キリストの受難3 ピラトの前のイエス

2020年1月10日

1 イエス、ピラトの前に立つ

一行がピラトの館の前に着いたのは今の時間で午前六時ごろであった。ピラトはかれらが到着した時テラスの上にいた。大祭司とユダヤ人たちは異教徒の法廷に入って汚れることを恐れ、ある境以上に入らなかった。

ピラトはかれらが騒ぎの中で急いで来るのを見て立ち上がり、軽蔑しきってかれらに応対した。「こんなに早い時間に、おまえたちは何をしにきたのか。ずいぶんおまえたちはこの男をみじめにしてしまったじゃないか。もう皮をはいでほふり始めているではないか」。

しかしユダヤ人たちは獄吏たちに「こいつを連れて法廷に入れ!」と怒鳴りつけた。それからピラトに向かって「この罪人に対するわれわれの訴えを聞いてもらいたい。われわれは汚れるから法廷の中に入ることはできない」と言った。

イエスは獄吏たちに引かれて階段を上り、テラスのうしろに立たされた。そのテラスからピラトは下にいるユダヤ人たちと話をした。かれはすでにイエスのことについていろいろなうわさを聞いていた。そして今、戦慄するほどに虐げられ見苦しくされているが、冒すことのできない威厳を具えているイエスを見て、ユダヤ人の司祭や議員たちに嫌悪と軽蔑でいらだった。

かれはイエスを有罪の証明なく判決することは決してしないという印象をかれらに与えた。それでかれは威圧的かつ軽蔑的に大祭司に言った。「どういう罪でこの男を訴えるのか。一体この男がどんな罪を犯したと言うのか?」。

これに対してかれらは憤慨しながら叫んだ。「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」(ヨハネ18・30)。

ピラトが「それなら、あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った(ヨハネ18・30、31)。

かれらは過越しの時間が始まる前にイエスの問題を片づけてから過越しの羊をほふろうと考えていたので、すべてのことをおそるべき速さで行っていた。しかし、事が順調に運ばないことで、イエスの敵は憤怒と苛立ちでいっぱいであった。

ピラトはかれらに訴えを発言するように要求した。まず初めにかれらは、イエスは国民をまどわす者であり、治安攪乱者、扇動者であると訴えた。またイエスはいろいろな所で大集会を催し、安息日を破ったと言った。するとピラトはかれらをさえぎって言った。「あなたたちは病気なのか。そうでなければ安息日に病人をいやしたことで、それほどまでに怒ることはないだろう」。

しかしかれらは続けて訴えた。かれは民衆を身の毛がよだつような教義によってまどわした。すなわち、永遠の生命を得るためには、かれの肉を食べなければならないと教えた。ピラトはこう訴えた者たちに対し、ニヤリと笑いながら、軽蔑的な言葉を投げた。「あなたたちこそかれの教義を信じ、永遠の生命を望んでいるではないか。あなたたちは、かれの肉と血を食べようと思っているのだろう!」

第二の告訴は、主が皇帝に税金を払わないよう国民を扇動したということであった。ここでピラトは怒ってかれらをさえぎり、それらを監視することが自分の職責であると言った。ピラトはこの問題に関する限り、完全に自信があった。「それはうそだ。そんなことは自分の方がよく知っている」と言った。

そこでユダヤ人たちは、第三の告訴をした。卑賤の出であるこの男は大勢の帰依者を集め、エルサレムに禍を呼んだ。かれはまた民衆の間に、王がその子のために婚礼の式を準備するというあいまいな意味を持った例え話をまき散らした。民衆はかれを王に選ぼうとしたが、当時は時期がまだ早かったので、かれは逃げてしまった。

しかし最近かれは傲慢になり始めた。かれはエルサレムに入るにあたり、「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」(マタイ21・9) と叫ばせ、王のような尊敬を受けた。そして自分はキリスト、神に油を塗られた者、メシア、約束されたユダヤ人の王であると教え、またそのように自分を呼ばせた、と訴えた。

ここでピラトは少し考え始めた。ピラトははっきりしない迷信的な異教徒であった。そしてユダヤ人の預言者がかなり以前から神に油を塗られた者、救世主となる王を預言していたことや、大勢のユダヤ人たちがそれを期待していることを知っていた。

また東方の王たちが前代のヘロデの所へ、ユダヤの新しく生まれた王に敬意を表したいと訪ねて来たことや、その後ベツレヘムの多くの子供たちがヘロデに虐殺されたことも知っていた。ピラトはこの預言や評判を知ってはいたが、熱心な偶像崇拝者のかれはこれを信じなかった。またいかなる王であるかを想像することもできなかった。 

自分の前に立つ、みすぼらしく、むざんな姿をしたイエスが、神に油を塗られたもの、王を宣言したとの訴えはかれには全く滑稽なことに思えた。しかし、「こいつは皇帝を侮辱した」とユダヤ人が訴えたので、ピラトはイエスに尋問した。「お前がユダヤ人の王なのか」(ヨハネ18・34)。イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか」 。

ピラトは、このようなみじめな男が王であるのか?思いつきで尋ねたとイエスに疑われ、馬鹿だと思われたのではないかと考え、不機嫌になった。それで言い返した。「一体、私がユダヤ人だとでも言うのか。そしてこんなつまらないことを知っていなければならない、とでも思うのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか」 。

イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない」 。

ピラトはこの威厳ある言葉を戦慄をもって聞いた。そして考えながら「それでは、やはり王なのか」と聞くと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」 。するとピラトは主を見つめながら言った。「真理?真理とは何だ」(ヨハネ18・28~38)。

それからかれは再びテラスに出て行った。かれはイエスを理解できなかった。しかしかれは主が皇帝に対して害のある王でないことと、この世の国を要求しているのではないということだけはわかった。現世的王国以外の国は皇帝に関係したことではない。それでかれは下にいる大祭司たちに呼びかけた。「わたしはあの男には何の罪も見出せない」(ヨハネ18・38)。

するとイエスの敵は激昂して、気違いのように主の有罪を主張した。それに対して主は何もお答えにならなかった(マタイ27・12)。そしてこれらの哀れな人々のために祈っておられた。するとピラトはイエスに言った。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに」 (マルコ15・4)と尋ねたが、イエスは何も言われなかった。

ピラトは驚きながら言った。「わたしはかれらがおまえに対して偽りを訴えていることがはっきり分かる」。しかし告発者たちは憤慨しながら言った。「なんだって?無罪だって?この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動している」(ルカ23・5)。

これを聞いたピラトは、この男はガリラヤ人かと尋ねた。そして、イエスがヘロデの管轄下にあることを知って(ルカ23・6、7)、「ヘロデの民のガリラヤ人なら、この男をかれの所へ連れて行け!かれは今祭でここに来ている。かれが裁くだろう」と言った。

そしてピラトはイエスを再び敵に連れ戻させた。ピラトはまた一人の士官をヘロデの所にやり、ナザレのイエスの裁判を頼んだ。ピラトはイエスの判決から逃れたことを喜んだ。この問題はかれには不気味だった。またかれはこの際自分と不仲のヘロデが、いつもイエスに好奇心を抱いていたので、イエスを送ることによって、かれに好意を示そうとする政治的なたくらみも抱いていた。

イエスの敵たちは民衆の面前でピラトから拒絶され、さらにまた歩き回らないといけないので大いに怒った。かれらはそのうっぷんを晴らすため救世主を再び殴りつけたり、突き飛ばしたりしながら、それほど遠くないヘロデの館に駆り立てて行った。

2 ヘロデの前のイエス

イエスが連行される道筋には、過越し祭の巡礼者が押し合いながら立っていた。かれらは知り合い同志で一団となり、出身地別になっていた。怒り狂ったファリサイ人たちは、民衆にイエスに反対するように駆り立てるために、それぞれ同郷人の群れの前に立っていた。行列は一隊のローマ兵に護衛されて来た。イエスの敵たちは歩き回らないといけないことに憤慨し、その気晴らしのために主を罵倒した。

ヘロデは大きな広間で王座の安楽椅子に座ってイエスを待っていた。かれの周囲には大勢の宦官や兵士たちがとりまいていた。大祭司たちは広間に入り、両側に立った。イエスは入口に立たれた。ヘロデは非常に得意になっていた。それはピラトが大祭司たちの前で、ガリラヤ人を裁く権利をかれに与えると宣言したからである。かれは忙しくふるまい、偉そうにし、またかれの前に出ることを避けていたイエスが、こんなに情けない恰好で来たことを喜んだ。

ヘロデはヨハネがイエスについてとても褒めていたことを聞き、密告者やスパイたちからも、いろいろな報告を受け、主に会うことを熱望していた。かれは自分の宦官や、大祭司などの前でおおげさにイエスの尋問を行った。自分がいかにこの事件の内情に通じているかを、見せつけようと用意して待っていた。

しかしかれはまたピラトがなんの罪もイエスに認めなかったという報告もうけていた。このことは告発人たちを用心してあしらった方がよいという考えをヘロデに与えた。しかしそのために告発者たちをますます激怒させてしまった。かれらは入ってくるとすぐに激しく訴えた。

しかしヘロデは物珍しげにイエスを眺めた。そして汚れ果てた着物に包まれて、みじめに虐げられ、打ちたたかれ、血に染まった主の顔を見て、ヘロデは気分を悪くしながらも同情を禁じ得なかった。かれは顔をそむけて司祭たちに言った。「この男を連れ出せ、きれいにして来い。一体おまえたちはこんな汚い人間を私の前に立たせるというのか」。すると従者たちはイエスを広場に連れて行き、水とボロ切れの入った鉢を持って来て主を乱暴に洗った。かれは主の傷ついている顔を痛めようがどうしようが容赦なく洗った。

ヘロデはかれらのひどい取り扱いをとがめた。それはピラトのしぐさをまねようとするかのようであった。「かれを見るがよい。屠殺者の手にかかったようだ。今日おまえたちはもう時間前に過越し祭を始めてしまったではないか」。

大祭司たちは必死にイエスを訴えていたが、イエスが再び連れて来られた。ヘロデは主に親切気を見せようとした。そして主が弱り果てているからと、お酒を飲ませようとしたが、主は頭を振られて、その飲み物を飲まれなかった。

ヘロデは、自分が主について知っていることを話をしたり、質問したりした。また彼は、主が奇跡を行うことを望んだ。しかし主は何も答えられず、ずっと下を向いておられた。ヘロデは激怒した。かれはみなの前で恥をかかされたのだ。でもそれを人に気づかれまいとして言葉を続けた。

