キリストの受難5 真昼の夜

「キリストの受難を幻に見て」を短くしています。

1 マリアと聖婦人たち

聖母は主を追って十字架の山を登って行かれた。マグダレナ、マルタ、他の婦人たちもいっしょであった。たちは全部で十七人であった。たちはならず者の嘲笑いを気にかけず、一心に思いつめて登って行ったが、その悲しみ、心配する様子は見る者畏敬の念を起こさせた。聖母は子の足跡を見つけられ、他の者にその聖なる場所を示された。

ベロニカの家で、彼女たちは立ちどまり、その中に入った。それはピラトが部隊と行進して近づいて来たからである。一同はそこで救い主のお顔を写した汗拭きを涙と悲嘆のうちに眺め、イエスの愛を賛美した。女たちはベロニカが主におささげすることのできなかった薬味入りのぶどう酒をたずさえて山に登って行った。さらに何人かの善意の人々が加わった。その中には男もいた。一同が行列をつくって進んで行く有様は非常に感動的であった。

聖母はイエスと共にあらゆる苦しみをお耐えになった一方、マグダレナは苦しみに打ちひしがれ、半ば狂ったようであった。他の者は彼女始終支え、目立たないようにしなければいけなかった。

そうしているうちに、彼女たちは山の頂についた。刑場、十字架、槌、綱、釘、そして、悪口を吐く残虐な獄吏など、聖マリアにとってそれは何とひどい光景だろう。

イエスがいなかったことは聖母の殉教の苦しみを長びかせた。聖母はイエスがまだ生きておられるうちに会うことを望まれた。しかし聖母は、変わり果てた主を一目見ると恐怖で震えられた

2 イエス、衣服をはがされる

さて、四人の獄吏たちは岩穴に下りて行ってイエスを引き出した。主は岩穴の中で神に力を願い、また敵の罪のために、ご自身を改めてささげられた。獄吏たちは主を十字架のまで引きずって来た。それを見た民衆は叫び声を上げ、そして罵った。兵士たちは不動の姿勢をしていた。

聖婦人たちは一人の男に金と薬味入りのぶどう酒を持って行かせ獄吏に与えた。そして主にそれを飲ませるように頼んだ。彼女たちは主を力づけようとした。

獄吏たちは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに飲ませようとしたが、主は少しばかり口にされただけで、お飲みにならなかった。獄吏たちは、あとで自分たちでそのぶどう酒を飲んでしまった。

獄吏たちは主からマントをむしり取った。それから帯枷と帯を外し、白い上着を頭から引き脱がせた。聖母がおん子のために織られた縫い目のない茶色の下着は、いばらの冠の上からはずすことができないので、冠を一旦ひきはずして、まくりあげて脱がせた。

主は震えながらお立ちになっていた。主の全身は恐ろしいほどに引き裂かれ、血に覆われ、はれ上がり、肩は骨が見えるくらいまで肉が裂けていた。

イエスは倒れそうになったので、獄吏たちは近くの大きな石の上に座らせた。かれらは再びいばらの冠を主にかぶせ、酢と胆汁の入っているぶどう酒を飲むように命じたが、主は黙ってその顔を横に向けられた。 

3 イエス、十字架につけられる 

獄吏たちは、自ら十字架の上に仰向けになった主の右手を、右の横木の釘穴の所まで引っぱり、その腕をしっかりと縛った。そして鋭い釘を右手に差し込み、金槌で打ち付けた。主の血は獄吏たちの腕にほとばしった。釘は十字架のうしろに少しつき出た。

主の右手に釘を打ち終わると、獄吏たちは主の左手が、もう一つの釘穴に届かないのに気がついた。それで左手に縄を巻き付け釘穴に届くまでその腕を引きのばし二本目の釘を左手に打ち込んだ。両腕は引きのばされたため、関節からはずれてしまった。

