「神の国7」

聖アウグスティヌス「神の国17巻」を簡略しています。

ダビデ王の時代からキリストの時代までの神の国の歴史について。前半では、王の交替と祭司職の変更について、後半では、特に詩編をあげ、そこにキリストと教会がどのように預言されているかを見る。 

1章 預言者の時代 

アブラハムは、肉によればイスラエル民族が、信仰によれば、すべての民族が、神の約束によって彼に由来する。サムエルが預言を始めたときからバビロン捕囚、さらに70年後にイスラエル民族の帰還によって神殿が再建される時代までは、預言者の時代と呼ばれる。

そして預言者たちについて列記してみると、歴史的な忠実さをもって過去の事柄を物語っているように見えるが、過ぎ去ったことを報告しているよりは、むしろ、未来のことを前もって知らせようとしていることがわかる。

さらに預言に属していることが確かなものでも、キリストと天の王国、すなわち神の国に関するものは多いので、それを明らかにしていく。 

2章 カナンの地に関する神の約束の成就 

神はアブラハムに対して、最初から次の二つのことを約束していた。
1・彼の子孫がカナンの地を所有すること。
2・肉による子孫ではなく、霊による子孫において、この子孫を通して、彼がイスラエル民族のみならず、彼の信仰の跡に従うすべての民族の父になること。 

1・は「あなたは、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める」(創世記12・1~2)に示される。
2・は「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」(創世記12・3)に示されている。
そして、この二つのことが繰り返し約束されている。

カナンの地に対する約束は、ダビデとその子ソロモンによって成就した。ただし、世の終わりまで、揺らぐことなく留まるであろうという約束は除いてである。

しかし神は、この民族が律法に従わないことを知っていたので、その中で少数の忠信な者たちを試し、また、やがてすべての民族の中に生まれてくるであろう忠信な者たちに警告を与えるために、この世における罰を利用した。それは、神が、キリストの受肉による新しい契約を啓示し、それによってもう一つの約束を成就していた人々に必要なものであった。

3章 預言の三重の意味 

アブラハム・イサク・ヤコブに対する神からの託宣や、他の預言的なしるしや言葉と同じように、この王国時代以後の預言も、一部は肉によるアブラハムの民族に関わり、一部はアブラハムの霊による子孫に関わっている。そして預言の中には、両者に関わるものとがある。したがって預言の中に次の三重の意味だ見出すことができる。 

1・地上のエルサレム 
2・天のエルサレム 
3・両者に関わっている 

「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」( エレミヤ31・31~33)は、上にあるエルサレムを預言したものであり、このエルサレムの報酬は神自身である。神を所有し、また神のものとなることが、上のエルサレムにおける最高の善である。

エルサレムが神の国と呼ばれる場合は、地上のエルサレムと天のエルサレムの両方に関わっている。そこでは、来るべき神の家が預言されているとともに、その預言は、ソロモン王が有名な神殿を建てたときに成就したように見える。なぜなら、歴史的に見れば、地上のエルサレムにおいて起こったことでもあり、また天のエルサレムの象徴でもあったからである。 

4章 サムエルの母ハンナの預言の解釈

進展する神の国は王たちの時代、すなわちサウルが退けられてダビデが初めて王位を獲得し、それ以後、彼の子孫が長い間王位を継承しながら地上のエルサレムを支配するようになった時代まで至った。これは二つの契約、古い契約と新しい契約に関わる変更を予表している。サムエルの母ハンナも、このことを預言したのである。 