「わたしはおまえがひどい罪を負わされているので気の毒でならない。わたしはおまえのことをいろいろ聞いて知っている。ところでおまえはローマ総督からわたしの所へ送られて来た。そしてわたしの裁判を受けている。おまえはみなの訴えに対して何というのか。どうして、おまえは黙っているのか。おまえの話や教えについて他の者から聞いたが、わたしはおまえから告訴人たちへの反論を聞きたい。どのように反論するのか。おまえがユダヤ人の王というのは本当か。おまえは神の子か。おまえはだれだ。おまえは奇跡を行ったそうだが、私の前で自分の証をたて、しるしを見せろ。わたしはおまえを放免することができるのだ。おまえは生まれながらの盲目を見えるようにしたというが、それは本当か。おまえはラザロを死からよみがえらせたって。なぜおまえは返事をしないのか。奇跡を一つ見せてくれ。それはおまえのためになるぞ」。


しかし、イエスは黙っておられた。それでヘロデは言葉を尽くして尋ねた。「おまえはだれだ。だれがおまえに全権を与えたのだ。なぜ今はもう、何もできんのか。おまえの生まれにまつわって奇妙な話があるではないか。答弁せんか。おまえは一体どんな王さまか。おまえには王らしいものがちっともないではないか。最近わたしの聞くところによると、民衆はおまえのために神殿へ凱旋行進を行ったそうだが、あれにはどういう意味があるのだ。それが今、こんな結果になったということは一体どうしたわけだ」。

しかし、イエスは一言の返事もされなかった。主がかれに話されなかったのは、彼が洗者ヨハネを虐殺し、また彼のヘロディアスとの姦通のせいであった。

アンナスとカイアファは救世主の沈黙に対するヘロデの不機嫌を利用して訴えを改めて述べ立てた。かれらは特にイエスがヘロデを狐と呼び、すでに以前から王室の滅亡を企てていたということや、新宗教を始めようとして過越しの羊をすでに昨日食べてしまったことなどを訴えた。

イエスの沈黙にヘロデは憤慨していたが、主を裁こうとは思っていなかった。かれは主に何か言いしれない恐怖を抱いていた。また彼はヨハネを虐殺したことで、時々不安におそわれていた。また、かれは大祭司たちをきらっていた。それは彼らが、かれの姦通を決して認めず、かれを犠牲の祭から除外したためであった。しかし、ピラトが主の無罪を宣告したということが、主を裁きたくなかったおもな理由であった。かれは司祭長たちの前で、ローマ人にへつらおうとしたのである。

今やかれはイエスを辱めながら、下僕や護衛兵に命じて言った。「この馬鹿者をつまみ出せ。笑い者の王さまにふさわしい敬意を表せ。こいつは罪人と言うよりかおろか者と言った方がいい」。かれらは救い主を広い庭に連れだして、言葉にならないほどの虐待や侮辱を加えた。

ヘロデは屋根の上からこの虐待をしばらく見下ろしていた。しかしアンナスとカイアファは常にかれに付きまとい、イエスの判決を決定するようにといろいろ手をつくした。しかし、ヘロデはローマ人たちに聞こえるように言った。「もしわたしがかれを裁けば、わたしは最大の罪をおかことになる」。これは、イエスをわざわざ自分のところに送ってよこしたピラトの判決に反対するのが最大の罪であるということを意味していた。

司祭長とイエスの敵たちは、ヘロデがどうしても自分たちの思うようにならないことがわかると、仲間の二、三人に金を持たせ、大勢のファリサイ人がいる市区に走らせた。そしてかれらはファリサイ人に、その同郷人の者といっしょにピラトの館に行くようにうながした。また司祭長らは多額の金を、ファリサイ人を通じて民衆の間にばらまかせた。それは民衆にイエスの死を騒ぎ立てて要求させるためであった。

他の大祭司の使いたちは民衆に、もしイエスを生かしておくならば、きっと神の裁きが民の上に来るだろうという脅迫を言いふらして歩いた。主の敵たちは、もしイエスが許されれば、イエスはローマ人と結託するだろう。それがかれの言っていた王国だ。そうなればユダヤ人は永久に滅びてしまう、と宣伝した。またヘロデは、かれに有罪の判決を下したが、万一かれが許されると、かれの帰依者たちは祭日をめちゃめちゃにしてしまう危険があるから、民衆も意思表示をしなければならないという噂を広めさせた。

こうして混乱と噂が広がり、民衆が激怒するように手配した。同時にヘロデの兵卒たちには金を与えて、イエスを死ぬほど乱暴に虐待させた。それはピラトが主を放免することを恐れ、主の死を望んでいたからである。

これらの悪党たちのために、主はもっとも侮辱的な嘲弄と、もっとも残酷な虐待とを受けなければならなかった。かれらは主を庭に引き出すとすぐに、一人の兵卒が大きな白い袋を持ってきて、その袋の底に穴を作り、嘲笑のうちにそれを主の頭からかぶせた。

その袋は足の方まで垂れ下がった。他の一人の兵卒が、赤い布きれを主の首のまわりにまきつけた。そして、主が自分たちの王に返事をされなかった腹いせに、その前におじぎをしたり、あっちこっちに突き飛ばしたり、罵倒したり、つばきしたり、顔を殴りつけたりした。

そして、兵卒たちはあたかも主を躍らせようとするように引っぱり回した。主は長い愚弄のマントに足を取られ倒れた。さらに主は庭のまわりに流れている溝の中に引きずり回された。そのために聖なる御頭は柱や隅石などに打ちつけられた。