聖母は言葉に尽くせないほど苦しみになり、死人のように青ざめていた。ファリサイ人は聖母に向かって嘲っていた。それでだれかが聖母を少しわきに離れた所にいる他の婦人たちの所にお連れした。

十字架の根元の方に主を立たせるための台が固定されていたその上でイエスの御足を釘付けるはずであった。しかし、救い主は両腕が引っぱられているため全身がに高く上がり、膝も上がっていたので、御足は足台まで届かなかった。

獄吏たちはひどく呪いはじめた。足台を上の方に取りかえることはひどく骨が折れるので、腕の釘穴を他にあけなければならないと言った。しかし他の者が、「こいつは自分で体をのばそうともしない。おれたちで助けてやろうという恐るべき侮辱の言葉を吐きながら、主の右足に綱を巻きつけ、恐るべき惨忍な力で足台まで引きのばし、しっかりと縛りつけた。

かれらは主の御手が釘のために裂けないように、すでに腕や胸を縛っておいた。それで背骨が砕け、離れてしまうかのようであった。なんと身震いするような苦しみ!同様に左足も伸ばし、右足に重ねて縛りつけた。そして釘を、左足をつき通し、下の右足を打ちぬいて十字架の幹にたたき込んだ。

御足が釘付けにされたとき、主の全身は恐ろしいほど痙攣した。それは今までのあらゆる苦しみにも増してはるかに残酷なものであった。

金槌の響き三十六回ほど数えた。十字架に主が釘付けにされている間、まわりの群衆のあちこちから叫び声が上がった。「大地がこの悪党を呑み込まないように。天から火が降ってこの人たちを焼き尽くしませんように!」。これに対して反対側から罵倒や嘲弄が応酬された。

イエスは詩編や預言で、成就された各節を唱えておられた。主は恐るべき苦しみの中で、絶えずこういう祈りを唱えておられた。 

釘付けする始めに、ピラトが書いた捨て札を十字架の上の方に打ちつけた。ローマ兵たちが「ユダヤ人の王」という称号に大笑いしたので、ファリサイ人たちは憤慨した。そして二、三のファリサイ人は捨て札を書きかえてもらうために、町に馬を走らせて総督の所へ行った。

イエスが釘づけにされたのは正午ごろであった。 

4 十字架が立てられる

い主を釘付けてから、かれらは十字架入れる穴のところまで綱で引っ張った。そして十字架の横木に綱をかけ、大勢の獄吏によって十字架を引き起こした。他の者たちはその根もとを穴の方にずらした。そして、どすんと身の毛のよだつ響きと共に十字架は穴に落ち込んだ。これを見た、獄吏たち、ファリサイ人たち、群衆はわめき騒いだ。

これは全くひどい光景であった。しかし同時に深く心を打たれるものがあった。なぜなら、罵倒の声ばかりでなく、敬虔な嘆きを訴える声も一方にわき起こったからである。地上からわき上がった敬虔な、すなわち最も悲しめる聖母、聖婦人たち、愛弟子および清心を持っているすべての人々の声が十字架にささげられた。 

十字架が大きな響きと共に立てられる瞬間古聖所では喜びが起こった。かれらは十字架の地響きを熱烈にあこがれながら聞いた。この響きはかれらには救いの門に近づく勝利者の合図のように聞こえた。イエスの広く開いた傷口からは四つの尊い流れが地上に滴り落ちた。それはかれらを贖い、新しいアダムであるかれが再び豊かな楽園となるためであった。

救い主が十字架に上げられ時、多数のラッパの音が神殿から響き渡り、過越しの羊の屠殺の開始を告げた。それは、真の過越しの羊に対する悪党たちの罵倒を厳かにさえぎった。多くの頑固な心は揺り動かされ、洗者ヨハネの言葉を思い起こすのであった。「見るがよい。世の罪を除く神の子羊だ」(ヨハネ1・29)。 

