5 キリスト者の生活に見られる悔い改めの多様な形

キリスト者の内面的悔い改めは、きわめて多様な形をとります。聖書や教父たちは、自分自身、神、および他人とのかかわりに関する回心を表す断食∙祈り∙施しという三つの形についてとくに力説しています。洗礼や殉教によって行われる根本的な清めのほかに、罪のゆるしを得る手段として、隣人と和解する努力、悔い改めの涙、隣人の救いへの配慮、聖人たちの執り成し、「多くの罪を覆う」(一ペトロ4∙8)隣人愛の実行、などを挙げています。

回心は日常生活の中での、和解の行為、貧しい人々への心遣い、正義の行い、他人の権利の擁護、他人への過ちについての告白、兄弟の回心を目指す忠告、生活の見直し、良心の究明、霊的指導、忍苦、義のために迫害を忍ぶことなどによって実現されます。日々自分の十字架を担ってイエスに従うことが、悔い改めのもっとも確かな道です。

エウカリスチアと悔い改め。日常の回心と悔い改めはエウカリスチアをその源泉、養分とするものである、ということが分かります。エウカリスチアのうちに、わたしたちを神と和解させてくださったキリストのいけにえが現在化されるからです。キリストのいのちを生きる人々はそれに養われ、強められます。それは、「わたしたちを毎日の過ちから解放し、大罪から守る解毒剤」です。

聖書を読むこと、教会の祈り、「主の祈り」を唱えること、心からの礼拝や信心業を行うことなどはすべて、わたしたちのうちに回心と悔い改めの精神を新たにし、罪のゆるしへとわたしたちを導いてくれます。

典礼暦の悔い改めの時と日(四旬節、イエスの死を記念する各金曜日)は、教会が悔い改めを行うのに最適の時期です。黙想会、回心式、悔い改めのしるしとしての巡礼、断食、施しのような犠牲、助け合い(慈善や宣教事業)などを行うのにとくにふさわしい時です。

回心と悔い改めの過程については、「放蕩息子」のたとえの中でイエスがみごとに描写しておられます。その中心は「いつくしみ深い父」です。その息子は誤った自由を渇望し、家を出、財産をたちまち使い果たした後に窮状に陥り∙やむなく豚を世話しなけれはならなくなりました。そこで強い屈辱を感じましたが、さらに進んで、豚の食べるいなご豆で空腹を満たしたいとさえ考えるようになりました。ついに、失ったものについて反省、後悔して、父親の前で自分の過ちを認める決心をして、家に戻ります。父親は彼を寛大に迎え、大いに喜びます。このたとえには、回心と悔い改めの過程の特徴がよく表れています。りっぱな服や指輪や祝宴は、神のもとへ、また教会という家族の懐へと戻った人間の、清らかで、尊く、喜びに満ちた新しいいのちの象徴です。御父の愛の深さを知っておられるキリストのお心だけが、わたしたちにそのはかりしれないあわれみをかくも簡潔に、また美しく明らかになさることができたのです。