聖母マリアの研究「神の都市」から

2019年8月12日

「神の都市」は尊者 アグレダのマリア によって書かれた聖母マリアの伝記です。そこからの抜粋して考察しています。

1 聖母マリアの祈り①

聖母マリアは三歳になると、親と離れ、神殿での生活が始まります。その最初の日に次のように祈られます。

「至聖崇高永遠なる神よ、あなたは壮大さにおいて測り知れず富に溢れ、秘密については言語を越え、約束を厳守し、真実を語り、御業は完璧です。あなたこそ精髄と完全さにおいて無限永遠なる主でおられます※1。至高なる主よ、いと小さき者の私があなたの壮大さを見て何をすべきでしょうか?私はあなたの偉大さを見せて頂く資格がありません。あなたの御前には全被造物は無です。私はあなたの召し使いで塵に過ぎません※2あなたの御望みで私を満たして下さい※3。人間が忍耐すべき困難や迫害、謙遜や柔和が御旨に叶うならば、そのような大きい宝物や御身の約束を私から取り除かないで下さい※4。ああ、私の愛する御方。しかし、艱難の報酬はあなたの召使いたちや友だちに与えて下さい※5。私は何もしていませんので、その方たちの方が頂く資格が私よりもあります。」

引用 「神の都市」1編 聖母マリアの神殿への奉献

この祈りにみられる5つの特徴

 神を心を込めて賛美する。※1

② 神の前に無限にへりくだる※2

③ 神のみ旨を願う。※3

④ 神に苦しみを願う。※4

⑤ その苦しみの功徳を隣人に与えてくださいと祈る。※5

2 神を愛することに専念すること

ああ、私の王、私の主よ、あなたは私の配偶者であり私はあなたの婢(はしため)です。私は、私の最高善であり、私の唯一人の愛しき方であるあなた以外のいかなるものを理解したり、記憶したり、楽しんだりいたしません。

引用 「神の都市」1編 聖母マリアの神殿への奉献

マリアは神を熱心に愛することと自分自身を卑下することだけに専念しました。

( 引用 「神の都市」1編 聖母マリアの神殿への奉献 )

マリアは、 主なる神の御光栄を少しでも増やせるかどうか、はっきりしない行為は何一つしませんでした。

(引用 「神の都市」1編 信徳について至聖なるマリアがどのように実行されたか)

私は自分が主に提案したこと( 清貧、従順、貞潔と隠遁の誓願 )を全て完全に果たし、どのような被造物にも心を惹かれず※1、私の夫ヨゼフや天使たちにも注意を集中せず※1、神に直接に、または私が自由に自分を捧げた従順を通して間接に、私の全てを任せました※2。注意し、恐ろしい危険を知りなさい。恩寵により自分自身を越え、どのような混乱した感情にも同意しないように。全く霊化され、自分の情熱を殺し、地上のあらゆるものに対する関心を棄てなさい※3。

「神の都市」1編 聖母マリアの神殿への奉献 の御母のお言葉

マリアは、どのような被造物にも心を惹かれず、注意も集中していなかった。※1

マリアは従順を通して、間接に全てを神に任せていた。※2

聖マリアは心配する聖ヨゼフに言います。「どうぞ心配しないで下さい。私たちに起こる全ては天地の王なる主により命令されています。全てにおいて御摂理が私たちを助け、導いて下さいます。」引用:「ベツレヘムへの旅」

繁栄か窮乏は、この世について回ります。一事を嫌い、他事を喜ぶのではなく、全能者の御旨だけを考えなさい。そして主の御意志だけが、あなたの喜びとなるように。 引用:「イエズスとのマリアの甘い交わり、エジプトからの帰国」 元后の御言葉

マリアは、地上のあらゆるものに対する関心を棄てなさいとすすめる。※3

3 聖母マリアが教える修道誓願

神の都市「聖母の神殿における奉献、修道誓願に関して元后から与えられた教え。聖母の神殿での初期の日々」から抜粋して短くしています。

1 神にこの誓願(清貧、従順、貞潔、隠遁)を誓う者は、この誓いに縛られ、神の意志と命令に従うことしかできない。

誓願により悪を行なう自由は消え、善行の自由が保証される。これにより情欲に打ち勝つ恩恵を得ることができる。 自分の霊魂を支配することができ、聖霊と共に生きることができる。

