シスターコンソラータ、「最も小さい愛の道」8章から抜粋

イエズスは、コンソラータに、愛の祈りをお教えになる

日常生活のすべてを、愛と信頼の心をもって神にささげることは、私たちにとって、大切である。

日常生活において、心を散らさずに神と一致するために、短く、わかりやすい祈りの言葉を用いることは、大きな助けとなる。

イエズスは、コンソラータに、愛の祈りを教え、絶え間なく神を愛し、その祈りを絶え間なく神にささげるように要求された。

そのときから、愛の祈りを絶え間なく祈ることが、コンソラータの信心生活の中心となった。

(愛の祈り)「イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救ってください」

この短い言葉のなかに、イエズスへの愛、マリアへの愛、霊魂への愛を、含んでいる。

この祈りで、人は、神に、愛を表明する。

煉獄の霊魂をも含むすべての霊魂を救うため、イエズス、マリアと協力することを表わす。

愛の祈りを絶え間なく祈ることで、神の第一の掟である「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(マルコ12・29、30)を守ることになる。

「心を尽くし」とは、心の中心に愛を置くことである。

「精神を尽くし」とは、自由意志は、あらゆる無益な思いを遠ざける。

「思いを尽くし」とは、感情ではなく、強い意志によって、絶え間なく愛の祈りをとなえる。

「力を尽くし」とは、神を愛するために、なしうる限りの努力をすることである。

この祈りを、絶え間なく祈ることで、「絶えず祈れ」と、イエズスが命じられたことに従う。 

この祈りを、絶え間なく祈ることで、自分に打ち克ち、完全な自己放棄を行い、純粋な愛で神を愛し、人々の救霊のために働くことができるようになる。

絶え間ない愛の心とは

愛の祈りによって、日常生活の中で、愛の心を起こす

神の愛を「起こす」とは、単に愛の祈りを普通の射祷のようにたびたび唱えることではない。

※「起こす」:①ある気持ちや意を、心の中に生じさせること。②今までなかったものを新たに生じさせること。

イエズスは、生活の中で、絶え間なく神への愛を起こすための容易な方法を、教えてくださった。 

この容易な方法を用いて、絶え間なく神の愛を起こすことが、霊魂の呼吸となるように、意志を用いて努力しないといけない。 

愛の祈りをとなえられないとき、愛の心を起こすことを続ける。

「コンソラータ、私があなたの考えとことばの責任をとってきたように、愛の祈りにも責任をもってあげよう。あなたが私に他の祈りをする時も、書く時も、黙想している時も、愛の心は絶え間なく続いている。心はその時、ことばとして愛の祈りを唱えられなくとも、祈り、働く時間を、絶え間ない愛の心の続きとみなしてあげよう。」

仕事、務めによって、愛の祈りが祈れないときには、それらの許す限り、愛の心を起こし続ければ、仕事、務めの妨げにならない。

共同での祈り、黙想においても、仕事や務めのときでも、人と接しているときでも、精神を全部集中しなければならない仕事をしても、絶え間なく、愛の心は起こすことはできる。

絶え間ない愛の心で、神を愛する

「もし善意に満ちた人が、私を愛し、生涯を唯一の絶え間ない愛にしたいと望み、起床の瞬間から眠るまで、心底から、愛の祈りを実行するよう励んだならば、その霊魂のため、私は信じられないほどの偉大なことをするだろう。」 

まず心の底から愛することが必要である。そして愛したいと望み、愛の心を続けるための努力が大切である。

愛の祈りは、霊魂が愛に集中できるように助けるものである。

絶え間ない愛とは、心の底から愛し、愛したいと望み、愛の心を続けるために努力することである 。

絶え間ない愛のよって神を愛し、神に全く自己をささげるに妨げとなるすべてを遠ざける時、人は常に完全に愛する。

イエズスは、愛の祈りを、絶え間なくとなえることを要求される

イエズスは、コンソラータに、愛の祈りを絶え間なくとなえることを、数えきれないほど何度も、要求された。

イエズスは、絶え間く愛の祈りをとなえることによって、すべての妨げ、あらゆる欲望、あらゆる欠点が根こそぎされるだろうと保証された。

愛の祈りをとなえるとき、神を愛することに妨げとなるすべてを退けながら祈ることが求められる。

このことを絶えず行うことは、きわめて難しいことである。しかし、これを続けることによって、自己放棄が容易になる。

霊魂が、英雄的な自己放棄に達すると、イエズスはなんの障害もなく霊魂の中で、主権者として働くことがおできになる。

「あなたの自己放棄のうえに私はすばらしいことを行なう。自己放棄にはどうしたら達しられるだろうか? 絶え間ない愛の祈りによって! 絶え間ない愛の祈りによってあなたのものは何もなくなり、すべてが私のもの、私のためだけのものとなる!」

愛の祈りは気分に関係なく、愛を少しも感じなくても、誘惑と戦っていても、変わらず忠実に続けなければならない。それは本性に反する必死の努力を要する。

「コンソラータ、悪魔や、情欲がありとあらゆる攻撃を試みても少しもかまわない。雷鳴、嵐、雷光など気にかけてはならない。自分にいいきかせなさい、『私はあるご聖体拝領から次のご聖体拝領まで、決して落胆せず愛の祈りを続けます。それこそ私の義務です』と。」

「旗手は軍旗を愛さなければならない。旗が決して敵の手に落ちないよう、何がなんでも守り、旗のもとに生き、旗を胸にしっかり抱きしめて死ぬ。あなたも『絶え間ない愛の祈り』の旗をそのとおりにしなさい! どんな必死の努力を要しても決してやめず、絶え間なく愛の祈りを私にささげなさい。」