十字架高さ、穴の中にうずめられた時、主の友がその足を抱き、接吻できるほどであった。 

5 盗賊の磔

主の十字架が立てられるすぐに、今度は盗賊の番になった。二人は横木からはずされた。獄吏たちはすでに立てられていた十字架の幹にはしごをかけ、横木を上のはしに固定した。その間に二人は酢と没薬を混ぜたものを飲まされた。そして胴着はぬがされた。

次いで二つのはしごが各々の十字架にかけられた。それに獄吏が登って行った。さて二人は十字架にはめ込んだ木の釘を登って行かなければならなかった。それと同時に獄吏たちは横木越しに投げ上げられた綱で強盗の腕をつり上げた。次いでその四肢を縄でしっかりと縛りつけた。それから縄に棒を差し込んで肉が破れるくらいにねじった。強盗はぞっとするような怒鳴り声を上げた。

このとき、獄吏たちはイエスの着物を集め分けようとしていた。マント白い上衣主のおん血でそまった他の衣類も裂いて分けた。しかし主の褐色の編物の下着は、それを裂くと全く用をなさなくなるの分配せずにくじ引きにした。

そこへニコデモとアリマテアのヨゼフの送った使いが一人走って来て、イエスの着物の買い手がいると言った。するとかれらは全部を集めてその衣類を売った。このようにこの聖なる物がキリスト信者の手に入ったのである。 

6 十字架上のイエスと強盗

主の十字架が押し立てられてから、獄吏は十字架にはしごをかけ、それをのぼって行った。そして十字架をたてる時、釘から裂け落ちないために聖なる体を幹に縛りつけておいた綱をほどいた。

苦しみは倍加され主は果てしない苦しみに沈み、しばらく死んだように、垂れ下がっておられた。周囲は一時静まり返った。茨の冠に押しつけられて聖なる頭は胸に垂れ下がり、無数の傷から滴り落ちる血潮は目、髪、ひげ、口の中などにあふれた。主のお体は無理に引きのばされたために傷つき裂かれた皮膚は目も当てられなく張っていた。

実際にあらゆる骨をすべて数えることができた。血潮は聖なる御足の釘の下から地面に流れ落ちた。すでに渇いていた傷口も恐ろしく引っぱられたために新たに引き裂かれ、鮮血が流れはじめた。体は出血ためにますます青白くなって行った。

しかし恐ろしく変わり果てた姿にもかかわらず、十字架上の主は言い表すことできないほど、畏敬の念を起こさせた。神のおん子、自らを犠牲とした永遠の愛は、無残に傷つけられながらも、そして世の罪を負って死にのぞ過越しの羊の状態においてすら、美しく、清く、かつ神聖なものであった。

強盗の十字架はずっと粗雑に作られていた。その二つの十字架は主の十字架を真ん中にして左右に向き合って立てられていた。主の十字架と強盗の十字架の間は人が一人通りぬけられるぐらいの間隔があった。

十字架上の盗賊の形相はものすごく、特に左がわの盗賊は狂暴な泥酔した悪党の面構えであった。かれらはゆがめられ、打ち砕かれ、腫れ上がり、つり上げられてぶら下がっていた。その顔色は褐色でかつ青かった。唇は流れ出る血のために黒くなり、目は腫れ上がって飛び出していた。

かれらは締め付けられる時、ものすごくうなり、叫んだ。悪い盗賊は呪い、悪態の言葉を吐いていた。横木をとりつけた釘のため、かれらは頭を前の方に押し出していなければならなかった。そして痛みのためにけいれんし、身をよじ曲げていた。

7 十字架上の最初のお言葉

獄吏たちは仕事が全部終わると道具を集め、主を嘲弄しつつ帰って行った。同じようにファリサイ人たちも馬をイエスの面前に乗りつけ、主に侮辱の言葉を投げかけてから町の方に引き返して行った。百人のローマの兵隊も去り、そして五十人が新しく交代として来た。この隊の隊長はアベナダルと言ってのちに受洗した。下士官の名はカシウスと言い、ピラトの伝令であったがのちにロンギヌスという名をもらった。