2  従順の誓願は、自分の意志を放棄し、上長の命令に従うことである。

自分の意見は存在しないと考え、自分から動かず、上長の望みを行なう時だけ動くこと。また上長を神の代理として考え、命令に従うこと。至聖なる御子は、「へりくだって死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順であった」(フィリッピ2・8)。

3 清貧の誓願は、すべての所有権を放棄すること

これによって、心の重荷は消え、永遠の祝福を得るために、高貴な心の自由を持つことができる。富を所有したくないとき富への欲望はなくなり、神の宝を蓄えることができる。

この世の富を愛する人は、その富に縛られ、心の自由をもつことができない。またその富は苦しみを与え、心を窒息させる。その結果、永遠の財貨を得るために動くことができない。富の重荷と共に永遠に滅んでしまった人は数しれない。

世の中の物は神により、私たちの生命維持のために造られた。例えば、食物は私たちは生きていかれだけで十分で、それ以上の食物を必要としない。

私たちは食物や富を必要以上に欲しがり、手段と目的が混ぜこぜになる傾向がある。しかも、私たちの大事な生命もどれくらい続くか、いつ終わるか誰も知らない。

4 貞潔の誓願は身体と霊魂の純粋さを誓願する。これを守るためには、五官を用いないという確固たる契約が必要である。

 貞潔は十分に注意しないと簡単に失う。そうならないために、五感を用いないことが必要。五官を殺すと、敵は手出しできなくなる。

5 隠遁の誓願は、愛徳や諸徳の囲壁となる

キリストの配偶者たちに天より与えられた特権である。世の中の危険な誉め言葉から遠ざかることができる。隠遁により、狭い場所に詰め込まれるのではなく、神の知識の広大な徳の野原にいるのである。修道女はこの野原で楽しみ喜ぶのである。

6 これらの誓願を守るための第一の聖務は、義務の時間を厳守することである。

第一の課された義務を遂行した上で、それ以外の徳行を積めば、あなたの魂を美しくし、完全にすることができる。 

聖マリアは時間厳守の徳が抜き出ていました。(引用:神殿における元后の試練と御両親の逝去)

4 聖母マリアは信徳(信仰の徳)をどのように行われたか

引用:「信徳について至聖なるマリアがどのように実行されたか」

1 聖マリアは、信じたこと全てを知っていましたし、知っていたこと全てを信じました。

「聖マリアは、信じたことを全てを知っていました」:聖マリアは、聖母の御体に霊が吹き込まれた瞬間から、最も優れた恩寵を神から与えられた。神の上智によって聖母の信徳は曇らされることはなかった。引用:「原罪の汚れなき受胎 」

2 聖マリアは、信仰の神秘が信頼されるべきことを神から教えられ、この信頼を完全に理解していました。

3 聖マリアの深い知識は、信仰の絶えざる実践につながった。

元后の御言葉

信仰の徳をいつも積みなさい。 信徳はあなたが目指している最終目的にあなたを近づけるでしょう。

信仰は永遠の救いに至る確かな道を教えます。この巡礼中の闇を照らす光です。 不信と罪によって光が消えることがないように。

信仰はあらゆることを可能にします。信仰は、人間の知力では全く判らないことを、誤ることのない確実さで私たちに理解させます。自分の限りある知力だけを頼みとする者の狭い了見から解放します。自分の感覚を使って獲得した知識に閉じ込められることから解放します。

私の娘よ、神が与えて下さったカトリック信仰の測り知れない宝を大切にしなさい。

信徳唱:救いの源である神よ、わたしは、永遠の真理であるあなたが、主キリストとその教会を通して教えてくださることをすべて信じます。

5 聖母マリアは望徳(希望の徳)をどのように実践されたか 

引用:「神の国」の「望徳について乙女なる我らの貴婦人はどのように実践されたか」

1 希望とは、私たちの最終目的である神に、直接お会いしたいという熱望のことである。

私たちは、洗礼の時にこの希望をもらって以来、この永遠の喜びに達すべく努力し、それを得るための困難に打ち勝たせて頂く恩寵を願っています。

私たちは、まだ目的を獲得していないので、キリストの功徳と自分の努力の両方で追求することになります。

2  望徳は、信徳と主の間違いのない約束に賢明に頼ることにより進歩します。

思考力に基づく希望は、絶望と推測の間で中途半端な状態にあるが、信仰による希望は、御旨を邪魔する怖れや諦めも許可しません。

絶望は神の約束を信じないことから、また信じるが、約束したものをもらえないと思い込むことから起こります。

この絶望に対抗し、希望は、神が御約束を破棄しないこと、私たちは功徳を積む能力を与えられており、実際に功徳を積むことによってのみ約束が成就されることを教えてくれます。

