シスターコンソラータ「最も小さい愛の道」9章から抜粋

本書で述べた神の要求が、あらゆる霊魂に要求されていると考えてはならない。またコンソラータの道を歩むよう召された霊魂についても同じで、各人各様でそれぞれ違う。ただ神が示されたコンソラータの模範にならい、神が重きをおかれるのは成功ではなく努力であることを常に心にとめておけば十分である。

愛の絶え間ない祈りは、神を完全に愛するための効果的で便利な方法である

完全な愛とは、神を神のためにのみ愛するという純粋さと、常に「絶え間なく」愛することである。

「絶え間なく」とは「生き生きとした、燃えている愛の心を起こし続けること」である。

イエズスはそのための非常に効果的で便利な方法を、コンソラータを通じて教えてくださったのである。それが絶え間ない愛の祈りである。

絶え間ない愛の祈りを決して中断しないように努力する

絶え間ない愛の祈りを続けるには、多くの犠牲が必要である

愛の祈りを、一日中、絶え間なく続け、一度も怠らないことは、非常にむずかしく、本性をすりへらすものである。

絶え間なく愛の祈りを続けるには、多くの犠牲が必要である。

「コンソラータ、無益な考えと不必要なことばを全く放棄して、愛の祈りを決して中断しないように、犠牲によってあなたの忠実と寛大さを証明しなさい。愛の祈りを決して中断しないことによって、私のコンソラータが、だんだん消耗してゆき、犠牲として殺されてゆくことを私は知っている。ごらん、それこそ愛のいけにえの意味である。

絶え間なく愛の祈りを続けるために、自分を捨て、自分の本性を殺す

絶え間ない愛の祈りによって、考え、ことば、想像力のすべてを犠牲にして提供するので、神にすべてをささげるのだということが、だんだんわかってきました。つまりだんだん自分を捨て、自分の本性を殺すことです。」(コンソラータのことば)

常に、絶え間なく愛の祈りをとなえることは、一時的な熱中ではなく、イエズスが仰せられたとおり、霊魂を十字架につけ、絶え間なく傷つけることである。

十字架につけられたイエズスに自分をつなぐ

「食事の時も、仕事、休憩時間にも愛の祈りを一度も怠らない」。一九三六年六月十八日、聖心の祝日の前夜、コンソラータは、この守りがたい誓約をたてた。

この誓約によって、コンソラータは、十字架につけられたイエズスに自分をつなぐことになった。

そしてイエズスとともに愛の贖罪の燔祭に、焼き尽くされてゆくのである。

「今や、十字架をになって進むのではなく、十字架上で、絶え間ない祈りによって、最後までたゆまずがんばるのである。」

愛の祈りを純粋なものとする

無益な考えがひとつでも心にはいるのを許さない

「愛の祈りの純粋さとはなんであるか知っていますか?それは無益な考えがひとつでも心にはいるのを絶対許さないことである。悪魔は愛の祈りを怠らせようと激しく攻撃している。ただひとつのどんな考えでも、あなたを愛の祈りから引き離すかぎり、敵を満足させるだろう。」

「ごらん。あなたの心にへびのように忍び込んでくるよい考えの中にも、常にいくらか自己心、自己満足が含まれている。それによって愛は濁ってくる。私がすべてを考えてあげることを信じ、私に全く信頼し、どんな考えがはいるのも許さぬならば、愛の祈りは純粋となるだろう。」

無益な考えを一つもゆるさないために、絶え間ない愛の祈りは、大きな助けとなる。

あらんかぎりの総力を結集して、強い意志と自己放棄により、努力し、戦う

「私が恵みによって、愛の純粋さを強めてあげても、もう努力する必要はないと思ってはならない。いいえ! 恵みによって強めても、戦いと努力は相変わらず必要である!」

戦いは苦しみであり、絶え間なく戦うことは、絶え間なく苦しむことであった。神を純粋に愛する霊魂は、そのいけにえの苦しみの芳香を、すべて神へのみ立ちのぼらせることができる。

「霊魂が愛の純粋さに停泊すれば、平安につながれ、不安になることがない。十字架の足もとにたたずんでいられた聖母マリアをごらんなさい。苦しみの海の中で毅然(きぜん)として落ち着き、ひと言のお嘆きのことばもない。剛毅(ごうき)をもって苦しみを受け、高貴な威厳をもって苦しんでおいでになる。落胆もせず、ただ穏やかに、凛(りん)として、苦しみを神にささげておいでになる。イエズスのあの最後の『すべてはなしとげられた』とのことばにすらも。苦しみの日にはあなたもそうするように。そして愛の純粋さが、そうすることを助けるだろう!」