そこへ再びファリサイ人、サドカイ人、律法学などの一群がのぼって来た。かれらの中には十字架の捨て札を書きかえてもらうため、さらにピラトの所に行った者も混じっていた。

ピラトは面会を許さなかった。それでかれらはますます憤慨して土塀のまわりを乗りまわし、聖母に侮辱の言葉を吐きかけながら追い立てた。ヨハネは聖母を少しうしろの方にお連れした。

かれらは十字架の前に来るとすぐに、頭を振りながらイエスをののしった。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。 「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。 神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから」 また兵士たちも嘲笑いながら言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」 

そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」続けて主はさらに静かに祈られた。すると盗賊の一人が叫んだ。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」 。

嘲笑いはさらに続いた。しかし右がわの盗賊はイエスが敵のために祈られるのを見て深く感動した。その時、かれの心は大いなる光を受けた。そして声を張り上げて叫んだ。「一体どうしてこんなことができるんだろう。おまえたちはこの方の悪口を言っているのに、この方はおまえたちのために祈るなんて!おまえたちが悪口を吐いているのに、この方は黙ってがまんしておられる。この方は預言者だ。われわれの王だ。神のおん子だぞ」

侮辱している者たちは、この言葉にざわめいた。かれらは石をかれに投げつけようとした。隊長アベナダルはこれをさえぎった。そしてかれらを追い散らさせたので再び静かになった。

右側の盗賊はもう一人の方たしなめ言った。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」

8 第二および第三のお言葉

正午すぎくらいから、説明のつかない暗闇が全地を覆い尽くし始めた。この不気味な闇によってゴルゴタのでは起こっていたことの恐ろしさを増すばかりであった。人間と獣はおののき始めた。家畜どもはうなり声をたてて走り回り、鳥は隠れ家を求めて、カルワリオ山を取りまく高地に群れをなして落ちて来た。

嘲り、罵っていた者は沈黙してしまった。しかしファリサイ人たちはすべてを自然現象であると説明に努めた。それもうまくゆかず、かれら自身恐怖に捕らわれた。多くの者は空を見上げ、胸を打ち、手をもみよじり、「かれの血はかれの殺害者の上にかかれ!」と叫んだ。何人かはひざまずいてイエスに赦し乞うた。すると主はまなざしをかれらにお向けになった。

右側の盗賊は深痛悔と謙遜希望をこめ頭を上げ主に言った。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。 

十字架の近くには、聖母とその親しい友のほか、だれもいなかった。聖母は心の中でおん子と共に死ぬことを熱心に祈ってられた。その時救い主はおん母をじっと同情をこめて見つめられた。それからヨハネにまなざしを向けつつ聖母に言われた。「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」。 らにヨハネをほめて言われた。「かれはいつも清い信仰を持っていた。そして彼の母親がかれを高位につかせようとした時以外、つまづいたことがなかった」そしてヨハネに言われた。「見なさいあなたの母です

イエス聖母に母よ言われなかった。なぜなら、聖母は「蛇の頭を踏み砕く婦人」という地位が、彼の死によって、与えられようとしていたからである。聖母のその栄光ある地位はイエスの死によって成就するのである。そしてヨハネが主を受け入れたように、主を受け入れた者に、また主を信じるすべての者に、聖母は母となるのである。

聖母は主の言葉を聞いて、心の中で「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」とへりくだって返事をした。そして神のすべての子たちを、すなわちイエスのすべての兄弟達を、ご自分の子供として受け入れられた 

エルサレム全体は恐怖に満ちた。街は暗闇に閉ざされた。多くのは隠れ、頭をおお胸を打った。またあるたちは屋根に登り、空を見上げて嘆いた。獣はうなりつつ隠れた。鳥は低く飛び、地面に落ちて来た。

