ヨハネ福音書19・24~27

聖アウグスティヌス著作集から抜粋し要約しています。

イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。 

ヨハネ19・24~27

「自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っています」(1テモテ5・8) と教えることを学ぶ。主は、人としてご自分が造られ、そして残して行く母に対して、ご自分の代わりに他の者を子として備えられたとき、聖徒たちの師ご自身からこの救いに役立つ戒めの例を確立された。なぜなら、なぜこのようにされたかを続く言葉が示しているからである。「 そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った」

しかし彼が主の母を自分の家に引き取ったとは、どういうことであろうか。というのは、主に向かって「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」(マタイ19・27)と言った者たちの中に彼も含まれているからである。

そして次の言葉も聞いている。「わたしのためにそれを捨てた者は、この世において百倍も多く受けるであろう」(マタイ19・29参)と、それゆえ、この弟子は捨てたものよりも百倍も多くのものを受け、そこに、それらをお与えになった方の母を引き取ったのである。

またヨハネは、「 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」(使徒4・32)、とあるようにすべてを共有していたそのような交わりの中で百倍のものを受けたのである。

また「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである」(使徒4・34、35)とある。

それゆえ、彼はいかなる家も自分自身のものとして所有していなかったのであるから、彼の家ではなく、主から命じられた定めによって、自分に遂行されるべく委ねられた務めによって引き取ったのである。