ手の中に置かなければならない。

ちょうど、労働者の手中にある道具のように、名演奏家の手にあるリュートのように、海に投げ込もうと握られた石ころのように。

短時間で、ざっと精神を見回し、ちょっとした意志の働き、あるいは簡単な言葉で、

例えば、

「私は、自分を棄てます、私をあなたに与えます、愛するおん母よ」ということによって、それを行うのである。

この一致の行いによって、感情的な喜びを感じなくても、まことに一致したことになるのである。

何かの行いをしている時に、あるいはした後で、奉献と一致との行いを繰り返す

そうすればする程、いよいよ早く完徳に至り、いよいよ早くイエズス・キリストと一致するに至るだろう。

この一致は、常に必ず、マリアとの一致に連なっているのである。つまり、マリアの霊は、イエズス・キリストの霊だからである。

 

B マリアと共に 

何をするに当たっても、マリアと共にしなければならない。

事に当たって、マリアは聖霊が人間において作られた完徳のモデルであることを考えよ。

つまり、

事をする場合、マリアはこれをどうしたであろうか、あるいは、私たちの位置にあったら、マリアはどうするであろうかと考えよ。

そのためには、聖母の偉大な聖徳を黙想しなければならない。

とくに、 

①ためらいもなく神のみ言葉を信じ、カルワリオ山上の十字架の足元まで、絶えず信じてつき従ったその生きた信心を。 

②片隅にあって沈黙させ、すべてに服従させ、最後の席につこうとなさったその深い信仰を。 

③天の下に、存在したこともない、また存在し得ないであろうその神々しい清らかさ、そしてそれ以上のすべての徳を。

少ない費用と短い時間とで、神の面影をつくることのできる偉大な神の鋳型はマリアであることを、もう一度考え直してほしいのである。

この鋳型に流し込まれるものは、そのまま、イエズス・キリストに変化させられるということを。 

C マリアにおいて 

自分の行いのすべてを、マリアにおいてしなければならない。

※「において」:動作・作用の行われる時・場所・場合を表す。

例文:「パリにおいて外相会議が開かれる」。

聖なる教父たちは、マリアを、次のように言っている。

  1. マリアは、イエズス・キリストが入って、そして世に出た「門」である。イエズス・キリストは、マリアを通してこの世に来られた。
  2. マリアは、神性の至聖所、三位一体の休みどころ、新しいエデンである。「いと高きもの」は、その栄光の玉座をマリアに置き、そこに止まりになっている。
  3. マリアは、「閉じられたもの」「封じられたもの」である。この新しいエデン(マリア)は聖霊が絶対的な主人として守られている。アダムとエバの子孫である私たちは、聖霊の恵みなしには、ここに入ることはできない。

したがって、

「自分の忠実を見せて、新しいエデン(マリア)に入る恵みを得たならば、

私たちは、

  • 喜んで、そこに入る
  • 平和に憩う
  • 信頼をもってとどまる
  • 安心して隠れる
  • 遠慮なく身心を投げかける

このようにすべきである。」

霊魂はもう、マリアのうちにおいて、悪魔と世間と罪とを恐れる必要がない。

聖母によって事を行うものは、「罪を犯さないだろう」とあるが、

聖母の内に住むものは、大罪を犯さないであろう。 

マリアのうちにとどまるのは、

霊魂がイエズス・キリストにおいて作られ、イエズス・キリストが、その霊魂の中に作られるためでもある。

聖母のふところは、イエズス・キリストと、選ばれた人々とがつくられた神の神秘の部屋である。 

D マリアのために 

何をするに当たっても、マリアのためにしなければならない。

自分のすべてを捧げたからには、給仕として、しもべとして、奴隷としてすべてをマリアのためにしなければならないはずである。

それは、マリアを最終的にして奉仕するわけではなく、—最終目的はイエズス・キリストだけである。—手近な目標として、神秘的な中間として、目的に達するための容易な手段として、奉仕するのである。

忠実なしもべは、怠惰ではない。マリアの保護にもたれつつ、大事業を企て、かつ遂行しなければならない。

聖母の特権が議論の的となっている時には、それを守って立たなければならない。聖母の栄光が非難されている時には、それを守って戦わなければならない。

できれば、すべての人々をマリアへの奉仕に呼び寄せ、まことの信心に入らせなければならない。この信心を軽蔑して、おん子を侮辱するものがあれば、糾弾の声を上げなければならない。

そして、そういう小さな奉仕の報いとしてマリアに切に願うべきは、この愛すべき姫君のしもべ一人として止まっていることのできる名誉と、時間と永遠とにおいて、イエズスとマリアとに固く固く結びつき得るという幸福だけである。