4 罪の重さ、大罪と小罪

罪の軽重を考えることも必要です。大罪と小罪との区別はすでに聖書に示されてはいますが、教会の聖伝の中でよりはっきりしたものとなりました。そして、さらに人間の経験によってその裏づけがなされています。

大罪は、神のおきてに対する重大な違反によって、人間の心にある愛を破壊します。人間は神よりも低い何かを神に優先させることにより、自分の究極目的であり至福でもある神から遠ざかります。
小罪は、愛に背き、愛を傷つけはしますが、愛を破壊するものではありません。

大罪はわたしたちのうちにある愛といういのちの源を破壊するので、神のあわれみの新たな働きかけと回心とが必要となります。この回心は通常、ゆるしの秘跡の中で行われます。
「それ自体が人間が目指す究極目的である愛徳と相反することがらに意志が向かうときには、その対象ゆえに大罪に値することになります。……神への愛に背く冒濱や偽証に類するもの、あるいは隣人愛に背く殺人や姦淫などがそうです。……しかし、罪を犯す人の意志が、それ自体は過ちであるけれども神への愛や隣人愛には相反しないことがら(たとえばむだ口やばか笑いなどのようなもの)に向かうときには、小罪となります」。

罪が大罪となるには、三つの条件がそろわなければなりません。「重大なことがらについて、しかも、はっきり意識して、意図的に行われた」罪が大罪となります。

重大なことがらというのは、イエスが金持ちの青年に回答された、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」(マルコ10∙19)という十戒に明示されています。大罪にも軽重があります。たとえば、殺人は盗みよりも重いものです。被害者の質についても考慮に入れる必要があります。たとえば、肉親に対する暴力はそれ自体、他人に対する暴力よりも重くなります。

大罪になるためには、十分な知識と完全な同意とが必要です。行おうとしていることが罪であり、神のおきてに反するということをあらかじめ知っていることが前提となります。また、熟慮の末に本人自身が認識した上で行われたものであるということも前提となります。しかし、無知を装い、心をかたくなにして行われたものであれば、その人の罪は、ますます重いものとなります。

自由意志によるものではない無知のために、重大な過ちの責任が減少されるか、免除されることがありえます。しかし、すべての人問の良心に刻まれた道徳律を知らない人はいないはずです。感覚の衝動や情熱、外圧や病理学的な障害もまた、過ちを犯した人の意志に影響を及ぼして、責任を軽くすることがあります。悪意による罪、悪を意図的に選択して犯す罪はもっとも重いものです。

大罪は、愛そのものと同じように、基本的には人間の自由意志によって選び取ることが可能なものです。大罪は愛を喪失させ、成聖の恩恵、すなわち恵みの状態を失わせます。悔い改めと神のゆるしとによって取り除かれない限り、キリストのみ国から追放され、地獄という永遠の死を招きます。わたしたちは自由意志によって、撤回できない永遠の選択をすることができるからです。ただし、わたしたちは、たとえある行為がそれ自体大罪であると判断できたとしても、それを犯した人間についての判断は神の正義とあわれみとにゆだねなければなりません。

小罪を犯すのは、小さなことがらについて、道徳律によって定められた尺度を守らないとき、あるいは、重大なことがらについて、十分な認識または完全な同意なしに道徳律に従わないときです。

小罪は愛を弱めます。それは現世的なものへの乱れた愛着を表すものであり、徳を修め倫理的善を行う霊魂の進歩を妨げ、有限の苦しみ(罰)を受けるに値するものです。意図的に小罪を犯し、悔い改めないままでいると、徐々に大罪を犯す傾向へと流されていきます。とはいえ、小罪は神との契約を破るものではなく、「成聖の恵みや神との友愛、愛徳や永遠の至福などを失わせるものではありません」。神の恵みによって、人間の努力で償うことができるものです。
「人間は現世に生きる限り、あらゆる罪、少なくとも小罪を避けることはできません。しかし、小罪といわれるこの罪を無害のものとみなしてはなりません。その重さを量って無害とみなしたとしても、数を数えて、おののきなさい。ちりも積もれば山となり、一滴の水が集まって大海となり、粒も集まれば小山となります。それでは、わたしたちの希望はどこにあるのでしょう。何よりもまず、罪を告白することです……」。

「人が犯す罪や冒濱は、どんなものでもゆるされるが、”霊”に対する冒漬はゆるされない」(マタイ12∙31)。神のあわれみに限界はありません。しかし、悔い改めて神のあわれみを受けようとしない者は、自分の罪のゆるしと聖霊によって差し出される救いとを拒否しているのです。このようなかたくなな心を持っていれば、悔い改めないままで終わりを迎え、永遠の滅びへ至ることにもなりうるのです。