ピラトはヘロデを訪れていた。かれらは、すべては自然現象であると言っていた。しかしイエスをまったくひどい目に会わせたものだと語り合っていた。それからヘロデはピラトといっしょにピラトの館に行った。

人々は家の中に逃げ込み、嘆き心配しつつ動き回っていたあちこちに人々が集まっていた。ピラトはユダヤ人の長老を館に呼びよせて、この暗闇をどう考えるかと尋ねた。ピラト自身の考えでは、これは戒めの現象であると言った。あのガリラヤ人の死を力づくで乞い求めたことをおまえたちの神が怒っているようだ。かれは預言者であったにちがいない。自分もかれの無罪を主張して手を洗ったのだと言った。

ところユダヤ人の長老たちはすべてをごくありふれた自然現象と説明して、その頑迷さを改めようとはしなかった。しかし多くの民衆や兵卒たちは改心した。

大勢の群衆がピラトの館の前に集まって来た。そして今朝「殺せ!十字架につけろ!」と怒鳴っていた同じ場所で、「不正な裁判官、かれの血はかれを殺害した者の上にかかれ!」と叫ぶのだった。ピラトはさらに多くの兵で身辺の護衛を固め、群衆の前に進み出て、ユダヤ人を非難した。

神殿では不安と恐怖が最高度に達していた。かれらがちょうど過越しの羊を屠っていた時、突然暗くなりだした。すべての者がうろたえ、あわてた。あちこちに嘆きが起こった。大祭司はランプをともし、静粛と秩序を保とうと尽力した

アンナ激しい不安に駆られ、あちこちと隠れ場を求めつつ、走りまわっていた。しかしますます不安なる一方であった。 

9 第四のお言葉

イエスは十字架の上で、全く見捨てられ、慰めのない状態にあった。主は天のおん父に自分に成就されつつある詩編の箇所を祈られた。

この苦しみの中でイエスは私たちのためにある力を勝ち得られた。それは私たちがこの世につないである絆や関係がすべて絶たれ、すべてのものから見捨てられてしまった時のみじめさに打ち勝つ力である。したがってイエスと一致している人は、たとえすべてが暗闇となり、あらゆる光、あらゆる慰めを失った時でも、迷い、疑う必要はない。このうちなる暗闇を、私たちはもはやたった一人で、また不安の中で歩み行く必要はない。

午後三時ごろ、主は高い声で「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。すなわち、「わが神よ、わが神よ、なぜわたしを見捨てなったのですか」という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。

群衆が嘆き悲しんでいた時、三十人ほどの馬に乗った上品な一行が通りかかった。かれらは祭りに参加しようと地方から来た人々であった。かれらはイエスがいたましく処刑され、また恐るべき自然現象を見て驚き大声で叫んだ。「なんということだ。この残酷な町を焼き払ってしまえ。神殿をこのに建てるな。この町には恐ろしいがおおいかぶさっているぞ」。

この気品ある外来者の発言は群衆の心に痛くひびいた。至る所で不平や嘆きの声がわき起こり、よい心を持った人たちは集まった。それで一方は嘆き、訴え、また他方ではこれに対して嘲弄し、暴言する二つの群れができた。

ファリサイ人の声はだんだんと小さくなった。そして民衆の暴動を恐れて隊長アベナダルと相談した。その結果市街との連絡を断つために、城門が閉鎖された。またピラトに伝令を走らせ、暴動を防ぐに足りる兵力の増強を願った。その間隊長は民衆を刺激しないように、嘲笑いを禁じ、秩序を保った。

そのうちにあたりは少し明るくなった。十字架上の主の体は全く蒼白となっていた。それほど主は血を流されたのである。

10 十字架上の最後のお言葉ご死去

イエスはすっかり衰え果てた。主は乾ききった口で「渇く」言われた。近く、胆汁と酢の混じったぶどう酒いっぱい入った器が置いてあった兵士たちはこのぶどう酒たっぷり含ませた海綿をヒソプにつけて、イエスの口元に差し出した。イエスはこれを受け取られた。