3 聖マリアは、神に直接お会いするという人間の最終目的のため、誰よりももっと頑張りました。そのための妨げになるようなものは棄てました。

元后の御言葉

私が望徳を実践したように、あなたも神の恩寵に助けられ、絶えず実践しなさい。

いと高き御方の約束をいつも思い出しなさい。お約束の真実について、揺るぎない確信を持ち、あなたの心を熱望に向けなさい。

天の祖国に住み、いと高き御方の御顔を拝する将来は、キリストの功徳により保証されています。

望徳唱: 恵みの源である神よ、わたしは、あなたがイエス・キリストの救いのみわざによって、約束のとおり永遠のいのちと必要な助けをお与えになることを心から希望します。

6 聖マリアの愛徳について

引用:「神の都市」の「私たちの貴婦人、至聖なるマリアにおける神愛の徳について」

1 愛徳は私たちを神に結び付け、この結合は御父と御子の一致、御父・御子・聖霊の一致と同じです。

「 父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。  」(ヨハネ17・21)

2  愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない 。(1コリント13・4)

3 被造物は神の愛により造られ、愛を神に返します。

4 神自身が愛です。 神の他に完全な愛は至聖なるマリアにあります。

5  愛の最高の働きは、我らの主キリストがなさったこと、そして永遠になさること、愛がキリストにいつも存在することです。愛の次の場所は至聖なるマリアです。

聖マリアは、罪により汚れた人間たちの欠点や欠損はなく、人類の欠点を補い、人類のために可能な限り大きな愛を神に返します。聖マリアだけが愛における正義の太陽を模倣するために、全人類の中から選ばれました。

6 聖母マリアは、愛の母です。

この意味は、聖マリアが私たちの愛する主、救い主であるキリストの御母であることです。

聖マリアは愛の御母として地上の私たちに愛をもたらし、私たちのために愛を育て、私たちに愛を教えました。

全ての聖人は聖マリアの愛を知れば知るほど愛を実行します。全ての聖人は、聖マリアの愛をもっと正確に模倣しようとします。

7 「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの主である神を愛しなさい」という第一の掟を完全に行えたのは、聖母マリアだけである。

聖マリアは神を神のために愛し、人間を神のために愛し、最も激しい熱望を持って愛徳を実践しました。

神は、元后の意志には何の妨げや不注意、無知、不完全、遅滞もないことを御存知でした。神の御力が聖マリアの中で充分に働きました。

8  聖マリアから、私たちは、神のために愛し、全心で神に満足し、神ではない全てから神のための場所を分離すること、他のこととごちゃ混ぜにすると神ヘの愛が減ることを学びます。

9 神を愛する者は神の善を愛します。その次に隣人を愛し、敵味方の区別をしなくなります。神の顕れを他の人々に見るようになります。その人たちが親しかろうとなかろうと、恩恵者であろうと迫害者であろうと、その人たちの中に神の善があることを見つけるようになります。

愛徳唱:愛の源である神よ、わたしは、心を尽くし、力を尽くして、唯一の神であるあなたを愛します。また、あなたへの愛によって隣人を自分のように愛します。

7 聖母マリアの祈り②

聖母マリアが神殿での修道生活のときにした祈り。

「主なる神、私のいと高き王、私の能力の全てと私という人間、それ自身はあなたの無限の恩恵の一つですが、あなたを喜ばせたい一心でいけにえになる用意ができています※1。あなたの限りない知恵と善のため、私の犠牲が捧げられますように。あなたが、私に選択の自由を下さいますなら、あなたの愛のため、苦しみ続けて死ぬことを選ばせて下さい※2。私の唯一なる神、あなたのこの婢をいけにえとして苦しみのはん祭に使って下さいますように。最も寛大な主よ、どんな人よりももっと多くの負債を負っている私の苦しみを受け取って下さるなら、死のあらゆる悲しみと苦しみを私に与えて下さい※2。あなたの御前に平伏し、私を保護し、見棄てないようにお願いします※3。ああ、私の主よ、あなたが私たちの祖先や預言者に約束したことを思い出して下さい。あなたは義人を恵み、苦しむ者たちのそばに立ち、慰め、保護と守護になることを、あなたは真実を語り、約束を違えません。人間の悪意はあなたの慈悲に頼る人々へのあなたの愛を妨げられません。あなたの聖にして完全な意志を私の上に実行されますように。」

