第2章 神のひとり子 イエス・キリストを信じます

神は御子を遣わされたという福音

「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法のもとに生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者をあがない出して、わたしたちを神の子となさるためでした」(ガラテヤ4∙4-5)。これこそ、神の子イエス・キリストの福音なのです。すなわち、神はその民を訪れ、アブラハムとその子孫にされた約束を果たされました。しかも、それはあらゆる予想を上回るものでした。ご自分の愛する子を遣わされたのです。

わたしたちは信じ、公言します。皇帝アウグストゥス1世、ヘロデ大王のときに、ベツレヘムでイスラエルの一人の娘からユダヤ人として生まれ、大工を職とし、皇帝ティベリウスの治下、総督ポンティオ∙ピラトの命により、エルサレムで十字架につけられ、死んだナザレのイエスは、人となられた神の永遠の御子です。イエスは「神のもとから来〔られた〕」(ヨハネ13∙3)かた、「天からくだって来た者」(ヨハネ3∙13、6∙33)、肉となって来られたかたです。「ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。……わたしたちは皆、このかたの満ちあふれる豊かさの中から,恵みの上に、さらに恵みを受けた」(ヨハネ1∙14,16)といわれているとおりです。

わたしたちは聖霊の恵みに動かされ、御父に引き寄せられて、イエスが「キリスト、生ける神の子」(マタイ16∙16参照)であると信じ、公言します。聖ペトロが告白したこの信仰の岩の上にこそ、キリストはご自分の教会を建てられたのです。

キリスト教の信仰を伝えるとは、まず、イエス・キリストを告げ知らせて、キリストヘの信仰に導くことにあります。当初から、最初の弟子たちはキリストを告げ知らせる望みに燃え立っていました。「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」(使徒言行録4∙20)。弟子たちは、あらゆる時代の人々がキリストとの交わりの喜びをともにするように招きました。 「わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、いのちのことばについて。一このいのちは現れました。御父とともにあったが、わたしたちに現れたこの永遠のいのちを、わたしたちは見て、あなたがたにあかしし、伝えるのです。一わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです」(一ヨハネ1∙1-4)。

カテジークスの中心はキリストである

「要理教育の概念の中には、「父のひとり子……亅ナザレのイエス・キリスト自身が含まれていることをまず認めなければなりません。このキリストは、わたしたちのために苦しみ、そして死なれましたが、すでに復活されたので、わたしたちとともにつねに生きておられます。一……要理教育を施すということは、……キリスト自身において実現された神の不変の計画をそのキ.リストにおいて明らかにすることにほかなりません。それはまた、キリストのわざとことばの意味とキリストが行われたしるしの意味とを理解するよう努めることです」。カテケジスの目的は「キリストとの交わり……に入るところにあります。……キリストだけがわたしたちを聖霊において父の愛に導き、至聖三位の生活にあずからせることができます」。

「要理教育においては、神のみ子、託身のみことばキリストが伝えられ、ほかのものはキリストにかかわりがある限り教えられ、またキリストだけが教え、ほかの人は、キリストの代理者……として、キリストがその人の口で語る限りで教えるものです。……『わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになったかたの教えである』(ヨハネ7∙16)というキリストの不思議なことばはすべての要理教師に当てることができるはずです」。

したがって、キリストを伝える使命を受けた者は、まず、「キリストを知ることのすばらしさ」を求めなければなりません。「キリストを得、キリストのうちにいる者」となるため、「すべてをちりあくたとみなし」、「キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達し」(フィリピ3∙8-11)なければなりません。

キリストヘの愛に燃える知識から、キリストを告げ知らせ、「福音を告げ」、他の人々をイエス・キリストヘの信仰に導きたいという願望が生じるのです。同時に、この信仰をますますよく知る必要を感じます。これを目指して、信条の順序に従い、まず、イエスのおもな称号(呼び名)である、キリスト、神の子、主、についての説明がなされます(第2項)。次いで信条は、キリストの生涯のおもな神秘である受肉(第3項)、死と復活(第4、5項)、最後に、栄光化(第6、7項)という順序で進められます。