主の最後は迫り、冷汗は五体から滴り落ちた。ヨハネは十字架の近くに立ち、主の足を汗拭きでぬぐった。マグダレナはまったく悲しみに打ち砕かれ、十字架のうしろに寄りかかっていた。聖母は子とよき盗賊の間に、マリア・クレオファとサロメの腕に支えられて立っておられた。

その時イエスは言われた成し遂げられたそして頭を起こされ大声で仰せになった「父よ、わたしの魂をみ手にゆだねます」そして頭を垂れ霊をお渡しになった

ヨハネと聖婦人たちは地上に頭を打ち伏せた。イエスが死去されるすぐに、地震が起き、主の十字架と左の盗賊との間の岩が大きく裂けた。この神のしるしは、そこにいた人々に、戒めのような恐怖引き起こし、苦痛の刃をもって心を刺し貫いた

このとき、アベナダルに恩恵下った。かれの感情激しく動き、傲慢な性格もカルワリオの岩のように砕けた。かれは高らかに叫んだ。「全能なる神は賛美されますように本当にこの人は正しいだった。本当に、この人は神の子であった

この隊長の言葉に揺り動かされ、カルワリオいた群衆多数、また最後にのぼって来たファリサイ人のうちの何人かが悔い改めた。大勢の者は胸をうち嘆きながら、あわてて山を下って行った。他の者は自分の衣服を裂き、灰を頭からかぶった。

今や、新たに救われた人間としてのアベナダルは神の子に敬意を表し、もはや主の敵に使われることに未練はなかった。騎馬のかれは下士官カシウスの方に向けて駆け寄り、馬から下りた。そして、その槍をカシウスに手渡した。下士官が馬に乗り、指揮をとった。アベナダルは直ちに急ぎ去り、ヒノンの谷の洞穴に行ってそこに隠れていた弟子たちに主のご死去を知らせた。それから城内のピラトの所へ走った。 

イエスが死去されたのは午後三時少し過ぎであった。地震の最初の恐怖が去るすぐに、数人のファリサイ人はふたたび大胆になった。しかし群衆の感情の変化を見てとったので馬を走らせて帰った。

カシウスは五人ばかりの兵と共に十字架の近くに残っていた。イエスの友は遺骸を取り囲み、あるいは十字架に向かって、深悲しみ嘆きながら座っていた。

あちこちの高地から弟子が二、三人現れた。かれらは恥ずかしそうに、また悲しげに十字架を見つめていたが、人々が近づいて来る、ふたたび引き返して行った。

11 地震

イエスがご死去されてそのご霊魂が古聖所に下り始めた時、天使の大群これに続いた。この天使たちは無数の悪魔を地獄に追いやった。イエスは古聖所で多くの霊魂をその肉体へ送りよみがえらせ改心しない者に現れてそれらを恐怖させ、そしてご自分に対する証しをたてさせられた。

イエスのご死去に際し、地震と共に全世界、特にパレスチナとエルサレムにおいて、多くのものが倒れくずれた。エルサレム人々は暗闇については、気持ちを落ちつかせていたが、その時大きい地震が起こり、建物が倒壊するのであった。人々は泣き叫びながら逃げまわった。その上、彼らは墓から出て来た死骸に出会った。彼らの驚きは非常に大きかった。この死骸たちはうつろな声で忠告しながらさまよい歩いていた。

大祭司カイファは狼狽することなく、悪魔的落ちつきによってすべてを対処したかれは民衆に起こっている出来事を、イエスの罪ない死に対する証拠にはならないように思わせた。またアントニオ城のローマの守備兵も秩序を維持するために手をつくした。その結果過越し祭は続けることが出来なかったが、暴動は起こらずにすんだ。

