2 洗礼の後になぜ和解の秘跡があるのか

「あなたがたは……主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています」(一コリント6∙11)。キリスト教入信の秘跡で与えられる神の恵みの偉大さを理解すれば、キリストを着ている者にとって、罪がいかに相いれないものであるかが分かるはずです。しかし、使徒聖ヨハネはこうも述べています。「自分に罪がないというなら、自らを欺いており、真理はわたしたちのうちにありません」(一ヨハネ1∙8)。キリストご自身、「わたしたちの罪をゆるしてください」(ルカ11∙4)と祈るように教えられました。しかも、わたしたちが相互にゆるし合うなら、神もわたしたちの罪をおゆるしになる、といって、この二つのゆるしを結びつけられました。

わたしたちは、キリストヘの回心、洗礼による新たな誕生、聖霊のたまもの、キリストのからだと血の糧によって、「神のみ前で」(エフェソ1∙4)聖なる者、汚れのない者となりました。キリストの花嫁である教会自体が、キリストのみ前で「聖なる、汚れのない」(エフェソ5∙27)ものであるのと同様です。しかし、キリスト者となった当初に受けた新しいいのちは、人間本性のもろさと弱さ、ならびに罪への傾きを停止させるわけではありません。この傾きは教会では伝統的に欲情と呼ばれており、受洗者がキリストの恵みに助けられ、キリスト者として生活しながらこの傾きと勇敢に戦うために、洗礼を受けた人々のうちにも残ります。この戦いは、主がたえずわたしたちを招いておられる聖性と永遠のいのちとを目指す、回心の戦いです。