聖母マリアへのまことの信心 7章 この信心が忠実な霊魂にもたらす不思議な効果

短く、まとめています。

この信心が、忠実な霊魂にもたらす不思議な効果

自分の腐敗と無能を知ることが出来る

この信心がもたらす効果として、

聖母マリアによって与えられる光によって、

「あなたは、

  • 自分の心の奥底は腐敗している
  • 自分だけではどんな善も行えない無能者である

ことを知るようになるだろう。」

そのために、自分を嫌悪し、軽蔑するようになるに違いない。

そして、謙遜なマリアから分け与えられた謙遜によって、

他人を軽蔑せず、自分を軽蔑し卑下することだけを好むようになるだろう。 

マリアの信仰にあやかることができる

この世に生きておられた時の、マリアの信仰は、すべての太祖、預言者、使徒、聖人たちの信仰よりも、偉大であった。

あなたは、その信仰にあやかることができる。

※あやかる:影響を受けて同様の状態になる。感化されてそれと同じようになる。

あなたが、おん母に、気に入られれば入られるほど、

「あなたの信仰は、

  • 純粋な信仰
  • 感覚的なことや、何か変わったことのために動じない清い信仰
  • 愛徳によって生きる信仰
  • 勇敢な信仰

となるであろう。」

「そうなれば、あなたは、

  • 純粋な愛徳のためだけに行う。
  • あなたはもう、どのような困難にもびくともしなくなる。
  • 神の栄光と隣人の救いのために、あなたに、大事業を企てさせ、そして成功させる。

ようになるだろう。」

清い愛の恵み 

「おん母は、次のように計らわれるであろう。

  • あなたの心にある小心と奴隷的恐怖心とから解放する。
  • 神の子としての聖なる自由をもって、おん子の掟を実行するようにする。
  • あなたの心に清い愛の宝を入れられる。」

「こうなると、あなたは、神に対して

  • 恐怖心をもつことなく、愛である神を父と仰ぐ
  • 神に気に入られるように努力する
  • 信頼をもって話しかける

ようになるだろう。」

「そして、不幸にも、神を侮辱することがあっても、

あなたは、

  • すぐ自分を卑下し、謙遜に赦しを願う。
  • 神に助けを求め、心配も迷いもなく再び立ち上がる
  • 失望せずに神のほうへ歩み続ける。

であろう。」

これらの場合に、いつも、よいおん母マリアを仲介とし、弁護者とするなら、

マリアは、その愛と信頼とを、あなたに勧めるであろう。 

神とマリアとに対する完全な信頼


聖母は、神とご自分とに対する大きな信頼をもって、あなたを満たしてくださるであろう。つまり、 

  1. イエズス・キリストに対して、あなたは、自分自身を通して近寄らず、つねにマリアを通して近づくからである。
  2. 聖母に、その思し召しのままに、功徳、恵み、罪の償いを処分してくださるように捧げたからには、聖母は、ご自分の徳を分配し、ご自分の功徳を、あなたに着せられるであろう。そして、あなたは、信頼をもって、次のように神に言うことができるであろう。「私は主のはしためです。あなたのお言葉の通りになりますように!」。 
  3. 誰よりも寛大なマリアは、体と霊魂とをすべて捧げたあなたに対して、まことに不思議な方法で、ご自分を与えられるであろう。ここにおいてあなたは、大胆に、こう言い切れるであろう。「私は、あなたのもの、どうぞ救ってください」。また、愛弟子ヨハネと共に、「聖なるおん母よ、私はすべての宝として、あなたを引き取りました」とも言えるであろう。
  4. あなたは、聖母に持っている良いものをみな保管して下さるように委ねたのであるから、これからは、自分に信頼を置かず、あなたの宝である聖母に対して、より大きな信頼を持つようになるだろう。神が、そのもっとも貴重なものを入れた神の宝であるマリアが自分の宝でもあると言える霊魂にとって、どれほどの慰めであり、頼りであろう。「聖母は、神の宝である」と、ある聖人は言ったのである。 

マリアの霊と精神にあやかること

もしこの信心に忠実であるなら、

  • 聖マリアの霊は、主をほめたたえるために、あなたの心にくだるであろう。
  • 聖なるマリアの精神は、救い主である神において喜ぶために、あなたの心に入るであろう。

そして、あなたは、次のように望むであろう。

「マリアの霊は、主を賛美するために、すべての人に宿るように!」。

マリアの精神は、神において喜びに喜ぶために、すべての人々に宿るように! 