ハンナは祈って言った。
「主にあってわたしの心は喜び、
主にあってわたしは角を高く上げる。
(心は喜び、角は高くされるが、それは自分によるのではなく、主なる神によるからである)
わたしは敵に対して口を大きく開き(なぜなら主の言葉はつながれていないからである→2テモテ2・9)
御救いを喜び祝う。(「御救い」は主キリストのこと)
聖なる方は主のみ。
あなたと並ぶ者はだれもいない。
岩と頼むのはわたしたちの神のみ。
(岩→不変、確実、安全を形容する語。サムエル下22・2~3)
驕り高ぶるな、高ぶって語るな。
思い上がった言葉を口にしてはならない。
主は何事も知っておられる神
人の行いが正されずに済むであろうか。
勇士の弓は折られるが
(神の助けなしに、人間の力だけで神の命令を果たすことができると自分たちに力があると考えている人々は弱くされる)
よろめく者は力を帯びる。(主よ私は弱いので助けてくださいと心の内で叫ぶ人々が力をおびる)
食べ飽きている者はパンのために雇われ(神の言葉を委ねられたイスラエル人は、地上的なものを味わっていたので小さくなった)
飢えている者は再び飢えることがない(神の律法が与えられなかった異邦人は、新しい契約によって神の言葉を知るようになった。神の言葉のうちに地上のものではなく、天上のものを味わっていたのである)
子のない女は七人の子を産み(7は全世界の教会の完全性を意味する。使徒ヨハネも、7つの教会に向けて手紙を書いたが→黙示録1、それによって唯一成る教会全体に向かって書いていることを示した。また「知恵は家を建て、七本の柱を刻んで立てた」→箴言9・1という言葉が予表している。神の国は、私たちが見ているような子孫が生まれるまでは、あらゆる民族でうまずめであった)
多くの子をもつ女は衰える。(多くの子を持っていたが、今は弱くなっている地上のエルサレムを見る)
主は命を絶ち、また命を与え(主は、命を絶ったものをまた生かす)
陰府に下し、また引き上げてくださる。(コロサイ3・1) 
主は貧しくし、また富ませ(コロサイ3・2)
低くし、また高めてくださる。(主は高ぶるものを低くし、へりくだるものを高められる)
弱い者を塵の中から立ち上がらせ
貧しい者を芥の中から高く上げ
高貴な者と共に座に着かせ
栄光の座を嗣業としてお与えになる。
大地のもろもろの柱は主のもの
主は世界をそれらの上に据えられた。
主の慈しみに生きる者の足を主は守り
主に逆らう者を闇の沈黙に落とされる。
人は力によって勝つのではない。
主は逆らう者を打ち砕き
天から彼らに雷鳴をとどろかされる。
(主は天に昇り、その時に聖霊で満たした自分の雲によって雷をとどろかせた。イザヤ5・6でぶどう畑に対して、雲に命じて雨を降らさないとおどしているのはこの雲である)
主は地の果てまで裁きを及ぼし(「地の果て」は、「人間の最後」の意味。裁かれるのは、最後の時に達していると見られたものだからである)
王に力を与え(この力を与えたのは、これによって肉を支配し、また彼らのために血を流された方によって世に勝つためである)
油注がれた者の角を高く上げられる。(キリストを信じる者は聖油を注がれた者ということができる。しかし彼をかしらとする体全体が一人のキリストなのである)」 

5章 神の人が祭司エリに向かって語ったことの意味 

(サムエル上2・27~36)神の人がエリのもとに来て告げた。「主はこう言われる。あなたの先祖がエジプトでファラオの家に服従していたとき、わたしは自らをあなたの先祖に明らかに示し、わたしのためにイスラエルの全部族の中からあなたの先祖を選んで祭司とし、わたしの祭壇に上って香をたかせ、エフォドを着せてわたしの前に立たせた。また、わたしはあなたの先祖の家に、イスラエルの子らが燃やして主にささげる物をすべて与えた。あなたはなぜ、わたしが命じたいけにえと献げ物をわたしの住む所でないがしろにするのか。なぜ、自分の息子をわたしよりも大事にして、わたしの民イスラエルが供えるすべての献げ物の中から最上のものを取って、自分たちの私腹を肥やすのか。それゆえ、イスラエルの神、主は言われる。わたしは確かに、あなたの家とあなたの先祖の家はとこしえにわたしの前に歩む、と約束した。主は言われる。だが、今は決してそうはさせない。わたしを重んずる者をわたしは重んじ、わたしを侮る者をわたしは軽んずる。あなたの家に長命の者がいなくなるように、わたしがあなたの腕とあなたの先祖の家の腕を切り落とす日が来る。あなたは、わたしの住む所がイスラエルに与える幸いをすべて敵視するようになる。あなたの家には永久に長命の者はいなくなる。わたしは、あなたの家の一人だけは、わたしの祭壇から断ち切らないでおく。それはあなたの目をくらまし、命を尽きさせるためだ。あなたの家の男子がどれほど多くとも皆、壮年のうちに死ぬ。あなたの二人の息子ホフニとピネハスの身に起こることが、あなたにとってそのしるしとなる。二人は同じ日に死ぬ。わたしはわたしの心、わたしの望みのままに事を行う忠実な祭司を立て、彼の家を確かなものとしよう。彼は生涯、わたしが油を注いだ者の前を歩む。あなたの家の生き残った者は皆、彼のもとに来て身をかがめ、銀一枚、パン一切れを乞い、『一切れのパンでも食べられるように、祭司の仕事の一つに就かせてください』と言うであろう。」 

