8 要約

イエスはいわれます。「わたしは、天からくだって来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。……わたしの肉を食べ、その血を飲む者は永遠のいのちを得、……いつもわたしのうちにおり、わたしもまたいつもその人のうちにいる」(ヨハネ6∙51,54,56)。

エウカリスチアは教会生活の中心でも、頂点でもあります。なぜなら、エウカリスチアにおいて、キリストはご自分の教会とそのすべての成員を、ただ一度十字架上で御父にささげられた賛美と感謝のいけにえに結びつけられるからです。このいけにえによって、キリストは教会であるご自分のからだに救いの恵みを注がれます。

エウカリスチアにはつねに、神のことばの宣言、すべての恩恵、とくに御子をたまものとしてお与えくださった恵みのゆえに父である神にささげる感謝、パンとぶどう酒の聖別、および、主のからだと血をいただく会食への参加,という要素が含まれています。以上の要素が、唯一の同じ祭儀を成り立たせているのです。

エウカリスチアはキリストの過越の記念です。すなわち、キリストの生涯、および死と復活によって成し遂げられた救いのわざの記念であり、それが典礼行為によって現在化されるのです。

新約の永遠の大祭司キリストご自身が、司祭たちの務めを通して、エウカリスチアのいけにえをささげられます。また、このいけにえの供え物も、パンとぶどう酒の形態のもとに現存される同じキリストです。

有効に叙階された司祭のみがエウカリスチアを司式し、キリストのからだと血になるようにパンとぶどう酒を聖別することができます。

この秘跡の基本的なしるしは麦で作られたパンとぶどう酒であり、その上に聖霊の祝福が呼び求められ、司祭は最後の晩さんの間にイエスがいわれた「これはあなたがたのために渡されるわたしのからだである。……これはわたしの血の杯である」という聖別のことばを唱えます。

聖別によって、パンとぶどう酒の実体はキリストのからだと血の実体に変わります。聖別されたパンとぶどう酒の形態のもとに、生きておられる栄光のキリストご自身が真に、現実に、実体的に、からだと血、霊魂と神性ともども現存されます。

エウカリスチアは、生者と死者の罪を償い、霊的または物的恵みを神からいただくためにもいけにえとしてささげられます。

聖体拝領によってキリストをいただきたい者は、成聖の恩恵の状態になければなりません。大罪を犯したことを自覚している者は、聖体を拝領する前に、ゆるしの秘跡によってそのゆるしを受けなければなりません。

キリストのからだと血を拝領することによって、本人とキリストとの一致が強められ、小罪がゆるされ、大罪から守られます。また拝領者とキリストとの愛のきずなが固められるので、聖体拝領はキリストのからだである教会そのものの一致をも強化します。

教会は信者に、エウカリスチアの祭儀にあずかるときには聖体を拝領するよう強く勧めています。少なくとも年に一度の聖体拝領が信者の義務となっていをす。少なくとも年一度の聖体拝領が信者の義務となっています。

キリストご自身が聖体の秘跡に現存しておられるので、わたしたちは聖体を礼拝しなければなりません。「聖体訪問はわたしたちの主キリストに対する感謝の表明、愛のしるし、礼拝の務めです」。

キリストはこの世から御父のもとに移られたので、わたしたちがキリストのもとで栄光を受ける保証として、エウカリスチアをわたしたちに与えてくださいます。わたしたちは聖なるいけにえにあずかることによって、キリストの心と一つになり、この世の旅路で力づけられ、永遠のいのちを希求し、この世にありながらすでに天上の教会、聖なるおとめマリア、すべての聖人たちと結ばれます。