1、第一の歌の第一行目をあげ、初心者の不完全について語る

霊魂が、神に奉仕しようと固く決意して自分を改め始めると、神は普通、この霊魂を霊において育て、ちょうど愛に満ちた母親が、か弱い幼子に対するように慈しまれる。母は、その胸の熱でもって子供を温め、おいしい乳と、やわらかくて甘い食物で彼を養い、腕に抱いて喜ばせる。しかし、子供が成長するにつれて、母親は甘やかせることを止め、やさしい愛を隠し、甘い乳房に苦い汁を塗って腕から降ろし、自分の足で歩かせる。神も、ちょうどこれと同じことをする。最初に神は、霊魂に、やさしい愛の母乳を与え、霊魂に少しも苦労させずに、霊的乳が甘く味の良いものであることを見出させ、霊的修練においては、大きな喜びを持つように計らう。こうなると霊魂は、長時間、あるいは一晩中でも、祈りのうちに過ごすことに喜びを感じるようになる。彼の喜びは苦業であり、彼の満足は断食に、そして、彼の慰めは秘跡を受けることと、神的なことに与ることのうちにある。霊的な人々は、これらのことに非常に効果的に、熱心に与り、大変注意深く、慎重にこれらを行うが、大抵の場合、霊的に非常に力なく不完全な態度をとる。なぜなら、彼らは、そこに見出す慰めや喜びのために霊的修練へ赴き、また、徳において、激しい戦いの修練に熟達していないため、彼らの霊的業は多くのあやまりや不完全を伴っているからである。このことが一層よくわかるため、また、これらの初心者たちが、どれほど徳に欠けているかを明らかにするために、主だった七つの罪源によってこれを指摘し、それぞれの中に含まれている多くの不完全さのうちのいくつかを述べよう。