祭司エリの子らが殺され、祭司の子ではないサムエルが後に継いだことによって、この預言は成就したと見る。しかし、アロンの家系の祭司職が継続している限り完全な成就と見なすことはできない。この預言は、新しい契約による真の祭司キリスト(油注がれた者)によって、アロンの家系に属するすべての祭司が廃されて初めて成就する。

したがって、エリに対する預言は、歴史的出来事としてはエリの家に関わるが、比喩的にはサムエルが象徴しているキリストによる祭司職の変更に関わっている。 

実際、その後も、例えばダビデの治世のザドクやアビヤタルのように、アロンの家から祭司が出ている。ここで祭司がいなくなる時が来るであろうと言われているのは、アロンの子孫についてであり、私たちはそれがすでに成就しているのを見ることができる。

エリの二人の息子の死は、彼の家から祭司職が移ることを示している。ところでそれに続く言葉は、エリの後を継いだサムエルが象徴している祭司に関わっている。その言葉が象徴しているものは新しい契約による祭司イエス・キリストである。

サムエル上2・35に記されている「彼の家」、この家こそが、永遠の上なるエルサレムである。「彼は生涯、わたしの油を注いだ者の前を歩む」(サムエル上2・35)(歩む=生きるだろう)。「あなたの家に残った者」は、キリスト(油注がれた者)を信じている。

これは「銀一枚をもって」は「簡潔な信仰の言葉によって」という意味である。(言葉の代わりに銀が用いられている例、詩編12・7)。「祭司」はここでは、主キリストである。「パン一切れ」は犠牲そのもののこと。「銀一枚、パン一切れを故意、祭司の仕事の一つにつかせてくださいと言うであろう」(サムエル上2・36)とは、これは簡潔で、救いに役立つ謙虚な信仰告白である。ここで、パンは新しい契約によるキリスト教徒の犠牲である。 

6章 ユダヤの祭司職と王国の永続性 

「あなたの家とあなたの先祖の家はとこしえにわたしの前に歩む」(サムエル上2・30)と言われたことの実現しないなら、告げられたことがすべて起こることを確信することはできないだろう。アロンの系図による祭司職は、来るべき永遠の祭司職の影として定められたものである。

永遠性がその家に約束されたとき、それは影ないし象徴に対してではなく、その影によって暗示され象徴されているものに対してである。実際に退けられたサウルの王国もまた、永遠に続くであろう来るべき王国の影であった。彼に注がれた油は、神秘的な意味を持つものとして受け取り、また大いなる秘跡として解されねばならない。

ダビデは、サウルのうちにあるこの秘跡を、心が打ちのめされるような畏れを感じるほど崇めたのである。彼が暗いほら穴に隠れていたとき、サウルも入って来たが、背後からひそかにサウルの着物をわずかばかり切り取った。それは、サウルを殺すことができたのに、行わなかったことを示し、ダビデを迫害しているサウルの持つ疑惑を取り除くためであった。