ついでかれらは主を再び引っぱり上げた。そのときファリサイ人から金をもらった者が棍棒で主の頭を殴りつけた。主に新たなる虐待が加えられるごとにかれらの間には高笑いが巻き起こった。そこに、主に同情を寄せる者は一人もいなかった。

イエスはひどく出血し、三度もその打撃のためにお倒れになった。しかし天使が泣きながらそのお顔に油を塗っていた。この打撃は神のお助けがなければ、全く致命的なものであった。

大祭司たちはすべての指令が達せられたという報告を得るとすぐに、もう一度ヘロデにイエスの判決を迫った。しかしヘロデはひたすらピラトを気にしていたので、イエスを愚弄のマントを着せたままで総督のもとに送り返した。 

3 再びピラトの前に立つ。イエスかバラバか


主の敵たちは憤怒しながら主を再びピラトのもとに連行した。かれらは目的を果たさずに再びもとの街を通らないといけないことを恥じたためと、他の町にも辱められたイエスを見せるために遠い他の道を取った。長い愚弄のマントは主の歩みを妨げ、幾度もその上に倒れた。この時、護送者や道端の民衆から言い尽くせないほどの侮辱や残酷な仕打ちを受けられた。主はご苦難を成就する前に死なないように祈られた。

この行列がピラトの館に着いたのは八時十五分ごろであった。広場には大群衆がいた。ファリサイ人はかれらを盛んに扇動していた。ピラトは前回の過越し祭のときにガリラヤ人の暴動を経験しているので千人ほどの兵卒を館の周囲に集結させた。聖母は二十人ばかりの婦人たちと共に広場におられた。ヨハネもかの女たちといっしょにいた。

イエスは愚弄のマントを着て、嘲笑にわき立つ人々の間を連れて来られた。もっとも不遜な者たちが、至る所でファリサイ人にあおられ、毒舌を吐きながら先頭に立ってすすんだ。ヘロデは家来たちをピラトの所に前もってつかわし、自分に対するピラトの礼儀正しい処置を感謝しているが、評判されていた賢明なガリラヤ人はただ無言の馬鹿者でしかないことを告げさせた。同時にふさわしくかれを取り扱って送り返すと言い添えた。ピラトはヘロデがかれと同じ決定をしたことを喜び、お礼の返事をした。この日から、ヘロデとピラトは互いに親密になった。

今やイエスは再び階段を登った高い所にある玄関に引かれた。主は獄吏たちに残酷に引き立てられた時、愚弄のマントを踏んでしまい大理石の階段にはげしく倒れた。その階段は血に染まった。イエスの敵、残酷な民衆はこの時わっと笑い声を挙げた。獄吏たちは主を足げにしながら、駆り立て、階段を登らせた。

ピラトは安楽椅子に寄りかかっていたが、かれらが入って来るとすぐに立ち上がってテラスの方に近寄った。そこから、イエスを告発する者たちに言った。

「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。 ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう」 (ルカ23・14)。

ファリサイ人たちは激しくつぶやき騒ぎ立てた。そして民衆を扇動し、金を群衆に分配するのだった。ピラトはかれらを軽蔑をもってあしらい、鋭い言葉をなげつけながら言った。「それでは今日あなたたちは犠牲の時、汚れのない血を十分に見られないとでも言うのか」。

さて、祭りにあたって、総督は群衆が願う囚人を、一人釈放する習わしがあった。ファリサイ人は仲間の者を送り出し、民衆を買収させた。それは民衆にイエスの釈放でなく、磔の刑を要求するようしむけるためであった。

ピラトは人民がガリラヤ人の釈放を願うだろうと期待して、恐るべき悪人を釈放の指名に立たせることをもくろんだ。この罪人はバラバと言い、すでに死刑の宣告をされ、その釈放はまず要求されないだろうと思われた。かれは全民衆からつまはじきにされていた。かれは暴動を起こして人を殺したことがあったが、その他まだあらゆる残虐な行いをしていた。

群衆は官邸に上って来て、その中の数名が総督に叫んだ。「ピラト総督、閣下がいつも祭日にされることをして下さい」。この願いをピラトは待っていた。そして言った。「過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。誰を釈放してもらいたいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか」。このピラトの質問に民衆の間にためらいと迷いが起きた。わずか数名だけが高らかに叫んだ。「バラバを」。

このときピラトは妻の召使から呼ばれたので席を外した。召使は妻からの伝言を伝えた。「あの正しい人には関りを持たないでください。昨夜、あの人の夢を見て、たいへん苦しみました」。

大祭司やファリサイ人たちは、躍起になっていた。それでピラトが席を外している間、彼らは、バラバを釈放し、イエスを殺すことを願うように群衆を説き伏せた(マタイ27・15~20)。

聖母、マグダレナ、ヨハネと他の婦人たちは広間の片隅に立ち、ふるえて泣いておられた。聖母は人類の救いのために、救い主の死は唯一の道であると知っておられたが、かの女の悲しみは深く、主が生き延びることを熱望していた。聖マリアは、願わくはこのような大罪が犯されないようにと祈っておられた。

また聖母はオリーブ山のイエスのように祈られた。「もしできるならば、この杯が去るように」と。愛に燃えた御母もピラトが御子を釈放しようとしているとのうわさを耳にされたので、望みをまだ持ち続けられた。

ピラトは席に戻り、再び人々に向かって尋ねた。「この二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」。すると群衆は一斉に叫んだ。「バラバを釈放しろ」。ピラトはさらにもう一度叫んだ。「それでは、あなたたちがユダヤ人の王と言っているあの男を、どうすればよいのか」。群衆は叫んだ。「十字架につけろ。十字架につけろ」。