人間的弱さのため、愛の祈りを時にやめても、決して落胆せず、愛の祈りを再開する。

そして、全力を尽くして、固い意志をもって、悪の誘惑や反対と戦いながら、絶え間なく愛の心を起こすよう努力する。

「最高度まで奮励努力しなさい。ただひとつの愛の祈りもおろそかにしないと、断固として決心しなさい。愛の祈りがとぎれても勇気を落とさず、また新たな努力をもって戦闘を開始しなさい!」

イエズスの全能であられ、絶え間なく祈ることが出来るように助けて下さることを信じる

「あなたが私の全能を信ずるなら、絶え間なく愛の祈りを唱えることができるよう私があなたを助けてあげることも信ずるだろう。」

コンソラータの使命の成就は、愛の祈りを忠実に唱えるかどうかの一点にかかっていた。

「あなたの使命のため、イエズスが要求しているだけのことを、あなたはイエズスに与えねばならない。すなわち愛の祈り。それが全部である。そしてこの絶え間ない愛の祈りに全部がかかっている。」

イエズスが望みたもうのは人間の努力だけで、その努力によってイエズスは満足したもうのである。

成功、不成功は、イエズスの御助けにかかっている。だからイエズスはコンソラータに力の限りまで努力すること、それ以上は望みたまわなかった。

「私に絶え間なく愛の祈りをささげるよう自分のできるかぎりを尽くしなさい。失敗しても私が償ってあげるから安心しなさい。」

「あなたが戦い、転び、また立ち上がり─つまり努力しているのを見ることは私の喜びである。あなたがどれくらいやれるかをみるのが好きだ。とりわけ、あなたが、たとえ何が起ころうとも、泰然自若として起き上がり、また愛の祈りを続けることを見ることが私の一番の喜びである。」

この愛の祈りに霊魂の総力を瞬時の休みもなく打ちこむことは、真にすべてを(とりとめない無益な思いのひとつすら)打ちくだかないといけない。これは言語に絶する十字架である。

この困難な道を進むコンソラータを勇気づけるため、イエズスは過去、未来のことを思わず、ただ現在の瞬間、愛をもって生きるよう勧められた。

「目前のその一瞬間を愛をもって生きなさい!一日ではあなたに長すぎるから!」

イエズスの望みは、私たちがイエズスを愛することである。

私の望みはただひとつ──私を愛してくれること!

愛の祈りを絶え間なくとなえることで、イエズスと共に、無数の霊魂を救うことができる 

愛は使徒職の最も効果的方法である

十字架上のイエズスが、過去、現在、未来にわたって、血のいけにえなるご苦難の無限の功徳によって、霊魂を救い続けたもう。

イエズスの恵みによって私たちは、救霊の協力者となるが、それもイエズスを愛し、イエズスと一致する度合いに比例して協力する。

イエズスに対する愛なしには、私たちの努力は全然価値も効果もない。

コンソラータは、神と霊魂に対する愛に燃えていたがために、イエズスとともに無数の霊魂を救うことができた。

純粋な愛の最も小さなひとつでも、神のみ前に、外部的なわざのすべて(例えば説教、苦業、教理の教授など)を足したよりも、教会と霊魂にとって効果的である。

愛は使徒職の最高位、かつ、最も効果的な方法である。

したがって、コンソラータは、絶え間ない愛によって、最も絶え間なく使徒職に尽くしたわけである。

「ただひとつの愛の祈りによってひとりの霊魂の永遠の救かりが決定されることをよく覚えなさい。ひとつひとつの愛の祈りが、ひとりひとりの霊魂の救いをきめるのだから、一度でも怠けて、『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救ってください。』と祈ることを怠れば、良心の苛責を感ずるはずです。」

「少しも時をむだにしてはいけない! ひとつの愛の祈りがひとつの霊魂なのだから!」

愛が霊魂に犠牲を覚悟させる

救霊のために犠牲は非常に大切だが、愛こそ霊魂に犠牲を覚悟させる。

愛の祈りは犠牲と苦しみへの飢えかわきを増す最も効果的な手段である。

「コンソラータ、絶え間なく愛の祈りを唱えることにすベてを集中しなさい。この唯一の決心こそ、私の犠牲への招きにすべて従う力を与えるのだ。」

愛の祈りを怠らないという十字架は、自己放棄に導き、また救霊のために最も効果的なものである

「愛の祈りはそのものが十字架ではないが、どんな状態にあっても、愛の祈りをひとつも怠らぬよう努力することは十字架である。だがこの十字架が、他のすべての十字架を担うことができるように助けるだろう。コンソラータ、私はあなたの肩の上に負わせるこの十字架をたいへん好む。」

この十字架こそ、あなたを完全な自己放棄へ導き、会則と修道院の日課をちゃんと守らせてくれるのだ。この十字架は非常に恵み豊かなものであり、すべての十字架の中で、この愛の十字架こそ私と霊魂のため、最も効果的なものである。」

愛が、苦しみを感謝と喜びをもって耐え忍ぶことへ導く

苦しむ霊魂は多いが、その苦しみを自己聖化と救霊のため、有効に使う霊魂は少ない。

苦しみが愛へ導くのではなく、愛が、犠牲精神へ、苦しみを感謝と喜びをもって耐え忍ぶことへ導く。

そしてそのとうとい苦しみは、愛の増加の源となる。

絶え間ない愛によって、きたるべき苦しみに備えなさい。愛することをもしやめたら災いなるかな!私はあなたを愛のいけにえとして選んだ。コンソラータ、私はあなたを愛と苦しみの絶頂へ導くことを約束する。あなたはただ『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救ってください』と絶え間なく繰り返しなさい。ただそれだけ、そのほか、何も考えてはいけない!」