引用:「神の都市」、「神殿における元后の試練と御両親の逝去」

1 マリアは、人々の罪を償うために生贄になることを希望する。※1

マリアは人類の堕落を知っており、いと高き善なる神に対する反抗の重大さを思い、悲しみの涙を流した。御母は、この悲しみと共に人類の救いを求め、仲介と回復の仕事を行った。(参照:「神の都市」の「原罪の汚れ泣き受胎」)

聖マリアが生贄になることを望んだのは、罪人の身代わりになるためでした。それによる苦しみは、人類が始まって以来の苦しみに比べれば、取るに足りないと聖マリアは考えたのです。(参照:「神の都市」、「ご托身前のノベナ」)

2 マリアは、神への愛のため、苦しみと悲しみを与えてくださるように祈る。※2

3 マリアは、無限の苦しみと悲しみに忍耐できる恩恵を祈る。※3

8 神の御子の受肉

「神の国」の「神の御子の受肉」から引用

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。

ルカ1・26、27

天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」

ルカ1・28

 このとき聖なる天使は自分の女王に対し、深く御辞儀をしました。人間が天使に礼を尽くすという習慣がこの日から変わったのです。

御言葉の人性により、人性が神の威厳にまで引き上げられたので、人間は養子の地位をもらい、天使たちの兄弟となりました。

マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。

ルカ1・29

自分が最も卑しい者と思っていたのでこのような礼辞を考えていなかったことと、どのように応対してよいか考え始めたからです。

すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 

ルカ1・30~33

神は、聖マリアが「救い主の母」となることが、神のみ旨であることを天使は告げます。

聖マリアがこの秘儀の偉大さを実感すればするほど讃嘆の気持ちが起きました。

聖マリアは自分の謙遜な心を主に挙げ、教えと助けを願いました。いつもの恩恵は中止されたので、普通の人と同じように、信望愛をもってあたるしかありませんでした。

マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」 

ルカ1・34

聖マリアは乙女の誓願を結婚前にも結婚後にも主に対して行ない、祝福されたいたのでこれを聞いた。

天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 神にできないことは何一つない。」 

ルカ1・35~37

天使は、御身の乙女を保存したまま、聖霊によって母となることを告げます。

聖マリアは御旨に従って答えるよう考えを巡らしました。

御子が受肉し、この世が救われるのは、聖マリアの承諾(フィアト)にかかっていることを黙想しました。

神は御自分に関することは被造物の協力に依存しませんが、外的な御業は被造物の関与を必要とします。

つまり、御子の受肉は聖マリアの自由意志による承諾なしには行なわれません。

聖マリアは、神の御母の威光について深く考え、神の愛の畏敬に没頭しました。そして謙遜に答えます。

マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。 

ルカ1・38

「フィアト」の宣言により、四つの事態が同時に起きました。第一、我らの主キリストの至聖なる御体が造られました。第二、キリスト御自身の至聖なる霊魂が、他の人間の霊魂と同様に創造されました。第三、この霊魂とこの身体が結合し、御子の完全な人性となりました。第四、神は御自分を人性と一致させ、御降臨による一致となりました。

神の御子は聖マリアの御胎内で聖母の血により栄養をもらい、自然に成育していきました。聖母は原罪の汚れなく、諸徳の実践に励みましたので、御体の血と他の体液が御子の成育に必要なものとなり、最も清いものとなりました。

聖マリアは神の御母の称号と権利を確認しました。御子は確かに人間であり、確かに神ですから、御母は御子の実母であり、神の御母です。

9 聖マリアのエリザベト訪問

そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。

ルカ1・39

聖エリザベトの胎に宿っている御言葉の先駆者(洗者聖ヨハネ)を聖別することがこの旅の目的でした。

山岳地帯にあるユダのザカリアとエリザベトの家に向け、旅立ちました。ナザレから約百二十五キロの行程です。

そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。

ルカ1・40、41

聖マリアのあいさつの時に、受肉した御言葉は聖マリアの声を道具として使い、エリザベトの胎内にいる赤ちゃんを原罪から清め、聖霊の最も豊富な恩寵と充分な賜物で満たしました。