至聖所の入口にある二つずれつるしてあった大きな垂れ幕が、上から下まで真っ二つ裂けた。そのため至聖所がすっかり見えるようになった。そこへ以前、神殿と祭壇の間で殺された大祭司ザカリアが現れた。かれは威嚇の言葉を発した。また預言者の虐殺についても語った。教壇の上には敬虔なる大祭司シモンの若くして死んだ二人の子供がいた。かれらは十字架につけられた人の教えに帰依するようみなに諭した。祭壇にはエレミアが現れた。かれは今や犠牲は成就し、この後は新しい犠牲が始まることを告げた。これらはカイファと司祭たちだけが見、かつ聞いた。しかしかれらはそれらを完全に隠した。

またもろもろの門がこわれそして「さあ、ここから引き上げよう」という声がひびき渡った。一群の天使神殿から出ていき、祭壇は震動し、香の容器はひっくりかえった。そして聖書の巻物を保管する場所もくずれ、巻物がばらばらにころがり落ちた。

イエスの敵アンナは、不安から狂気のようになって、神殿の一番奥の部屋でうずくまった。カイファそこにやって来て元気づけようとした。しかしまったくむだであった。死者の出現はアンナをすっかり絶望に追い込んだ。

カイファも本心は非常に不安であったが、かれの中には非常に傲慢で頑固な悪魔がいて、驚きを表に出さないようにしていた。かれは神の恐るべきしるし、自分の隠れた恐怖に対して憤怒と強情でもって刃向かった。彼は群衆の知らなことはすべて秘密にすることを司祭たちに命じこの神の怒りの現象は、イエスの支持者たちが汚れいるにも関わらず神殿に来たことに原因する語り、また司祭たちにもそう言わせた。カイアファ言った。「聖なる律法の敵こそこの出来事の責任者だイエスもこの律法を滅ぼそうとしていた多くのことは、イエスの魔法の結果で、かれは生存中のみならず、死に際しても神殿の平和を破った。こうしてカイファは大勢の者をなだめ、あるいは強迫することによって民衆の恐怖を静めることに成功した。

このような事件が神殿で起こっている間に、市街の各所でも人々は恐怖におそわれていた。三時をすぎると人々は多くの墓が開き墓の中に布に包まれている死者を見た。またある所にはボロボロになった布きれや骸骨が横たわっているのを見た。

カイファの家ではイエスが立ち、そこで嘲弄された階段がくずれた。またペトロが主をいなんだ場所である炉の一部もくずれた。そこに大祭司シモンの死骸が現れた。かれはそこで判決された不正な裁判をせめた。衆議所の何人かの議員がそこに居合わせた。前の晩ペトロとヨハネの入城を世話した人々は、悔い改めて弟子たちの隠れている洞穴に逃げて行った。

ピラトの館では救世主むち打たれた場所が陥没した。狼狽したピラト恐怖は非常に大きく何も手につかなかった。地震はその館をゆすぶった。中庭の方からは、かれの偽りの裁判と矛盾だらけの判決を非難する死者の声が響いた。ピラトはそれを預言者イエスの神々であると信じ、館のもっとも奥まった片隅に身を隠し、そこで自分の神々に香をたき犠牲をささげた。そしてあのガリラヤ人の神々が自分に害を加えないようにと祈願した。ヘロデもまた自分の館で不安から狂人のようになり、あらゆる者を自分の所に入れないようにした。

二人ずつならんで、ときどき街を通っていた死骸は、地上をただようように通り、イエスを宣言し、殺害者に災いあれと叫んだ。人々は遠くから恐れながらそれを眺めていた四時ごろ死者は墓へ帰った。しかしまた主のご復活後にも多くの死者が現れた。

