4 エウカリスチアの典礼祭儀

あらゆる時代のミサ

2世紀の聖体祭儀の式次第の大要については、殉教者聖ユスチノの証言が残されています。その大要は、今日まで教会のすべての典礼様式の伝統に受け継がれてきています。以下の文書は、キリスト者が行っていることに関して聖ユスチノが異教徒の皇帝アントニヌス∙ピウス(138-161に説明するために155年ごろにしたためたものからの引用です。
「太陽の日と呼ばれている日に、町や村に住むすべての人は、一つ所で集会を催して、時間がゆるすかぎり、使徒たちの記録や預言者たちの種々の書物を読みます。
朗読者が読み終わると、指導者がこのような美しいことがらを見習うようにと、ことばをかけて励まします。
それから一同は等しく起立し、祈りをささげます」
「わたしたち自身のため、……また至るところのあらゆる人々のために、わたしたちの正しい生活と行為、また、おきてを忠実に守っていることが認められ、永遠のいのちを得るようにと祈るのです。
祈りが終わると、わたしたちは互いに接吻を交わします。
その後指導者のもとに、パンと、ぶどう酒と水が入った杯が運ばれてきます。
指導者はこれらを取り、御子と聖霊の名によって天にいます宇宙万物の創造主に賛美と栄光を帰して、わたしたちがこのようなたまものに値するものとみなされたことについての心からの感謝を(エウカリスティアンεύχαριστίαν)ささげます。
指導者が祈りと感謝を唱えた後、会衆一同は喜びを込めてアーメンと叫びます。
……司式者が感謝をささげ、会衆が応唱した後、わたしたちの間で助祭と呼ばれる者たちが列席者一入ひとりに『感謝がささげられた』(エウカリステセントスεύχαριστηθέντος)パンとぶどう酒と水を配り、不在者には持って行きます」。

エウカリスチアの典礼(感謝の祭儀)は、昔から今日まで維持されてきた基本的な構造に従って行われます。それは二つの部分に分けて展開されますが、根本的には一つの流れです。
――信者が集まって行われることばの典礼、すなわち、朗読、説教、共同祈願。
――感謝の典礼、すなわち、パンとぶどう酒の奉納、聖別のための感謝の祈り、聖体拝領。
ことばの典礼と感謝の典礼とは一つになって、「一つの礼拝行為」を形づくります。感謝の祭儀でわたしたちのために準備された食卓は、神のことばの食卓であると同時にキリストのからだの食卓でもあります。

そこには、復活されたイエスが二人の弟子たちと取られた過越の食事の展開そのものが見られはしないでしょうか。道を歩きながらイエスは彼らに聖書を説明し、それから、ともに食事の席に着いて、「パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」のです。

式次第

全員の集合。キリスト者は感謝の祭儀のために、一堂に会します。集会の長は祭儀の主宰者キリストご自身です。キリストは新しい契約の祭司で、目には見えなくても祭儀全体を自ら主宰されます。司教または司祭は、キリストに代わって(頭であるキリストの代理者として)集会を司式し、朗読の後に説教し、供え物を受け、奉献文を唱えます。全員がそれぞれに祭儀の中で、朗読者、供え物を運ぶ者、聖体を配る者、またアーメンによって参加を表明する全会衆として積極的に役割を果たします。

ことばの典礼では、「預言者の書」すなわち旧約聖書と、「使徒たちの回想録」つまり使徒たちの手紙と、福音書が朗読されます。説教は、このことばを実際の神のことばとして受け入れ、これを実行するように励ますものです。続いて、すべての人のために執り成しの祈りが行われます。これは、「まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい」(一テモテ2∙1-2)という使徒パウロのことばに基づくものです。

供え物の奉納。パンとぶどう酒が祭壇に運ばれます。これは、時としては行列をして行われます。このパンとぶどう酒はエウカリスチアのいけにえにおいてキリストのみ名で司祭によってささげられ、キリストのからだと血になるものです。最後の晩さんで「パンと杯を取られた」キリストと同じ行為をするのです。「教会だけが、神の被造物の中からこの清いささげものを感謝をもって創造主にささげています」。祭壇への供え物の奉納はメルキゼデクの行為に倣うもので、創造主のたまものをキリストのみ手にゆだねるのです。キリストは、犠牲をささげようとする人間のすべての試みをご自分の犠牲の中で完成させてくださるのです。

当初から、キリスト者はエウカリスチアのためのパンとぶどう酒のほかに、困っている人々への施し物を持参していました。この施し物を集める(募金の)習慣は、わたしたちを豊かにするために貧しくなられたキリストの模範に基づいた、つねに意義あるものです。 「豊かな者は、各自、自発的に望みに応じて施しをします。寄進は指導者のもとに集められ、指導者自身が孤児たちや寡婦、病気などの理由で必要に迫られている人々、また牢獄に入れられている人々、寄留者たち、つまり、必要に迫られているすべての人を援助します」。

奉献文(アナフォラ)。エウカリスチアの祈り、すなわち感謝と聖別の祈りで、祭儀はその中心および頂点に達します。 叙唱で教会は、そのすべてのわざ、創造、あがない、聖化のゆえに、キリストによって聖霊のうちに、御父に感謝をささげます。そのとき、全会衆は、天使と聖人とからなる天上の教会が至聖なる神にささげる絶え間ない賛美に声を合わせます。

聖霊の働きを求める祈り(エピクレシス)で教会は、パンとぶどう酒の上に聖霊(あるいは御父の祝福の力を遣わしてくださるように御父に祈ります。それは聖霊の力によってパンとぶどう酒がイエス・キリストのからだと血になり、エウカリスチアにあずかる人々がただ一つのからだ、ただ一つの心となるためです(ある典礼伝承では、エピクレシスはアナムネシスの後に来ます)。
制定の叙述では、キリストのことばと行為の力ならびに聖霊の力が、十字架上でただ一度いけにえとしてささげられたイエス・キリストのからだと血を、パンとぶどう酒の形態のもとに秘跡的に現存させます。

それに続く記念(アナムネシス)で教会は、イエス・キリストの受難、復活、昇天の記念を行い、わたしたちを御父と和解させてくださる御子のささげ物を御父にささげます。
取り次ぎの祈りで教会は、この祭儀グ天と地の全教会、生ける人、死せる人、また教会の牧者である教皇、教区司教、その司祭と助祭、ならびに全世界のすべての司教とその司教のもとにある教会との交わりのうちに行われていることを表明します。

主の祈りとパンを裂いた後に行われる聖体拝領(コムニオ)で、信者は「天からのパン」と「救いの杯」、すなわち、「世を生かすため」(ヨハネ6∙51)にご自分を渡されたキリストのからだと血をいただきます。 このパンとこのぶどう酒は昔からの表現では「エウカリスチアされたもの(感謝の祈りが唱えられたもの)」と呼ばれています。そして次のように説明されています。「この食物を、わたしたちはエウカリスチアと呼んでいます。これにあずかるには、まずわたしたちの教えを真実なものと信じ、罪のゆるしと新たに生まれるための洗礼を受けており、かつキリストが教えたように生活している者であることが肝要で、それ以外の人にはだれにもゆるされていません」。