しかし、ダビデは、サウルの上衣にそのように触れただけで、サウルのうちにある大いなる秘跡を侵した罪は免れないと思って非常に恐れた。このようにして、来るべきものの影に対する崇敬は、影それ自身のためでなく、それが予表しているもののために、これほど大きなことが示されたのである。 

サウルは罪を犯したため、神から永遠に支配するということを失った(サムエル上13・14)。これは、サウルが罪を犯したので、後になってそれを守ることを望まなくなったのではなく、彼の王国が永遠の王国の象徴となるように定めたものである。

そこでサムエルは「今やあなたの王国はあなたのために続かないであろう」と付け加えたのである。「主は御心に適う人を求めて、その人をご自分の指導者として立てられる」、この人とはダビデのことか、あるいはダビデの子孫も注がれた聖油に象徴される新しい仲保者を指しているかである。 

7章 イスラエル王国の分裂 

サムエルが身を翻して立ち去ろうとすると、サウルは彼の上着の裾をつかんだ。上着は裂けた。サムエルは彼に言い渡した。「今日、主はイスラエルの王国をあなたから取り上げ(取り上げ→裂けると同じ動詞)、あなたよりすぐれた隣人にお与えになる。イスラエルの栄光である神は、偽ったり気が変わったりすることのない方だ。この方は人間のように気が変わることはない。」(サムエル上15・28、29) 

サウルは40年間、すなわちダビデが支配した同じ期間イスラエルを支配した。そして、この預言は、その治世の初期に聞いたものである。

この預言の目的は、サウルの子孫の誰も支配するようにならなかったのと、ダビデの子孫に注目するためである。

サウルは、イスラエルの民を象徴しており、この民は、主キリストが新しい契約により、肉によってではなく霊によって支配されるようになって、王国を失うことを象徴している。

「王国を裂く」とは、イスラエルが二つに分かれることである。これはキリストの敵であるイスラエルとキリストの味方であるイスラエルとを表している。私たちは、イスラエルが、ソロモンの子のレハベアムの治世のときに二つに分かれたことを知っている。しかし、このことはサウルとどのように関係があるのか?これはむしろダビデになされるべきである。

この分裂は、続く言葉によって、永遠で不変なものとして示されている。「神は、偽ったり気が変わったりすることのないお方だ。この方は人間のように気が変わることはない」。

この予知は不変のままであっても、事柄が変わることを意味しているからである。私たちは、これらの言葉によって、それがイスラエルの民の分割に関する決して取り消されることなく、しかも絶対に永続する神からの判決であることを見るのである。 

8章 ダビデに与えられた約束(サムエル下7) 

サウルの後に王位を継いだダビデに対して、 神が約束されたこと
「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。」(サムエル下7・12、13)。

この大きい約束がソロモンにおいて成就したと考える者は、大きな誤りを犯している。なぜなら、ソロモンが外国の女たちによって偶像礼拝に落ち、ソロモンの子のときにイスラエルは二つに分かれ、その後二つの国が滅ぼされているからである。

ソロモンは神殿を建て、平和を得ていたが、彼の存在はキリストの影として知らせただけであり、ソロモン自体がそれを明らかにしたのではない。

詩編72に、ソロモンには全くあてはまらないが、主キリストに当てはまり、主キリストにおいて成就することである。

さらに、父ダビデがまだ生きているとき間に、ソロモンが統治を始めたことも、彼が父に対して語られた当人ではないことを証明している。 

9章 詩編89編におけるキリストの預言 

(詩編89・4、5)
「わたしが選んだ者とわたしは契約を結び
わたしの僕ダビデに誓った。
あなたの子孫をとこしえに立て、
あなたの王座を代々に備える、と。」
ダビデの名のもとに主イエスのことを言っている。 