同時にこの幸せな赤ちゃんは、母胎の壁を透き通して受肉した御言葉がはっきり見え、自分の救世主・創造主を崇め、大喜びで飛び跳ねました。

エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

ルカ1・41~44

この挨拶でエリザベトも聖霊で満たされます。そして同時に胎動を感じます。

エリザベトは、ナザレトの聖マリアが自分の所に来るために旅に出たという幻視を既に見ていました。そして彼女がいと高き御方の御目にとって一番喜ばしい方であることも知らされていました。

しかし聖マリアが神の御母であることは、この挨拶のとき知りました。

エリザベトは受肉の神秘、我が子の聖化、この新しい奇蹟の神秘的目的を教えられ、至聖なるマリアの乙女としての清純さと威厳に気がつきました。

女王としての威厳に満ちた聖マリアが、エリザベトの目の前におられたのです。

神の神秘を見聞きしてエリザベトは感嘆し、聖霊の喜びに浸りました。世界の女王と御胎内の赤ちやんを見て、彼女は「あなたは女の中で祝福され…」と叫んだのです。

この後、エリザベトと胎内の赤ちゃんは、智恵と謙遜の御母がマグニフィカトを言うのを聞きました

そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

ルカ1・46~55

聖マリアは、人が栄え、喜ぶのは、神のおかげであり、神のみが全人類の完全な幸福と救いであると言います。

☆参照:2コリント10・4「誇る者は主を誇れ」 

また、いと高き御方が遜る者を手厚く待遇し、神の光を惜しむことなくたくさん送って下さることを明らかにしました。

☆参照:詩編138・6「主は高くいましても、低くされている者を顧みてくださいます。遠くにいましても、傲慢な者を知っておられます。 」

謙遜な者は、その謙遜からなる器の大きさに応じて幸せを頂くのです。

聖マリアの頂いた慈悲、恩恵と祝福は「大いなる事」です。決して小さくありません。天の門である聖マリアを通して、私たち人類はいと高き御方の慈悲を受け取り、神の国に入ります。

したがって聖マリアの謙遜は無限に大きいのです。

高ぶる者を引きずり降ろし、遜る者を代わりに高座に引き上げる主の正義は、高慢なルシフェルと部下の天使たちを天から蹴落としたことで発揮されました。

空虚な誇りは求めるべきではないし、求めても得られないのです。

☆参照:イザヤ14・13~15「かつて、お前は心に思った。『わたしは天に上り、王座を神の星よりも高く据え、神々の集う北の果ての山に座し、雲の頂に登って、いと高き者のようになろう』と。しかし、お前は陰府に落とされた、墓穴の底に。 」

マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。 

ルカ1・56、57

このあとエリザベトは聖マリアに部屋を提供します。聖マリアは謙遜に感謝して、自分の部屋として使うことになりました。お返しとして自分の訪問は、聖エリザベトの召し使いとして働くためであることを述べました。 

聖マリアは驚くべき愛と謙遜で従姉妹の聖エリザベトに従いました。謙遜さにおいて聖マリアは誰にも負けませんでした。

永遠の御言葉の教えを実践したのです。御子は真の神でありながら僕になり(フィリッピ2・6)、聖マリアは神の御母、全被造物の女王でありながら、最も低い人間の召し使いになり、生涯、召し使いで居続けました。 

10 主のご降誕

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。

ルカ2・1、2

御父の御独り子はベツレヘムの町に生れると決められました(ミカ5・1)。

☆参照(ミカ5・1)「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために、イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。 」

これは、古代ローマ全帝国のアウグスツス皇帝が、住民登録を発令したことで成就したのです。

人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。

ルカ2・3~5

聖マリアはロバに乗り、聖ヨセフと共にベツレヘムに向かい出発します。

ベツレヘムには、住民登録するために、各地から人が集まっていたので宿はどこも混雑していました。

二人が貧しいお姿だったので、他の人たち、特に富者よりも冷遇されました。どの旅館からも次から次に叱りつけられました。旅で疲れ切った二人はそっけなく断られるか、廊下の片隅か、もっとひどい所をあてがわれました。