心も精神も口も全く清く純粋であるなら、すべての苦しみは甘美なものとなる

「コンソラータ、あなたのまわりのまぶしいほどまっ白な雪をごらんなさい。その雪のように心も精神も口も全く清く純粋であるように。そうすればすべての苦しみは甘美なものとなり、イエズスと霊魂に対する愛のために、苦しみを忍ぶことは喜びとなる。」

絶え間ない愛の祈りに、霊魂の総力を尽す者は、最高位の清さを有する

「精神の慎みによってあなたの心は清く汚れなくなる。絶え間ない愛の祈りはあなたを私の望む道へと燃えるような熱心で進ませる!」

イエズスの愛の渇きをいやすために、まったく清い、愛の祈りをささげる

「イエズスの愛の渇きを不浄な水でいやすことは、浄配(清い配偶者)としてできません。だから愛の祈りは、ほかの何ものも混じえない全く清いものとならねばなりません。」(コンソラータのことば)

コンソラータは愛の祈りを絶え間なく続けるだけでなく、愛の祈りの純粋な清さを保つために、一日じゅう、いつ、いかなる時でも、常に自己放棄をゆるめることなしに全力をあげて努力した。

すべてを尽くして、イエズスを愛する

絶え間なく愛の祈りによって、熱烈にイエズスを愛することができるようになる

「コンソラータ、私たちのこれからの努力は、ただ欠点を避けるだけではなく、イエズスを、愚のきわみまで熱烈に愛することを目標にしよう! 私はあなたから熱烈に愛されたい!」

どうしたらその熱烈な愛に達することができるかを、コンソラータは聞いた。

「絶え間ない愛の祈りによって、あなたは私を熱烈に愛するようになる!」

目前のあらゆる小さいことを、絶え間ない愛の祈りのうちに熱烈な愛をもって行う

信仰の徳が信仰の行為によって増加し、希望の徳が希望の行為によって増加するように、愛の徳も愛の行為によって増加する。

だが何か非常に特別な愛の行為、犠牲をしなければならないのではない。

目前のあらゆる小さいことを、絶え間ない愛の祈りのうちに熱烈な愛をもって行なえばよいのである。

愛の祈りを絶え間なくささげるために、静かにイエズスを愛し続ける

絶え間ない愛の祈りにおいて、あなたは静かに燃えなければならない。あなたが静かにすすまず、心に強制するなら、心は疲れて、愛の歌を歌い続けることができなくなる! 静かだから熱烈でないと思ってほならない!

静けさこそは、愛の祈りの絶え間ないことを証明する。わかりましたか? 愛そのものは火です。その火が静かにあなたを燃し尽くすようにしなさい。私の小さいホスチアよ! 平安のうちに愛しなさい。愛があなたを静かに燃し尽くすことを許しなさい。荒れ狂うような激烈さ、猛烈さをもってせずに。そうでないと、あなたは、ただ疲れ果てて、私を続いて、あなたの愛の歌で喜ばしてくれることができなくなるだろうから!」

御父のコンソラータへのみ言葉

自分を捨てて、全くイエズスにゆだねる。

愛の祈りを全く純粋にするためには、自己を完全に神の御愛に任せなければならない。

言いかえれば、霊魂が他の被造物だけでなく、自分についての考えを捨て、自分を忘れ、神の御愛に自分を沈めて、自分がなくなることが必要である。

自分を捨てて神にゆだねるとは、自分の霊的進歩を無視し、怠けて無関心となり、気まぐれに、また好みのままに努力をやめてしまうことではない。

それは霊魂に働きたもう神に単純に従うことである。

「コンソラータ、考え、望み、ことばにおいて自分を全く忘れなさい。私の働きにすべてを任せなさい。私がすべてをするから、あなたは各瞬間、私が大きな深い愛をもってあなたに要求することを、私にささげなさい!」

イエズスが神として行ないたもうことは、いたって善であり、いつでも霊魂に最も役にたち、神の善のみを生ずる。

この神の行ないの効果がわからなくとも、神に全く任せなければならない。

聖化への道を邪魔する自己を除き、イエズスの導きに従えば従うほど、イエズスによって早く、完全に聖人になることができる。

「あなた自身のこと、あなたの欠点、あなたの現在、未来の困難、あなたの完成、あなたの聖徳などについて考えてはならない。私があなたの聖化、聖徳について考えてあげよう。だからあなたはこれから、ただ私のことと、他の霊魂のことだけを考えなさい。私を愛することと救霊のことだけを!」

ここに絶え間ない愛の祈りと自己献身との親密な関係をみることができる。

絶え間なく純粋に愛の心を起こす人は、自然に、神の愛にすべてを任せる。

またその愛に満ちた自己献身によって、自然に、絶え間なく純粋な愛の心を起こすようになる。

すなわち神に自己献身すればするほど愛に生き、愛すれは愛するほど、神に自己献身するのである。