1 あわれみと罪

福音とは、罪びとに対する神のあわれみについての、イエス・キリストにおける啓示です86。天使はヨセフに、「その子をイエスと名づけなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」(マタイ1∙21)ということばで、福音を告げています。あがないの秘跡である聖体の秘跡も、やはり福音なのです。「これは、罪がゆるされるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(マタイ26∙28)。

神は「あなたをあなたなしにお造りになりましたが、あなたなしにあなたをお救いになることはありません。神のあわれみを受けるためには、わたしたちは自分の過ちを告白することが必要です。「自分に罪がないというなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。自分の罪を公にいい表すなら、神は真実で正しいかたですから、罪をゆるし、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます」(一ヨハネ1∙8-9)。

聖パウロが断言するとおり、「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」(ローマ5∙20)。しかし、恵みがその働きをまっとうするためには、わたしたちを回心させ、わたしたちに「わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠のいのちに導く義」(ローマ5∙21参照)を授けるために、罪を明るみに出さなければならないのです。傷の手当てをする前に調べる医者のように、神は、みことばと霊とによって、罪をありありと照らし出されます。
「回心は罪についての納得を要求し、良心についての判断が回心そのものの中に包含され、さらに、承認は人間の奥深いところにおける真理の霊の働きであるので、回心は同時に、恵みと愛の贈与の新しい始まりとなります。すなわち、『聖霊を受けなさい』とあるとおりです。こうして、『罪について明らかにすること』に、わたしたちは二重の贈与を見いだします。すなわち、良心についての真理のたまものと、あがないについての確実性のたまものです。真理の霊は弁護者なのです」。