そこでピラトは三度彼らに向かって言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう」 (ルカ23・22)。

しかし群衆は「十字架につけろ」と声を一つにして叫んだ。大祭司やファリサイ人たちは狂人のように怒鳴りたてた。とうとう彼らの声が勝ち、ピラトは悪党のバラバをゆるし、イエスに鞭打ちの刑の判決を与えた。 

4 鞭打ちの刑

卑怯ででたらめな裁判官ピラトは何度も矛盾する言葉を言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう」。しかし「十字架につけろ」と言うユダヤ人の叫びはやまなかった。それで、イエスをローマ式に鞭打つよう命令した。 

獄吏たちは、救い主を興奮している民衆の間を通って、鞭打ちの柱の所に引いて行った。その柱は、この法廷を取りまいている広間の前にあった。刑執行の獄吏たちは六人であった。このような刑の執行は最も残虐な者たちが行っていた。かれらはかつて罪人を死ぬまで鞭打ったことさえある。かれらは性格の中に何か獣のような悪魔のようなものを持っていた。そして半分、酔っていた。

ご自分から進んで歩み出られた主をかれらは拳や縄で殴りつけ、あらあらしく鞭打ちの柱の方へ引きずって行った。この野蛮な人間たちは、わずかな距離を行く間にも主を虐待した。鞭打ちの柱は背の高い人なら、手をのばせば上端に届くほどの高さで、丸く、上のはしに鉄の輪がついていた。その裏面には中ほどの所に輪や鈎(かぎ)がついていた。 

主を柱の前に連れてくると、獄吏たちは愚弄のマントを主から引きはがした。そして救い主を地面に倒した。主は、腫れ上がり、血の流れている御手ですみやかに着物を脱がれた。その間さえもかれらは主を取り巻き、突き飛ばしたり、引きずったりした。主は暴力を受けているときでさえ、絶えず祈っておられた。

聖母は、鞭打ちの柱から余り離れていない広間の片隅に聖なる婦人たちと共におられた。主は悲しめる聖母の心に言われた。「あなたの目をわたしからそらしなさい」。マリアはそれを了解され、その瞬間からマリアはお顔をそらされた。

獄吏たちは残忍な言葉を吐きながら、柱に主を抱かせ、両手を柱のうしろの鉄の輪に縛りつけ、御体を高々と吊り上げた。柱の下にぴったりとついていた主の両足はやっと立っていた。このように最も聖なるお方は、罪人の柱に伸びきって立たれた。

そして二人の狂暴な獄吏は狂ったように、残忍にも主の全身を下から上へ、次いで上から下へめちゃめちゃに鞭打った。初めの鞭は白いしなやかな木で作ったものであった。刑執行人の風を切る鞭のうなりが聞こえた。

時々この響きはファリサイ人や民衆の叫びによってかき消された。かれらは声を一つにして叫んでいた。「その男を殺せ。十字架につけろ」。それはピラトがまだ民衆とやりとりしていたからである。ピラトは何か言う時、静粛を命ずるラッパでその騒ぎを押さえた。すると再び鞭打つ音や獄吏の呪いの声が聞こえて来た。

民衆は鞭打ちの柱から道路の巾ほど離れて立っていた。ローマ兵はそのまわりにいた。そのすぐ近くには卑しい民衆が歩き回り、ある者は黙り、ある者は罵っていた。何人かの者はイエスから出る光に触れ、感動に打たれていた。またほとんど裸の生意気な若者たちもいた。かれらは見張り小屋の近くに座って、新しい鞭を用意していた。またかれらのうち茨の枝を取りに行った者もいた。

大祭司は鞭打っている男たちにこっそり金を渡した。獄吏たちにたくさんのお酒が与えられ、休んでいる四人はそれを飲んで、すっかり酔っぱらっていた。最初の二人は疲れたので飲みに行った。イエスの御体は褐色、青、または赤の斑点で全ておおいつくされてしまい、たくさんの尊い御血が流れ落ちた。侮辱や軽蔑の声はあらゆるところから響き渡った。

鞭打ちは二番目の二人に変わり、怒りを新たにして救い主におそいかかった。かれらは棘のついた鞭を持ち、荒れ狂ったように鞭打った。主の御体の痣(アザ)はみな引き裂け血潮はまわりに飛び散った。獄吏の腕はすっかりその血しぶきを浴びた。

鞭打ちは三番目の二人に代わった。彼らは鉄の柄に固定された小さな鎖、あるいは細長い皮のはしに鉄の鈎がついた鞭を持ち、激しく鞭打った。その結果、主の肋骨の肉と皮膚は引き裂かれた。

しかしかれらの残虐性はまだあきたらなかった。かれらは主の縄を解いて背中の方を柱に向けて縛り直した。主は性も根も尽き果て、もはや立っていることができなかった。かれらは細い縄で主を柱に縛りつけ、両手は柱の中央後方に縛りつけた。神のおん子の尊ぶべき体には血と傷、めちゃくちゃに引き裂かれた痛手以外何も見えなかった。

獄吏たちは狂ったように叫びながら鞭打った。一人はその右手に細目の鞭をもっていたが、それで救い主の顔を打った。主の体にはもはや満足な所は一つもなかった。主は鞭打ちの奴隷を血のあふれる目をもって眺められた。しかしかれらはますます怒り狂うばかりだった。