地震と暗黒エルサレムのみならず聖地の他の場所、遠隔の地にさえ起こった。至るところで荒廃と恐怖が広がり、大勢の悪魔がはびこっていた地方では、くずれた建物や山といっしょに、悪魔たちが深みに落ち込んで行くのが見られた。

12 御脇腹の傷

衆議所はピラトに使いを送って受刑者を安息日中、釘づけにしたままにしておかないために、そのすねを折って十字架から下ろすことを願い出た。そこでピラトは数人の獄吏を刑場に送った。

ゴルゴダの丘は静まり返り、悲しみに包まれていた。群衆はすでに散らばって、ただイエスの母とその友だちなどが、十字架のまわりにいた。カシウスは十字架の近くを馬で乗りまわしていた。

兵士たちはおたがいに話し合っていた。そこへ六人の獄吏がのぼって来た。かれらははしごやシャベルや縄などを持っていた。また骨を打ち砕くための重い三角の鉄棒を持っていた。  

獄吏が柵の中に入って来たのでイエスの友はうしろに退いた。聖母はかれらがイエスの体に、死後までも侮辱を加えるのではないかと恐怖で震えた。かれらは十字架によじのぼった。そして聖なる体を突いてみて、これは死んでいる振りをしているのだと言った。

しかしヨハネはイエスの死を証明出来ると訴えた。獄吏もまた体はすでにまったく冷え硬直していることを認めた。それでかれらは主から離れたがまだ完全にその死を確信していないようであった。

次いでかれらははしごを強盗たちの十字架にかけてのぼった。二人の強盗の腕を鋭い棍棒をもって打ち砕いた。他の一人は足の骨を打ち折った。悪い盗賊は恐ろしい叫びをあげた。かれらはさらに盗賊の胸を三度打ち、つき破った。

良い盗賊は救い主にあの世で再会した最初の死者であった。次いで縄が獄吏たちによって解かれた。死体は地上にどしんと落ちた。死体は山をひきずり下ろされ、そして葬られた。

獄吏たちは主の死を疑っているように見受けられた。イエスの関係者たちは、先ほど残虐な光景を見たので、獄吏たちが引き返して、イエスにも同様な仕打ちを加えはしないかと心配した。

その時カシウスは突然不思議な衝動を感じた。彼は気は短いが仕事好きで、親切性格あったそのため部下の嘲弄にしばしば憤慨していた。今や獄吏たちの狂暴な行為、聖婦人たちの不安、突然恩恵による心の聖なる動きが、かれによって預言を成就させることになった

かれは馬をたたき十字架の丘に駈けのぼり、主のお体の右側に立った。そして槍を両手で握り、イエスの右脇の上から内臓と心臓を激しく突き差した。

するとその先端は左の脇腹にぬけ出てそこに小さな傷を作った。次いでかれはその槍を勢いこめてふたたびひきぬいた。すると傷から血と水がどっと流れ出た。

そして仰ぎ見上げていたかれの顔に恩恵が振り注がれた。かれは馬から飛びおり、ひざまずいて胸を打ち、居合わせたみなの前で高らかにイエスへの信仰を告白した。

イエスを眺めていた聖母や聖婦人たちはこの男のとっさのしぐさを見た。そしてかれの槍の一撃があった時、悲嘆の叫びを上げた。聖マリアは主に突き通された槍を、あたかも自分の心臓にうけたように感じた。

カシウスはひざまずいて神に感謝の祈りをささげた。かれは内的に信仰の照らしをうけた。そればかりではなく、かれは斜視であったが、その眼も癒された。今やかれの眼ははっきりと見えるようになった。

御脇腹から流れた水と御血は、かれらすべてに深い敬虔な感動を呼び起こした、聖マリア、聖婦人たち、ヨハネ、およびカシウスは直ちに布をもってそれをぬぐいとった。

そこに居合わせた兵士たちも、カシウスに現れた奇跡に打たれた。かれらもまた同様にひざまずいてイエスへの信仰を告白した。