(詩編89・20~30) 
あなたの慈しみに生きる人々に
かつて、あなたは幻によってお告げになりました。
「わたしは一人の勇士に助けを約束する。
わたしは彼を民の中から選んで高く上げた。
わたしはわたしの僕ダビデを見いだし
彼に聖なる油を注いだ。
わたしの手は彼を固く支え
わたしの腕は彼に勇気を与えるであろう。
敵は彼を欺きえず
不正な者が彼を低くすることはない。
わたしは彼の前で彼を苦しめる者を滅ぼし
彼を憎む者を倒す。
わたしの真実と慈しみは彼と共にあり
わたしの名によって彼の角は高く上がる。
わたしは彼の手を海にまで届かせ
彼の右の手を大河にまで届かせる。
彼はわたしに呼びかけるであろう
あなたはわたしの父
わたしの神、救いの岩、と。

わたしは彼を長子とし
地の諸王の中で最も高い位に就ける。
とこしえの慈しみを彼に約束し
わたしの契約を彼に対して確かに守る。
わたしは彼の子孫を永遠に支え
彼の王座を天の続く限り支える。」

ここでも、ダビデの名のもとに主のことを言っている。
ここから続けて、彼らの子らの罪が記されている。  

(詩編89・31~34)
しかし、彼の子らがわたしの教えを捨て(31節)
わたしの裁きによって歩まず
わたしの掟を破り
わたしの戒めを守らないならば
彼らの背きに対しては杖を
(33節)
悪に対しては疫病を罰として下す。
それでもなお、わたしは慈しみを
彼から取り去らず
わたしの真実をむなしくすることはない。

同じようなことが(サムエル下7・14、15)にあたかもソロモンについてあてはまるかのように書かれている。「彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。わたしは慈しみを彼から取り去りはしない」。この鞭とは、非難による打撃のことを意味する。

しかし、詩編89編の31、33節では「彼ら」と言っているところを、「サムエル記」では「彼」と言っている。なぜなら、罪は教会のかしらであるキリストには見出されないからである。むしろ罪が見出されるのは、その身体である彼の民である。

そこで「サムエル記」では「彼が過ちを犯す」が詩編では「彼の子ら」「彼ら」が教えを捨て、背くとなっているのである。それは、彼の身体について言われたことは、ある意味では彼についても言われることを、私たちが理解するためである。

それだからこそ、彼の身体、すなわち彼を信じる者たちをサウロが迫害したとき、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」(使徒9・4)と語りかけたのである。詩編ではさらに続けて次のように言っている。 

(詩編89・35~38)
契約を破ることをせず
わたしの唇から出た言葉を変えることはない。
聖なるわたし自身にかけて
わたしはひとつのことを誓った
ダビデを裏切ることは決してない、と。
彼の子孫はとこしえに続き
彼の王座はわたしの前に太陽のように
雲の彼方の確かな証しである月のように
とこしえに立つであろう。」
 
この大いなる約束を力強く確証した後で、それがソロモンにおいて成就したと考えないように、次のように述べている。 

(詩編89・39)
「しかしあなたは、御自ら油を注がれた人に対して
激しく怒り、彼を退け、見捨て」
 
このことは、ソロモンの王国に起こったことであり、王座であったエルサレムは陥落し、神殿も破壊されたのである。続いて地上のエルサレムに起こったことを述べている。 

(詩編89・40~46)
「あなたの僕への契約を破棄し
彼の王冠を地になげうって汚し
彼の防壁をことごとく破り
砦をすべて廃虚とされた。
通りかかる者は皆、そこで略奪し
周囲の民は彼を辱める。
彼を苦しめる者の右の手をあなたは高く上げ
彼の敵が喜び祝うことを許された。
しかも、彼の剣を再び岩のかけらとし
戦いの時にも、彼の力を興してくださらない。
あなたは彼の清さを取り去り
彼の王座を地になげうたれた。
あなたは彼の若さの日を短くし
恥で彼を覆われた。

→これらすべてのことはエルサレムに起こったが、神に忠実な者たちに試練となり、神に不忠実な者たちには罰となった。このことがどのように起こったかは歴史の記録からわかる。

(詩編89・47~48)
いつまで、主よ、隠れておられるのですか。
御怒りは永遠に火と燃え続けるのですか。
心に留めてください
わたしがどれだけ続くものであるかを
あなたが人の子らをすべて
いかにむなしいものとして創造されたかを。

