6 家庭教会

キリストはヨセフとマリアとによって構成される聖家族の庇護の中で生まれ、育てられることを望まれました。教会は「神の家族」にほかなりません。当初から、教会の中核はしばしば、「一家をあげて」信者となった人々によって構成されていました。彼らは信者になると、「一家こぞって」救われることを望みました。信者となったこれらの家族が、不信仰者の間でのキリスト教生活の拠点であったのです。

しばしば信仰とは無縁で敵意さえ持つ現代社会にあって、信者の家族は生き生きと輝く信仰の家庭としてきわめて重要なものです。このためにこそ、第2バチカン公会議は、昔のことばを用いて、家族を家庭教会と呼んでいます。家族の庇護の中で、両親は「ことばと模範をもって子供たちのために信仰の最初の使者となり、子供のおのおのに特有な召命を育て、とりわけ聖職の召命を特別な配慮をもってはぐくむようにしなければなりません」。

家庭は、父親、母親、子供、および家族全員が、「諸秘跡の拝受、祈り、感謝、聖なる生活のあかし、自己放棄、行動的な愛をもって」信者の共通祭司職を行使する、最適の場所です。したがって、家庭はキリスト教的生活の最初の学校、「豊かな人間形成の学校」なのです。そこでわたしたちは、忍耐力、仕事の喜び、兄弟愛、寛容で幾度も繰り返されるゆるし合い、そしてとくに、祈りや自分のいのちをささげることによる敬神を学びます。

このほかに、何らかの事情のために、多くの場合は不本意ながら、独身生活を送ることを余儀なくされた多くの人たちがいます。彼らはとくにイエスが愛しておられる人々であり、それだけに、教会とくに司牧者の温かい配慮を受けるに値する人たちです。彼らの多くは貧困のゆえに普通の家族を持たない人たちです。その中には真福ハ端の精神に従い、神と隣人とに模範的に仕えながら自分たちの境遇を生きていく人たちもいます。これらのすべての人に、「家族教会」としての家族の扉を、そして大きな家族である教会の扉を開かなければなりません。「世界に家庭のない人はいないはずです。教会はすべての人にとって、とくに『疲れた者、重荷を負う者』(マタィ11∙28)にとって、家庭であり家族です」。