第1項 準秘蹟

「聖にして母なる教会は、そのほかに準秘跡を制定しました。これは、秘跡になぞらえて定められた聖なるしるしであって、これによっておもに霊的効果が表され、教会の祈りによってそれが与えられるものです。準秘跡は、人々に秘跡の主たる効果を受ける心構えを持たせ、また、これによって生活の種々の状況が聖化されるのです」。

準秘跡の諸特徴

準秘跡は教会によって制定されたもので、それは教会のさまざまな奉仕職、人々の多様な生活身分、キリスト者の生活のきわめて多岐におよぶ状況、および人間に役立つ事物の使用を聖化するためのものです。準秘跡はまた、司教の司牧的決定に従い、一地方あるいは一時代のキリスト者に固有の文化や歴史の必要にこたえることができるものです。準秘跡はつねに祈りを含み、しばしば、按手、十字架のしるし、聖水の注ぎ(洗礼の想起)などの一定のしるしを伴います。

準秘跡が誕生した要因は、洗礼に基づく信者の共通祭司職にあります。すなわち、すべての受洗者は自分自身が祝福となり、他の人々を祝福するように召されています。したがって、信徒も若干の祝福を行うことができます。祝福が教会的、秘跡的生活にかかわる度合いに応じて、その司式は叙階された役務者(司教、司祭または助祭)に限られてきます。

準秘跡は秘跡のように聖霊の恵みを授けるものではありませんが、教会の祈りによって人が恵みを受け、それにこたえるための準備をさせてくれるものです。はい心構えを持った信者のために、生涯におけるほとんどあらゆる出来事を聖化する働きを持っています。これは、キリストの受難と死と復活の神秘からわき出る神の恩恵によるものであって、すべての秘跡と準秘跡はその力をこの神秘からくみ取るのです。実に、物質的なものが正しく使用されれば、人間を聖化し、神を賛美する目的に向けることができないものはほとんどありません」。

準秘跡の種々の形

準秘跡の中には、まず祝福(人、食事、物、場所の)があります。すべての祝福は神への賛美であり、そのたまものをいただくための祈りです。キリスト者はキリストにおいて、父である神から、「あらゆる霊的な祝福で」(エフェソ1∙3)祝福されています。そのため教会は、イエスのみ名を呼び求め、通常はキリストの十字架の聖なるしるしをしながら祝福を与えます。

ある種の祝福は永続的な効果を持ち、ある人々を神のために奉献し、物や場所を典礼的なことだけのために使用できるようにさせます。人に関するもの一叙階の秘跡のものとは異なる一の中には、修道院の男女院長の祝福、おとめとやもめの奉献、修道誓願式、教会のある種の奉仕者(朗読奉仕者、祭壇奉仕者、カテキスタなど)の祝福などがあります。物に関する祝福の例としては、教会堂や祭壇の奉献ないし祝福、聖油、祭器具や祭服、鐘などの祝福が挙げられます。

教会がイエス・キリストのみ名により、公に権威をもって、人あるいは物が悪魔の支配から保護され、その支配力から引き離されることを求める式は、祓魔式と呼ばれます。イエスはそれを実行なさいました。教会は、イエスから祓魔の権能と務めを受けています。簡単な形では洗礼式のときに行われます。「大祓魔」と呼ばれる盛儀祓魔式は、司教の許可を得た司祭だけが行います。それは、教会が定めた規則を厳守して、慎重に行われなければなりません。祓魔式の狙いは悪魔を追放し、悪魔の支配から解放することにありますが、これはイエスがご自分の教会にゆだねられた霊的権能によるものです。病気、とくに精神的病気の場合は祓魔式を行わず、医学的治療にゆだねます。したがって、祓魔を行う前に、当人の苦しみの原因が病気ではなく、悪魔の働きであることを確かめる必要があります。

民間信仰

カテケージスを行う際には、秘跡の典礼や準秘跡のほかに、信者たちの信心や民間信仰の問題についても考慮しなければなりません。キリスト者の宗教的感情は教会の秘跡生活を中心にしながら、多様な信心業となって表れました。たとえば、聖遺物の崇敬、聖所訪問、巡礼、行列、十字架の道行、宗教舞踊、ロザリオ、メダイなどです。

これらの信心業は教会の典礼生活の延長ですが、これにとって代わるものではありません。
「これらの行事は、典礼季節を考慮して規整されるべきであって、典礼に合い、なんらかの意味で典礼に由来し、また典礼に信徒を導くものでなければなりません。典礼は本質的に、これらの行事にはるかにまさるものだからです」

民間信仰を維持し支援するには、司牧的識別が必要です。必要があれば、信心業のもととなっている宗教的感情を浄化し、矯正し、キリストの神秘についての知識を深めるようはからなければなりません。信心業の実践は、司教の配慮と判断、ならびに教会の一般的規範とに基づいて行われます。
「民間信仰は、本質的には、存在に関する大きな疑問にキリスト教的知恵をもって答えるさまざまな価値あるものから成り立っています。カトリック大衆の良識には、新しい生き方を作り上げる能力があります。すなわち、神的なものと人間的なもの、キリストとマリア、精神と肉体、任意の集まりと制度、個人と集団、信仰と祖国、知性と感情とを、創意をもって結び合わせます。この知恵は、いわばキリスト教的ヒューマニズムであり、神の子としてのすべての者の尊厳を徹底して承認し、根本的な兄弟愛を打ち立て、大自然に出合うことを学ばせ、労働を理解することを教え、過酷な生活のただ中にあっても喜んで機嫌よく生きるための理由を教えてくれます。この知恵はまた、大衆にとっては識別原理であり、福音的な本能のようなもので、この本能によって、大衆は、教会の中でいつ福音が尊重され、他の利益のためにいつその福音が空虚なものにされ、抑えつけられてしまうのかを自然に識別するのです」。

要約

準秘跡とは、教会によって制定された聖なるしるしであり、人々が秘跡の実りを受けることができるように準備させ、生活の多様な状況を聖化することを目指すものです。

準秘跡の中で重要な地位を占めるものは、祝福です。祝福には、そのわざとたまものとに対する神への賛美と、人々が福音の精神に従って神のたまものを用いることができるようにという教会の執り成しの祈りとが含まれています。

キリスト者の生活は、典礼のほかにも、さまざまな文化に根ざした多様な民間の信心業によって養われています。教会は信心業を信仰の光に照らして促進するように留意しながら、福音的な発想と人間の知恵を表し、キリスト教的生活をより豊かにする、種々の民間信仰を大切に見守っています。