こうして戦慄すべき鞭打ちが長く続けられたが、その時素朴な見知らぬ男が - この男の親戚の盲人をイエスがかつていやしてやったことがあった - 憤慨して柱のそばに躍り出て叫んだ。「やめろ。罪のないお方を死ぬまで打つな」。するとよっぱらいの獄吏たちは驚いて打つことをやめた。かれは手にした鋭いナイフで結んである縄を切って主を柱から離すとすぐにすばやく逃げ、雑踏の中に消えた。主は失神したように柱の下に倒れ、ご自分の流された御血の中に横たわれた。獄吏たちは少しの間、主をそのままにして酒を飲みに行った。

イエスは傷から流れる血にまみえて柱の下に横たわり、痛さのためにひきつっておられた。その時ずうずうしい遊女たちが手に手を取ってイエスの前に黙って立った。そして女らしい嫌悪をもって、主を見つめた。主の傷の痛みは、そのためにさらに増した。そしてその哀れなお顔をいたましくもかの女たちの方に向けられた。かの女たちは立ち去った。その時いやしい民衆や兵卒どもが笑いながら、いかがわしい言葉を浴びせかけた。

主が侮辱に満ちた苦難の嵐の中で、常に御父に向かって、罪人のために祈りをささげられていた。

さて獄吏は再び主に近づいて主を足げりした。主は起き上がらないといけなかった。主に対するかれらの仕事はまだすんでいなかった。かれらは主に下着を着る時間さえ与えず、袖を肩になげかけただけだった。主は途中この着物で尊きお顔の血をお拭きになった。

かれらは主を大祭司の席の方に引いていくためにわざと回り道をした。大祭司たちは怒鳴った。「あっちへ行け、あっちへ行け」。そして嫌悪のあまり、主から顔をそむけた。獄吏は救い主を見張り小屋のある中庭に引いて行った。

5 マリア

鞭打ちの刑の間マリアは深い思いに沈んでおられた。聖母は御子が苦しまれたすべてのことを見て、神秘的にそのご苦難に参加しておられた。聖母のおん苦しみと殉教とは、かの女の尊い愛のように私たちの理解を越えて大きかった。

聖母は、時々低い悲しみの声がお口からもれ、おん眼は赤く泣きはれていた。他の婦人たちはあたかも自分たちの死刑の判決を待つかのように苦痛と憂いにふるえながら聖母のまわりに身をすりよせ集まっていた。

鞭打ちの後、マリアは獄吏たちによってズタズタに裂かれた御子が連れて行かれるのを見た。主は聖母を見るため、目から流れる血を着物でぬぐわれた。聖母は御子の方に両手を差し伸べられ、血に染まった足跡を見送られた。イエスと獄吏たちが向こうがわに行った時、聖母とマグダレナは、鞭打ちが行われた柱の方に近づき、他の聖婦人たちやまわりに来たよい人々に囲まれながら、イエスの尊い御血をすべて布でぬぐい取った。

マリアの顔は青ざめ、やつれ、その眼は泣かれたためにほとんど血のように赤くなっておられた。聖母は、夜通しの涙のうちにヨザファトの谷、エルサレムの町を歩きまわられたにもかかわらず、その着物はきちんと整い、かつ汚れもなかった。聖母の身のまわりには威厳、清浄、純潔がただよっていた。かの女があたりを見まわす様子には全く気品がこもっていた。聖母は激しく動くようなことはされず、非常に苦しい時ですら、その動作は、単純であり、静かであった。聖母のあらゆる美しさは同時に無垢、真実、天真爛漫、威厳、および神聖そのものであった。

マグダレナはこれに全く反していた。かの女は丈が高く、その姿や、動作にも動きが多かった。かの女はささえ切れない苦しさの重荷のために、ほとんど恐ろしいくらいの姿になっていた。その着物は汚れ、めちゃめちゃになり、引き裂かれていた。その長い髪はとけて、破れたヴェールの下で、もつれていた。かの女はその苦しみのほかは何も考えないで、ほとんど狂人のようになっていた。彼女を見たすべての者は彼女を指さして、そのみじめな姿を嘲笑った。そればかりでなく、汚いものさえ投げつけた者もいた。しかしかの女は何も気づかなかった。それほどかの女は悲嘆にくれていた。

聖母とその連れは、鞭打ちの刑のあとのイエスの御血をぬぐいとってから、御血のついた布をもって、城壁の近くにある小さな家に行かれた。 

6 茨の冠

獄吏たちはイエスを見張り小屋に連れて来た。そこには五十人ばかりの意地悪な野次馬、囚人の監視者、刑吏、奴隷などが集まっていた。はじめ民衆がひしめきよせて来たが、間もなく兵士千人によってその建物は包囲された。

兵士たちはきちんと整列していた。そして笑ったり、からかったりしていた。それらは、主に加える虐待を兵士たちに自慢する動機となり、卑劣な悪人たちをあおった。

かれらは建物の真ん中に丸い椅子を置き、その椅子の上に、かどばった石と瀬戸物の破片などをばらまいた。かれらは再び着物を傷ついた体からむしり取り、古い赤い引き裂けたマントをかけた。そしてイエスを引きずって行き、主をあらあらしく、破片や石の敷いてある椅子の上に腰かけさせた。

それから高く厚く編んだ茨の冠を主にかぶらせた。それは帽子のような冠で、茨の枝で編んであり、トゲはみな内側に向くようにしてあった。それからかれらは主の手に葦の棒を持たせた。

