11 ゆるしの秘跡の挙行

ゆるしの秘跡はすべての秘跡と同様に、典礼行為です。通常、その儀式は次のように行われます。司祭は告白者にあいさつし、祝福します。良心を照らし、痛悔の心を起こさせるために神のことばを朗読し、告白者に悔い改めを勧めます。告白者は自分の罪を認め、司祭に告白します。司祭は償いを科し、告白者はそれを受託します。司祭は罪をゆるし、神に感謝と賛美の祈りをささげ、告白者を祝福して終わります。

ビザンチン典礼には、ゆるしの神秘をみごとに表す嘆願形式のゆるしのことばがたくさんあります。「神は、預言者ナタンを介して罪を告白したダビデに、痛恨の涙を流したペトロに、イエスの足を涙でぬぐった遊女に、徴税人に、そして、放蕩息子にゆるしを与えられました。その同じ神が、罪びとであるわたしを通して、この世でもあの世でもあなたの罪をゆるし、あなたがその恐るべき裁きの庭に出頭するとき、あなたを罰せられることがありませんように。神は代々にたたえられます。アーメン」。

ゆるしの秘跡はまた、共同回心式の中で行うことができます。この場合は、ともに告白の準備を行い、いただいたゆるしをともに感謝します。個人の罪の告白とゆるしとは神のことばの典礼の中で行われますが、そのことばの典礼では、聖書朗読と説教、共同で行われる良心の究明、ゆるしを求めるための共同の祈り、「主の祈り」、共同の感謝なども行われます。共同回心式は悔い改めの教会的性格をより明確に表します。ただし、どのような形式で行われるものであっても、ゆるしの秘跡はつねに、本質的に典礼行為、つまり、教会的で公の行為なのです。

重大な必要がある場合には、一般告白と一般赦免を伴う共同回心式を行うことができます。そのような重大な必要が生じるのは、死の危険が差し迫っていて、一人もしくは複数の司祭が各自の告白を聴く時間がないときです。また、告白者の人数から見て、妥当な時間で個別の告自をふさわしく聴くための聴罪司祭の数が不十分で、告白者側にとっては自分たちには落ち度がないのに、長期にわたってゆるしの秘跡の恵みを受けられなかったり、あるいは聖体拝領ができなくなるようなときです。その場合、ゆるしが有効となるためには、その後適切なときに自分の大罪を個人的に告白するという意図を信者が持つ必要があります。共同のゆるしを行うための必要な条件が満たされているかどうかについては、教区司教が判断しなければなりません。大きな祝祭日あるいは巡礼の機会などに大勢の信者が集まっているような場合は、この重大な必要というものには該当しません。

「そのような告白が物理的に、あるいは常識的に判断して不可能な場合を除けば、信者が神や教会と和解する唯一の通常の方法は、正しく行われる個別告白と個別赦免です」。これには深い理由があります。キリストはすべての秘跡において働いておられます。罪びとの一人ひとりに、「子よ、あなたの罪はゆるされる」(マルコ2∙5)といわれるのです。キリストは、ご自分を必要とする一人ひとりの病人をいやすために全身全霊を傾けられる医者です。そして、罪びとを再起させ、兄弟的な交わりに再び加えられます。したがって、個別告白は、神や教会と和解するためのもっとも意味深い形なのです。