実際、御一人子がいなかったら、すべての人はむなしく造られたことだろう。人間の本性は最初の人間によって真理から虚無に落ち込んでいる。

(詩編89・49)
命ある人間で、死を見ないものがあるでしょうか。
陰府の手から魂を救い出せるものが
ひとりでもあるでしょうか。

このことができるのは、主イエス・キリスト以外にない。

(詩編89・50~52)
主よ、真実をもってダビデに誓われた
あなたの始めからの慈しみは
どこに行ってしまったのでしょうか。
主よ、御心に留めてください
あなたの僕が辱めを受けていることを
これら強大な民をわたしが胸に耐えていることを。
彼らは、主よ、あなたの敵であり
彼らは辱めるのです。
彼らはあなたの油注がれた者を追って、
辱めるのです。

ここでは、ダビデ王に約束された時が、ずっと昔になるような、ずっと後に出てきた誰かが、預言の中に移したのでなければ語れないことである。そこで、これは、多くの民族がキリスト教徒を迫害したときに、キリストの受難をキリスト教徒に対してそしったことであると理解できる。

それゆえ、ダビデはこのことを理解して、「あなたは、この僕の家の遠い将来にかかわる御言葉まで賜りました」(サムエル下7・19)、「 どうか今、僕の家を祝福し、とこしえに御前に永らえさせてください」(サムエル下7・29)と言っている。彼がこう言ったのは、そのとき彼には子が生まれようとし、その子から彼の子孫はキリストまで下り、このキリストによって、彼の家は永遠なるもの、神の家になるはずだからである。

これほど大きな善を、ソロモンの治世の平和において実現したと考えることはできない。ソロモンの治世においてさえ平和と戦いが交互したからである。したがって、そのように平和で安全な神の家は、永遠であり、上なるエルサレムのうちにある永遠な者たちこそふさわしいのである。

10章 詩編45編

(詩編45・2~9)
心に湧き出る美しい言葉、わたしの作る詩を、王の前で歌おう。
わたしの舌を速やかに物書く人の筆として、
あなたは人の子らのだれよりも美しく
あなたの唇は優雅に語る。
あなたはとこしえに神の祝福を受ける方。
勇士よ、腰に剣を帯びよ。
それはあなたの栄えと輝き。
輝きを帯びて進め
真実と謙虚と正義を駆って。
右の手があなたに恐るべき力をもたらすように。
あなたの矢は鋭く、王の敵のただ中に飛び
諸国の民はあなたの足もとに倒れる。
神よ、あなたの王座は世々限りなく
あなたの王権の笏は公平の笏。
神に従うことを愛し、逆らうことを憎むあなたに
神、あなたの神は油を注がれた
喜びの油を、あなたに結ばれた人々の前で。
あなたの衣はすべて
ミルラ、アロエ、シナモンの香りを放ち
象牙の宮殿に響く弦の調べはあなたを祝う。
→ここでは、神と神によって油を注がれた者キリストのことが語られている。その美しさを比喩的に表現している。

(詩編45・10~18)
諸国の王女、あなたがめでる女たちの中から
オフィルの金で身を飾った王妃が
あなたの右に立てられる。 
「娘よ、聞け。耳を傾けて聞き、そしてよく見よ。

あなたの民とあなたの父の家を忘れよ。
王はあなたの美しさを慕う。
王はあなたの主。
彼の前にひれ伏すがよい。 
ティルスの娘よ、民の豪族は贈り物を携え
あなたが顔を向けるのを待っている。」 
王妃は栄光に輝き、進み入る。晴れ着は金糸の織り、色糸の縫い取り。
彼女は王のもとに導かれて行く
おとめらを伴い、多くの侍女を従えて。 
彼女らは喜び躍りながら導かれて行き