すべてこれらの所作を嘲弄的な荘厳さをもって、あたかも本当の王に戴冠するように行った。次に、かれらは葦の棒をとりあげ、激しくその冠の上をたたいた。血潮は主の両眼にあふれた。

かれらは主の前にひざまずき、主に向かい舌を出し、顔を打ったり、つばを吐きかけたりして叫んだ。「ユダヤ人の王さま、万歳」(マタイ27・29)。かれらは主を嘲弄しながら、椅子と共に突き倒し、またその上に座らせた。

主は恐るべき渇きにおそわれた。むごたらしい鞭打ちの刑によって、肉はズタズタに裂かれたために、主は一種の創傷熱におそわれたのだ。主はふるえておられた。御脇腹の肉はあちらこちら肋骨の現れるまでひき裂かれ、その舌はけいれんしたように引きつっていた。

このようにイエスは半時間ほど虐待された。そして見張り小屋を列を作って囲んでいたローマの歩兵隊はそれを嘲笑い、騒ぎ立てた。

7 見よ、この男だ

さて、かれらはイエスの頭に冠をかぶせ、縛った手に葦の棒を持たせた。そして赤いマントを着せふたたびピラトの館に引いて行った。イエスは血と痣(あざ)と傷とでおおいつくされていて、主であるとは見わけもつかなかった。主はよろめきながら歩かれた。主が階段の下まで来られた時、無慈悲な総督さえも同情と嫌悪にかられ、戦慄した。

イエスは階段を駆り立てられてのぼり、ピラトのうしろがわに立つと、ピラトはふたたびテラスに出て来た。かれは大祭司と民衆に言った。「さあ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう」。 イエスは茨の冠をかぶり、赤いマントを着けて出て来られた。

その広場に居合わせた群衆のすべては、イエスを見ることができた。それは心臓が引き裂かれるような恐ろしい光景であった。そこには、めちゃめちゃに虐待され、血と傷におおいつくされ、むざんな姿になられた神の御子の姿があった。彼は、いばらの冠の下から滴り落ちている御血で覆われている御眼を民衆の上に向けられた。その瞬間、群衆に戦慄と重苦しい沈黙がみなぎった。主の横にピラトが立って言った。「見よ、この男だ」。

大祭司、律法学者たちはこの光景にすっかり憤慨した。かれらは怒鳴り立てた。「その男を殺せ。十字架につけろ」。しかしピラトは叫んだ。「 あなたたちはまだ満足しないのか。こんな姿になったかれはもはや王になどなれっこない」。

しかしかれらは激しく叫び立てた。そして群衆も、その声に合わせて叫んだ。「その男を殺せ。十字架につけろ」。ピラトは言った。「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない」。

すると大祭司たちが答えた。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです」(ヨハネ19・6、7)。

 ピラトは「神の子と自称した」という言葉に不安になった。それでかれは総督官邸に入り、イエスを連れて来させ、尋ねた。「おまえはどこから来たのか」。しかし主は一言も答えられなかった。しかし、イエスは答えようとされなかった。 そこで、ピラトは言った。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか」。

イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い」(ヨハネ19・8~12) 。そこでピラトは、何とかして釈放しようとした。しかし彼は前よりも混乱するばかりであった。かれはふたたびイエスに何の罪を認めないと言った。

ファリサイ人はピラトが官邸に入っている間、「もしイエスが今釈放されれば、かれはローマ人と結託するだろう。そうすると自分たちはきっとみな殺されてしまう」と群衆をそそのかしていた。それで、ピラトが無罪を主張しても、群衆は、ますます激しくイエスの死を要求するのだった。

そこでピラトは主から返事を聞こうとして、またもや官邸にいる主の所へ戻った。そして恐れながら主を見つめ、混乱しながら考えた。この男がほんとうに神でありえようか。それで、かれは主に、あなたは神であるか、王であるか、あなたの国の広さはどのくらいか。その神性はどんなものか。真理とは何か、と尋ねた。そしてもし主が答えたならば釈放しようと言った。

主は恐るべき真剣な言葉でピラトに仰せられた。主は自分がどんな王であり、いかなる国を支配しないといけないのか。また、何が真理であるかをおぼろげにお答えになった。そしてピラトの内心の恐れをすべて明らかに語った。主はまた、かれが追放され恐ろしい最後をとげ、どんな運命が持っているかを語った。また主自身が後日かれに正義の裁判を下すために来ることも告げた。

これらの言葉にピラトは恐怖を感じながらも憤慨した。そしてかれはテラスに行き、再びイエスを釈放すると叫んだ。すると、群衆は怒鳴った。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています」 (ヨハネ19・12)。

他の者はまた叫んだ。ピラトが自分たちの祭日のじゃまをしたことを皇帝に告訴すると。また自分たちは十時までに神殿に行かないといけない。そうしないと大罪を犯すことになる。ぐずぐずするな、と。そして「十字架にかけろ。その男を殺せ」と声を一つにして叫んだ。

ピラトは狂気のような群衆にいくら言ってもむだだと悟った。怒号と騒ぎはすごみをおびて来て、騒動が起きはしないかと危ぶまれた。それで、ピラトは水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」。民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある」 (マタイ27・24~25)。 

ユダヤ人の自己を呪う叫びは、怒りの炎となって飛び出して、かれらの上でひとかたまりとなり、ふたたびその上に降り注いだ。その炎は、ある者には深く入り込んだ。他の者にはその上にただよっていた。後者はイエスの死後、改心した。この人たちは少なくなかった。 

