3 いさおし(功徳)

「あなたは聖人たちの集いの中での栄光をお受けになります。あなたは聖人たちのいさおしに報いを与えることによって、ご自身のたまものに報いをお与えになります」

「いさおし」とは、一般に、ある団体または社会が、善行あるいは非行などのために報奨あるいは罰に値するとみなされる所属員の行為に対して与える、しかるべき報いを意味します。いさおしは、相等性の原理のもとにある、正義の徳の一つです。

厳密な意味では、神の前では人間にはいさおしというものはありえません。わたしたちは創造主である神からすべてをいただいているので、神とわたしたちとは想像することさえできないほど不平等なのです。

神のみ前でキリスト教的生活をしている人間のいさおしは、神がお望みのままに人間を恵みのわざに恊力させてくださったことによるものです。まず最初に、父としての行為から生じる神のわざがあり、これに協力する人間の自由な行為は次に来ます。したがって、よい行いのいさおしは、まず神の恵みに、その後で、信者に帰せられなければなりません。もっとはっきりいえば、人間のいさおし自体が神に帰すべきものなのです。人間のよいわざは、キリストにおける聖霊の先行的恵みと助けとに由来するものだからです。

わたしたちは恵みにより、神の養子となって神の本性にあずかるものとされたので、神の無償の正義に基づいて、わたしたちのいさおしを真のいさおしにしていただけるのです。そこに恵みによる権利、愛のまったき権利が生じ、わたしたちはキリストの「共同相続人」、永遠のいのちの約束された遺産を得るにふさわしい者としていただくことになります。わたしたちのよいわざのいさおしは、神のいつくしみのたまものです。
「先に恵みが与えられていましたので、今そのお返しをいたしましょう。……あなたのいさおしとは神のたまものなのです」。

回心やゆるし、義化の根源には、まず神の発意による恵みがあるのですから、最初の恵みを得るに値する人物などだれ一人いません。わたしたちは、まず聖霊と愛の働きに動かされた後で、自分自身や他の人々のために、聖性、恵みや愛の成長、永遠のいのちを得るために役立ついさおしを立てることができるのです。健康や友情のような現世的なことがらについては、神の英知に基づいたいさおしを立てることができます。キリスト者はこれらの恵みやたまものを祈り求めることができます。祈ることによって、いさおしとなる行為に必要な恵みをいただくことができるのです。

神のみ前にあってわたしたちのすべてのいさおしの源となっているのは、わたしたちに対するキリストの愛です。恵みは、わたしたちを能動的愛でキリストに結びつけ、わたしたちの行為を超自然的なものにし、そのおかげで、わたしたちの行為は、人間の前だけではなく神のみ前でもいさおしのあるものにしていただけるのです。聖人たちはいつも、自分たちのいさおしがまったくの恵みであることを強く自覚していました。
「地上での追放の生活が終わったならば、天のふるさとであなたにまみえることができると期待しております。けれども、わたしは天国のためのいさおしを積み上げようとは思いません。あなたへの愛のためだけに働きたいのです。……この世のいのちの終わりに、わたしは空手でみ前に臨むつもりです。主よ、わたしの行いを数えてくださるようにとはお願いいたしません。すべてのわたしたちの義は、御目には汚れたものです。ですから、わたしはあなたご自身の義を身にまとい、あなたの愛によってあなたご自身を永遠にいただきたいのです……」。