王の宮殿に進み入る。
あなたには父祖を継ぐ子らが生まれ
あなたは彼らを立ててこの地の君とする。
 わたしはあなたの名を代々に語り伝えよう。
諸国の民は世々限りなく
あなたに感謝をささげるであろう。
→この女性は、教会を表している。彼女は王である方の妻であり、彼女については他の詩編で「王の都」(詩編48・3)とも呼ばれている。また「 シオンについて、人々は言うであろう。この人もかの人もこの都で生まれた、と」(詩編87・5)。民が世々に渡って永遠の賛美を告げるために、彼女を讃えているとき、確かに、彼女の子らから出た指導者は全地にわたって存在し、その子供たちは増えるのである。

11章 詩編110編

(詩編110・1~4)
わが主に賜った主の御言葉。
→「わが主君へのヤハウェの御告げ」(岩波訳)、わが主・わが主君は主イエス・キリストのことを指す。
「わたしの右の座に就くがよい。
わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」

キリストが父の右に座っていることは、信じられているのであって、見られているのではない。また、敵が彼の足の下に置かれるというのも、まだ明らかではないが、しかし、それは起きることであり、終わりの時に明らかになるだろう。 
主はあなたの力ある杖をシオンから伸ばされる。
敵のただ中で支配せよ。

→私たちは、福音がシオン( エルサレム南東にある丘)から出て、力ある杖であることを認めている。ところが、彼は敵のただ中で治めているが、彼に対して敵は何事もなしえない。
あなたの民は進んであなたを迎える
聖なる方の輝きを帯びてあなたの力が現れ
曙の胎から若さの露があなたに降るとき。
主は誓い、思い返されることはない。
「わたしの言葉に従って
あなたはとこしえの祭司
メルキゼデク(わたしの正しい王)。」     

→祭司メルキゼデクがアブラハムを祝福したときに携えてきたパンとぶどう酒が、現在、至るところで捧げられているのを見るならば、この方は誰なのか明らかである。そしてこの方が王であることは「不変であることは、主は誓い、思い返されることはない」で表されている。

10章 ソロモンの預言 

キリストの不敬な殺害者(知恵2・12~21)についての預言
「神に従う人は邪魔だから、だまして陥れよう。
我々のすることに反対し、
律法に背くといって我々をとがめ
教訓に反するといって非難するのだから。
神に従う人は、神を知っていると公言し、
自らを主の僕と呼んでいる。
彼らの存在は我々の考えをとがめだてる。
だから、見るだけで気が重くなる。
その生き方が他の者とは異なり、
その行動も変わっているからだ。
我々を偽り者と見なし、
汚れを避けるかのように我々の道を遠ざかる。
神に従う人の最期は幸せだと言い、
神が自分の父であると豪語する。
それなら彼の言葉が真実かどうか見てやろう。
生涯の終わりに何が起こるかを確かめよう。
本当に彼が神の子なら、助けてもらえるはずだ。
敵の手から救い出されるはずだ。
暴力と責め苦を加えて彼を試してみよう。
その寛容ぶりを知るために、
悪への忍耐ぶりを試みるために。
彼を不名誉な死に追いやろう。
彼の言葉どおりなら、神の助けがあるはずだ。」
神を信じない者はこのように考える。
だが、それは間違っている。
悪に目がくらんでいるのだ。」
 

諸民族の未来の信仰について(ペン・シラ36・1~4) 
「万物の神である主よ、わたしたちを憐れんでください。
すべての異邦人にあなたへの畏れを抱かせてください。
御手を異邦の民に向けて上げ、御力を目の当たりに見せてやってください。
わたしたちにとって、あなたが聖であることを、彼らに示されたように、
彼らに対しても、あなたが偉大であることを、わたしたちに示してください」。
 

教会について(箴言1・11~13)
彼らはこう言うだろう。「一緒に来い。待ち伏せして、血を流してやろう。罪もない者をだれかれかまわず隠れて待ち、陰府のように、生きながらひと呑みにし、丸呑みにして、墓穴に沈めてやろう。
 

教会について(箴言9・1~6) 
知恵は家を建て、七本の柱を刻んで立てた。獣を屠り、酒を調合し、食卓を整え、はしためを町の高い所に遣わして、呼びかけさせた。「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」意志の弱い者にはこう言った。「わたしのパンを食べ、わたしが調合した酒を飲むがよい。浅はかさを捨て、命を得るために、分別の道を進むために。」 