イエスとマリアはあらゆる苦しみの最中においてさえ、絶えず罪人たちの改心のために祈っておられた。お二人は一瞬たりともかれらの無道な虐待を怒られるようなことはなかった。

主の忍耐と愛は敵を激怒させ、ますます狂暴にさせた。しかし、かれらはあらゆる責め苦をもっても、主の口から不平がましい反抗の一言さえも聞くことはできなかった。 

8 イエス、死刑の宣告を受ける

ピラトは真理を求めたのではない。逃げ道を探していた。今やかれは前よりも一層迷いだした。かれの良心は「イエスは無罪である」とささやいた。臆病な心におそわれるかれには、イエスは神であり、復讐するだろう、とも思われた。

すると別の考えにおそわれた。イエスは自分の内心を見抜き、自分に恥を感じさせつつ自分の前に立っている。自分が鞭打たせ、また十字架につけることさえできること自体が自分の悲惨な末路を預言した。そして、決して偽りの言葉を言わず、自己弁護をしなかった者が無言であることが、自分が正しく裁いていることを証明している。傲慢なかれはこのように考えた。

そしてこの悪人は「かれが死ねば自分について知っていることも、また自分に預言したことも消えてなくなるだろう」と考えた。

さて、イエスは赤い愚弄のマントを着せられ、頭には茨の冠をかぶせられ手を縛らたままであった。かれは獄吏たちによって、罵倒する群衆の中を通って裁判官席の所にひかれ、二人の殺人犯の間に立たされた。

ピラトは席につくとイエスの敵にもう一度言った。「見るがよい。あなたたちの王だ」。かれらは叫んだ。「殺せ、殺せ、十字架につけろ」。ピラトは言った。「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」。すると祭司長たちは叫んだ。「皇帝のほかに、わたしたちには王はいません」。ピラトはもはや何も言わなかった。

二人の強盗の死刑はすでに確定していた。しかしその処刑は祭司長たちの願いによって今日まで延ばされていた。かれらはイエスを卑しい人殺しといっしょに、十字架にかけて恥ずかしめようと考えていたからである。

イエスは獄吏に囲まれて総督の立つ階段の下に連れて来られた。そしてピラトは最初に、判決理由をのべた。「かれは自分を神の子、ユダヤ人の王と言った為に、扇動者、治安攪乱者、ユダヤ人の律法の破壊者である。ゆえに大祭司たちによって死刑が判決され、人民は異口同音にその磔刑を要求した」。

次にピラトは大祭司たちの判決を正当と認めると発言し、そして死刑を宣告する。「ナザレトのイエス、ユダヤ人の王を十字架にかけることを判決する」。それから獄吏たちに十字架を持って来るように命じた。

この判決は文書にもされた。しかしピラトは口頭をもって宣言したのとは、全く異なる判決をも書いた。それはかれの二枚舌をはっきり証明した。「民衆の切迫した混乱を懸念した大祭司、議員などに強要され、扇動者、冒涜者、律法破壊者として告訴され、磔刑を要求されたナザレのイエスを、わたしはそのとがを認めないが磔刑に処す。わたしたちは皇帝の前に正義でない裁判官、あるいは反乱を助けた者として訴えられないためにこれをした。イエスと共に処刑するために上記らの者たちの要求によって処刑を延期していた二人の罪人も死刑に処する」。


この判決をピラトは何枚も複写させ各地に発送させた。その判決は祭司長たちの意を満たさなかった。特にかれらがイエスといっしょに処刑するよう願い出たため、強盗の刑執行を延期したと書いていたからである。かれらはなおピラトの裁判席の周囲で口論していた。

ピラトは罪状札を書いて、十字架の上につけさせた。それには「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。すると祭司長たちはピラトに言った。「『ユダヤ人の王』と書かず、『ユダヤ人の王と自称した者』と書いてください」。しかし、ピラトは気短かに嘲るように怒鳴った。「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」(ヨハネ19・19~22)。

祭司長たちはまたイエスの十字架の上部が強盗の十字架より高くならないようにしたかった。しかしピラトの書いた罪状札をかけるために高くしなければならなかった。かれらはこの罪状札を取りのけようと反抗した。ピラトはこれも譲らなかった。かれらは罪状札を取り付けるために、十字架の幹の上部に木片をはめこんで高くしなければならなかった。

死刑宣告の後、イエスは恐るべき獄吏たちの獲物となった。かれらは主の着物をふたたび持って来た。それは、心あるものが洗ったのか、すでにきれいになっていた。獄吏たちは主の手をほどき、赤いマントを傷ついた御体からむしりとった。その時、傷が再び開き出血し始めた。聖母が主のために織った縫い目のない褐色の着物を着せるために、茨の冠を主の頭から引きはずした。すべて頭の傷はふたたび御血を流した。かれらは主の傷ついた体にその織った上衣を投げかけてから、巾広の白い衣をかけた。その上に広い帯とマントをつけた。それからふたたびもう一つの帯を体にまきつけ、それに縄を結んだ。すべてこれらのことを突き飛ばしたり、投げつけたりしながら荒々しく行った。

アンナとカイファはやっと論争をやめ、神殿に急いだ。かれらは過越しの祭りの時間に間に合うように一生懸命であった。傲慢で決断力のない偶像崇拝者、世間にはびこっても、やはり死を免れることの出来ない死の奴隷ピラトは部下と共に護衛兵に囲まれながら館に帰った。