このように苦労しながら、二人がベツレヘムに着いたのは第五日目、土曜日の夕方でした。

役所で住民登録をしたあと、 聖ヨセフと聖マリアは、忍耐と温和と共に宿を探しますが、すべてから断られます。

夜の9時くらいに、聖ヨセフは、城壁の外に洞穴があることを思い出します。そこは羊飼いたちや羊飼いの避難所です。

二人は、そこに向かい、洞穴は空だったので、洞穴をきれいにし、そこで夜を明かすことにします。

ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

ルカ2・6、7

御父が、永遠の御子の生れるために選んだ所は、最も貧しい洞穴でした。

しかし謙遜と貧しさの先生である我らの救い主と御母にとって望まれた場所です。

真夜中になると、聖ヨセフは眠りにつきますが、聖マリアは祈られていました。そのとき、神の御子は乙女の胎を傷つけることなく、太陽の光が水晶を貫くようようにして生まれました。

マリアは御子を産着に包み、桶の中に横たえ、そして祈られます。

御子は聖マリアに言われます。「御母よ、私のようになりなさい。あなたが私に人性を与えて下さったので、今日より私は神人としての私に似た姿をあなたのものにしましょう。」

御母は応えます、「主よ、私を起こし、持ち上げて下さい。私はあなたの芳香の後を追いかけます」。

二人の会話は続きますが、聖マリアは御子を見習うことにより、御子のようになれると理解しました。どのようにして模倣するかも教わりました。

永遠の御父の御声も聞こえました、「これは、私の愛する子です」(マテオ17・5)。

御母は答えました、「永遠の御父、高められた神、主、宇宙の創造主、諸国民の渇望する御方を私の腕に抱くための許しを私に下さい。」「あなたの価値なき母、賎しい婢である私に御旨をお聞かせ下さい。」

すぐに御父の御声が響きました、「あなたの独り子を大切にし、見習い、育てなさい。私が命令する時、御子を犠牲にしなければならないことを覚えておきなさい。」

御母は、天のみ旨を行なうための恩恵を願います。そのあと、神の御子は光り輝く御変容を中止し、苦しみを受けられる普通の人間となりました。

そのあと、聖母は聖ヨセフを起こし、二人で最初の礼拝を行います。

11 主の奉献

さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

ルカ2・22~24

家の長男を旧約の義人たちがいつも主に献げたのは、長男が神の御子、救い主であるかもしれないという希望のためです。

☆出エジプト13・2「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである。」

聖母は、御子を生贄として、御父にお献げします。そしてこの生贄によって、人類が救われることを願います。

聖母は、御子を献げますが、同時に聖母自身も、生贄として御父に献げます。

☆聖母は言います。「御父の御独り子を生贄として永遠なる御父に捧げることを、現在のあなたもできます。聖体拝領により御独り子を頂き、自分のものにすることにより、御父に捧げることができます。」(引用:幼児キリストの神殿における奉献の元后の御言葉)

そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。

ルカ2・25~33

このとき、聖霊に導かれ、聖なる祭司シメオンが神殿に入り、御母と御子が光り輝いているのを見ました。

同時に女預言者アンナもやって来て、御母と御子が素晴らしい光に囲まれているのを見ました。

シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

ルカ2・34、35

シメオン祭司の言葉は、主の御受難と御死去を預言していましたが、この時、幼児イエズスは頭を下げ、その預言を承知しました。御母はそれが判りました。

その時、御母の心は剣により剌し貫かれました。

鏡に見るように御母は、預言が見えました。御子が人をつまずかせる石となり迫害され、悪魔と死に対する勝利は御子の恐るべき苦痛と十字架上の死のお陰であることを見ました。また救われるべき人々の光栄も見ました。

主イエズスが個人的に、そして教会内で受ける限りない反対も見ました。これらすべての予見は、御母の御心に深く刻まれました。

また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。

ルカ2・36~38

☆一言集

神様への、一番の贈り物は清貧です。

引用:「王たちの礼拝」元后の御言葉

聖母は言います。「私は、自分が塵であることを自覚し、あらゆる人間の中で全く役立たずであると信じます。」

引用:「幼児キリストの神殿における奉献」 元后の御言葉

イエズスの人に対する無限の愛は、御母を主に対する感謝で一杯にし、英雄的諸徳を行なうきっかけとなりました。

引用:「イエズスとのマリアの甘い交わり、エジプトからの帰国」

御母は、御子の救いの御業に御自身をいつも一致させました。

引用:「イエズスとのマリアの甘い交わり、エジプトからの帰国」