マリアは、忠実な霊魂に、イエズス・キリストを実らせる

生命の木であるマリアが、忠実な信心によって、霊魂に養われているなら、適当な時期に実がなるであろう。

その実とは、イエズス・キリストである。

私が教えるこの信心によって、マリアの汚れない道をとれば、迷うことなく、そして他の信心と比べ、少ない働きで、イエズスと一致することができる。

マリアは聖なる所であり、至聖所である。そこにおいて、聖人は鋳造される。 

槌とのみとで彫刻するのと、鋳造するのとでは、大きな違いがある。槌とのみとで彫刻するには、大変な労力と時間がいるが、鋳造すれば、労力も少なく、時間も少なくてすむ。

聖アウグスティヌスは、聖母のことを「神の鋳型」と言っている。それは神の類型をつくる鋳型である。この鋳型に流し込まれると、すぐ、イエズス・キリストにおいて形づくられ、また、イエズス・キリストが、その人のうちに形づくられる。

費用も少なく、労力も少なくして、神に似たものが出来上がるのである。なぜなら、神であるイエズス・キリストをつくった同じ鋳型に流し込まれたからである。 

ここに教えた信心以外の方法で、自分をあるいは他人を、イエズス・キリストに一致させようとする信心家あるいは霊的指導者は、自分たちの技術によって、固い石や、でこぼこの荒木に、槌とのみで、イエズスの姿を刻もうとする彫刻家である。

その人たちは、イエズス・キリストをよく知らないか、あるいは経験の不足か、あるいは技術がまずいために、そのみ姿を再現できない場合がしばしばある。

それに反して、この恵みの秘訣を行う人たちは、神であり使徒であるイエズス・キリストを形づくったマリアという鋳型を見つけ、自分自身の技術ではなく、その鋳型の見事さに信頼をかけて、イエズス・キリストを再現するためにそこに流し込む鋳物師に例えてよい。 

おお、何という美しい例えであろうか?しかし、これを理解できるものは誰か?それが私の愛する兄弟よ、あなたであることを、私は切に望んでいる。ところで、鋳型には、溶かされて液体となったものだけが流し込まれることを忘れてはならない。つまりマリアによって、新しいアダムとなるためには、あなたの古いアダムを殺し、溶かさなければならない。 

神の最大の栄光

この信心を、もしも忠実に一カ月間守るなら、他のこれよりも難しい信心を、何年も続けるよりも、神に栄光を与えることができるであろう。

その理由は、次の通りである。 

この信心によれば、あなたは、全てを聖母を通して行うのであるから、自分自身の意向と行いとを脱ぎ去り、聖マリアの意向と行いの中に身を投げて、それを分け持つのである。

マリアの意向というのは、言語に絶する純なるものであって、ごく小さな行いでさえも、その他の聖人たちの英雄的な行い以上に、神に栄光を与えることができたのである。

だから、この世に生きておられた間の聖母は、充ち満ちると言っても及ばない、絶大な恵みと功徳とを得たのである。

②忠実な人々の霊魂は、この信心を行うことによって、自分の考えや行いを無と見なし、イエズス・キリストに近寄って話しかけるために、マリアの意向だけに信頼を置くのである。

したがって、この人々は、無意識にしろ、いくらかの自愛心と自尊心とを保っている人々よりも、謙遜なわけである

そのために、謙遜な小さな人々によって栄光を受けられる神に、より大きな栄光を与えるわけである。 

③愛に満ちあふれるマリアは、ご自分のおとめとしてのおん手に、私たちの贈り物を受け、それに、言い表し難いほどの、美と光とを添え、何の困難もなく、これをイエズス・キリストに取り次がれるのである。

したがって、マリアの御手によって捧げるなら、私たちが、犯罪の手で捧げるより以上に神に栄光を与えるわけである。 

あなたがマリアのことを考えれば、マリアは、あなたに代わって神を考え、あなたがマリアを賛美すれば、マリアは、神を尊ばれる。

私たちが「マリア」と言えば、マリアは「神」と答える。聖女エリザベットが、信じたために祝されたものとしてマリアを賛美したとき、神の忠実な「こだま」であるマリアは答えて、「私の魂は主を崇めます」と唱えたのであった。

マリアの行いは、今も、その時と同じである。マリアが称賛され、愛され、尊ばれ、何か捧げものを受けるなら、つまり神が称賛され、愛され、尊ばれ、捧げものを受けられるのである。

私たちは、マリアを通して、マリアにおいて、神に捧げるのである