6、この夜の中で霊魂が忍ぶ苦しみの有様について

この霊の暗夜で、霊魂が忍ぶ苦しみと悩みは、神的なものと人間的なものとの二つの極端によって引き起こされる。神的なものとは、この浄化の観想であり、人間的なものとは、霊魂そのものである。神的な極端は、愛好や特性にかたく結び付けられている霊魂を赤裸にしながら、一新して神的なものにしようとして、霊魂を襲う。それによって神的な極端は、霊魂をとても深い闇の中に吸収しながら霊魂の霊的実体を破壊し、粉砕する。それで、霊魂は、残酷な霊の死によって、自分の惨めさの中に溶け去って、無に帰してゆくように感じる。

この痛み苦しむ霊魂が、ここで何よりも辛く感じることは、明らかに、神が自分を見捨てて、自分を憎み、闇の中に投げ込んでしまわれたと思えることである。神が自分を見捨ててしまわれたと考えることは、霊魂にとって、この上ない苦しみである。そして、これと同様に、すべての被造物からも捨てられ、それらすべてから、特に友人から蔑まれているのを感じる。

また、この闇に包まれた観想は、自分の奥底の貧しさと惨めさを痛感させる。なぜなら、霊魂は、自分の中に、自分を楽しませる三種類の善、つまり、現世的、自然的、霊的の三種類の善が、すっかりなくなり、貧しさと深い空虚さを痛感するからである。

この浄化を通して、神は霊魂を浄めるのであるが、霊魂のまん中にある愛好と言う錆が浄められ、けずりとられるためには、ある程度まで、霊魂そのものが無に帰せられ、破壊されることが必要である。それというのも、霊魂は、これらの欲情や不完全に変性してしまっているからである。それで、霊魂は、ちょうど、るつぼの中の金のように、この炉の中で浄化されるので、霊魂の中に、もの凄い破壊を感じるのである。そして、自分が、極度の貧しさの中に落ち込むように感じる。

彼らは煉獄におけるのと同じような仕方で、この世で浄化される。というのも、この浄化は、あの世で行われるはずのものだからである。したがって、この世で霊の暗夜を体験する霊魂は、もはや、あの場所へ行かないか、あるいは、たとえ、行ったとしても、ごく短い間だけ、そこに留まるにすぎない。なぜなら、この世での一時間の浄化は、あの世の数時間のそれよりも、ずっと効果的であるからである。