短くまとめています。
聖母マリアへのまことの信心の本質は、マリアを通して、イエズスへ、自分を完全に捧げることである
「私たちの完徳は、
- 私たちは、すべてにおいて、イエズスと一致する
- 私たちのすべてを、イエズスに奉献する
ことにある。」
「したがって、信心としてもっとも完全なものは、
- 自分をイエズス・キリストに一致させる
- 自分をイエズスに完全に奉献させる
ものでないといけない。」
被造物の中で、イエズス・キリストともっとも密接に一致するのは、マリアである。
したがって、
私たちの霊魂を、主イエズスにもっとも完全に一致させるのは、おん母マリアに対する信心である。
すべてを完全に捧げること
この信心は、マリアを通して、イエズス・キリストのものとなるために、自分自身のすべてを、聖母に与えることにある。
聖母にささげるもの
1、私たちの体とその機能と器官のすべて
2、私たちの霊魂とそのすべての機能
3、私たちの外部的善、つまり、現在と未来との財産
4、私たちの内部的善、つまり、私たちの功徳、徳、過去、現在、未来のすべての善業
2、私たちの霊魂とそのすべての機能
3、私たちの外部的善、つまり、現在と未来との財産
4、私たちの内部的善、つまり、私たちの功徳、徳、過去、現在、未来のすべての善業
「要するに、私たちが
- 今、所有するすべてのもの
- 将来に、所有するであろうすべてのもの
これらを、完全に余すところなく捧げるのである。」

善業による償いと功徳を、聖母にまかせる
「私たちの行う善業には、
- 償いの価値(罪を償い、恩恵を得る価値あるものとしての善業)
- 功徳になる価値(恩恵、永遠の栄光に値する善業)
とがある。」
聖母へのこの信心では、善業による償いと功徳とを、聖母にまかせるのである。
「聖母は、それらを、
- 私たちの中に保たせ、増加させ、装飾される
- 神のより大いなる栄光のために、適切に、望みの人にそれを分けられる
のである。」
すべては奉献され、聖別される
この信心によれば、すべてを、マリアの手を通して捧げるのであるから、
他のどんな信心業よりも多く、イエズス・キリストに与えることができる。
他の信心業は一部をささげるだけである。
この信心業によれば、すべてが奉献され、聖別される。

マリアを通して、自分自身のすべてを、イエズス・キリストに捧げた人に、
自分の善業の価値を、勝手に処分することはもうできない。
この人が忍ぶ苦しみ、その抱く考え、行いかつ話す善は、
もはや、すべて、マリアのものである。