地の国、神の国について(コヘレト10・16~17)
「いかに不幸なことか、王が召し使いのようで、役人らが朝から食い散らしている国よ。いかに幸いなことか、王が高貴な生まれで、役人らがしかるべきときに食事をし、決して酔わず、力に満ちている国」 

11章 ソロモン以後の王たち 

ユダ王国においても、イスラエル王国においても、ソロモン以後の他のヘブライ人の王たちが、キリストと教会に関係したことを預言した跡はほとんど見出されない。

ソロモンの子レハベアムの時代に、イスラエル統一王国は、ヤラベアム王とする北のイスラエル王国、レハベアムを王とする南のユダ王国に分裂する。

ユダの国王レハベアムが、分裂された王国を戦争によって取り戻そうとした時、神は預言者を通じて、民の分割は自分がしたのであると言って、民に兄弟と戦うことを禁じた。

そこで、このことは、イスラエルの王にも民にも罪はなく、ソロモンの罪に対して罰を与えようとする神の意志が成就したのだということが明らかになった。そのことを知って、どちら側も互いに平和を保った。分割されたのは信仰ではなく、王国だったからである。 

12章 ヤラベアムの偶像礼拝 

イスラエル王国ヤラベアムは、神が彼に約束し(王上11・31)、与えてくれたことによって、真実なかたであることを十分認めていたにもかかわらず、心が邪悪で、神を信じなかった。彼は、民がエルサレムの神殿に行くことによって、彼から離れユダ王国のものとなることを恐れた。

そこで、自分の王国に偶像を建て、民に拝ませた。しかし、神は、この王に対してばかりでなく、彼の背信をまねた後継者たちや、民に対しても、預言者を通じ非難することをやめなかった。この偉大な預言者たち、エリアとエリシヤは、多くの不思議なわざも行った。 

13章 両王国の有意転変 

エルサレムに属するユダ王国においても、後を継いだ王たちの時代に預言者が絶えることはなかった。神は、彼らを用いて、必要なことを告知し、あるいは罪を咎め、正義を勧告した。実際、この国はイスラエル王国よりはるかに少なかったが、自分たちの背信により神を怒らせ、同じような民と共に、適切な鞭によって罰せられねばならない王たちが出たのである。

この国では、敬虔な王たちの功績は少なからず賞賛されていたが、イスラエルにおいては、程度の差こそあれ、すべての王が非難されているのがわかる。イスラエル王国は、内乱が絶えず、さらに外国から度重なる攻撃を受けた末、紀元前721年、アッシリアに滅ぼされることになる。一方、ユダ王国は、紀元前586年に新バビロニア王国に滅ぼされる。

こうして二つの国は、神の摂理が命じたり、許したりするのに応じてさまざまに繁栄し、逆境にあった。また外敵との戦いによるばかりでなく、互いの内戦によっても痛めつけられていたが、それによって神の憐みや怒りが明らかになるためであった。

両国は滅ぼされた後、イスラエル王国の民のほとんどはアッシリアの地に、ユダ王国の民は70年間捕囚生活を送った。その後、そこから帰されて、彼らは破壊された神殿を再建した。

多くの者はなお外国の地に留まったが、これ以後は、二つの王国は存在しなくなった。エルサレムにおいて、彼らの君主は一人であり、そこにある神殿へは全地に散った者が定まった時にやって来るようになった。 

14章 最後の預言者たち 

バビロニアから帰還の頃の預言者マラキ、ハガイ、ゼカリヤ、エズラの後には、救い主の来臨に至るまで、預言者はいなかった。

ただキリストの誕生が近い時、ヨハネの父ザカリアとその妻エリザベツ、そしてキリストが生まれてから、老シメオンと老いたやもめのアンナ、最後にヨハネがいる。

青年ヨハネは、すでに青年となっていたキリストの来るべき人として預言したのではなく、預言的な知識をもって、まだ知られていないキリストを証したのである。それゆえ、主ご自身が律法と預言はヨハネの時までと語っているのである。