8、この状態において霊魂を悩ます他の苦しみについて

しかし、ここには、霊魂をひどく悲しませたり、嘆かせたりするもう一つのことがある。それは、この暗夜が、霊魂の主能力や愛好を、このように付随にしたので、霊魂はもう、心や精神を神にあげることも、祈ることもできなくなっていることである。祈ることがあるとしても、それは、力もなく、味もないもので、神が自分の祈りに心を留められ、それを聞き入れてくださるとは思えない。この時期は、霊魂にとって神と語る時ではなく、むしろ、「もしかしたら、まだ望みがあるかもしれないので、口を塵につけて」(哀3・29)、忍耐深く、浄化を忍ばなければならない時である。ここで霊魂の中に、受動的に業を行っておられるのは神である。したがって、霊魂は何一つすることができない。それで、霊魂には祈ることも、神のことに専念することもできず、まして、この世の事柄や用事にたずさわることなど出来ないのである。そればかりでなく、多くの場合、ひどい散心や、深刻な記憶の喪失に陥り、何をし、何を考えたかもわからず、あるいは、今何をしているのか、何をしようとしているのかも知らないで長時間が過ぎ去るほどである。また、自分がしていることにいくら注意を払おうとしても、そうすることができない。

神との一致を目指して、その諸能力とともに、神的なものへ準備され、鍛えられるためには、霊魂は、まず諸能力とともに、観想のこの神的で、ほの暗い霊的光の中に吸い込まれる必要がある。この光は、霊魂の自然性を越えたものであるから、前に、霊魂が自然的光を通して獲得した知識や、自然的愛好をすべて奪い去り、霊魂を闇に包む。そして闇に閉ざすばかりでなく、霊的にも、自然的にも、諸能力および欲求に関しても空にする。神は、このように霊魂を、霊的な神的光で浄化し、照らすのであるが、霊魂には、自分が光を持っているようには考えられない。むしろ、霊魂は、闇の中にいる心地がする。