2.至聖なるマリアのエリザベト訪問

聖マリアは立ち上がり、山村に急ぎ行き、ユダの町へ向かいました(ルカ一・三十九)。「立ち上がる」という表現は、聖マリアの眼に見える行動だけではなく、聖マリアの霊魂の動きと神の命令を意味しています。ダビデの言葉(詩編百二十三・二)のように、女主人の動きを注視し、命令を待つ婢として聖マリアは、いと高きかたの足下から立ち上がりました。聖エリザベトの胎に宿っているみ言葉の先駆者(洗者聖ヨハネ)を聖別することがこの旅の目的でした。山岳地帯にあるユダの聖ザカリアと聖エリザベトの家に向け、聖マリアと聖ヨゼフは旅立ちました。ナザレトから約百二十五キロの行程で、道の大部分はゴツゴツしており、所々で道がなくなっていて、きゃしゃで力が弱い王女には無理でした。この険しい道で助けてくれるものは一頭のロバだけでした。このロバは王女だけのためでしたが、王女は何回も降り、聖ヨゼフに代わるように勧めました。分別ある夫は決して王女の提供を受け付けませんでしたが、時々この王女を歩かせ、決して疲労困憊しないように注意しました。歩いて少しすると、夫は王女に対し心からの尊敬の気持ちを表し、ロバに乗るように勧め、王女は従いました。二人は人間と道連れになりませんでしたが、千位もの天使たちが至聖なるマリアの護衛についていました。天使たちの姿は聖マリアにしか見えませんでした。聖マリアは野原や山々にご自分の甘い芳香や、絶えず心に思っている神の賛美を充満させました。天使たちと話したり、交互に、神、創造、受肉の玄義についての讃美歌を歌いました。原罪の汚れなき御心は神の愛の熱烈さで燃えました。聖ヨゼフは沈黙を守り、愛すべき妻の霊魂の活動を見守りました。深く黙想しながら、妻の霊魂の思いを知ることができました。ある時は、二人は霊魂の救い、主の慈悲、救い主の来臨、主についての預言やいと高いお方の秘儀について語り合いました。聖ヨゼフは、純潔で聖なる愛により妻を愛しました。聖ヨゼフは最も高貴で礼儀正しい性格で、魅力のある振る舞いをしました。熱心に聖マリアのことを気遣い、疲れていないかどうか度々聞きました。天の王女が胎内にみ言葉を宿していることを知らずに、聖ヨゼフは愛すべき女王の言葉から出る何かを経験していました。神の愛に燃え、会話により秘儀を知り、全身全霊がこの内的光により刷新霊化されました。話を進めれば進めるほど、聖ヨゼフの愛は強くなり、神の熱烈さにより自分の意志を燃やし、心を愛で満たすものは妻の言葉であることに気がつきました。四日旅を続け、二人はユダの町に着きました。聖ザカリアの家の前につくと、聖ヨゼフは先に行き、声をかけました。「主があなた方のそばにおられ、あなた方を恵みで満たされますように」。聖エリザベトは、ナザレトの聖マリアが自分のところに来るために旅に出たという幻視をすでに見ていました。この天の貴婦人がいと高きかたの御目にとって一番喜ばしい方であることも知らされていました。聖マリアが神の御母であることは、二人だけになったとき、聖エリザベットは知りました。「主はあなたと共におられます。私の親愛なる従姉妹よ」と挨拶する聖マリアに聖エリザベトは答えました。「私に会うために来てくださったことで、主があなたに報われますように」。挨拶のあと、家に入り二人きりになったとき、聖マリアは言いました。「神があなたを救い、恩寵と長命を賜いますように、私の親愛なる従姉妹よ」(ルカ一・四十)。これを聞いて聖エリザベトは聖霊に満たされ、最も高揚された神秘がわかりました。聖エリザベトだけではなく、胎内の聖ヨハネも感動したのは、実は聖マリアのご胎内のみ言葉の存在のためでした。受肉したみ言葉は聖マリアの声を道具として使い、救世主としてのみ言葉は、霊魂の救いと義化のため、永遠なる御父からあてられた力を胎内から発揮し始めました。み言葉は人間として活動しますが、受胎後、まだ八日しかたっていない人間として御父に祈願しました。将来の先駆者の義化の願いは聖三位一体から聞き入れられました。この祈願は聖マリアの挨拶よりも前に主に捧げられました。神は聖エリザベトの胎内の赤ちゃんを見、理性の活動を与え、神聖な光により、赤ちゃんがじきに受けることになっている祝福についての予告を与えました。この準備と共に、赤ちゃんの原罪が清められ、聖霊の最も豊富な恩寵と十分な賜物で満たされ、諸能力は聖化され、理性に従い、大天使ガブリエルはザカリアに、息子は母の胎内で聖霊に満たされるであろう(ルカ一・十七)と語ったことを真実にしました。同時にこの幸せな赤ちゃんは母胎の壁を突き通して見、受肉したみ言葉がはっきり見え、跪いて自分の救世主・創造主を崇めました。赤ちゃんは大喜びで飛び跳ねました。聖エリザベトは胎動を感じました(ルカ一・四十四)。二人の母たちが話している間、この赤ちゃんは信・望・愛・礼拝・感謝・謙遜やその他の諸徳の務めを達成しました。この瞬間から赤ちゃんであるヨハネは功徳を積み始め、聖性を成長させ始め、決して聖性を失わず、恩寵の生き生きした力のお陰で聖性の行為を決して中止しませんでした。聖エリザベトは受肉の神秘、我が子の聖化、この新しい奇跡の神秘的目的を教えられ、至聖なるマリアの乙女としての清純さと威厳に気がつきました。この天の女王は、神と御子の行われる神秘の幻視に没頭し、全く神々しくなり、神の賜物の透明な光に包まれました。女王としての威厳に満ちた聖マリアが、聖エリザベトの目の前におられたのです。神の神秘を見聞きして聖エリザベトは感嘆し、聖霊の喜びに浸りました。世界の女王とご胎内の赤ちゃんを見て、彼女は賛美の言葉を叫びました。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」。至聖なるマリアの貴い特権を預言した聖エリザベトは、主のお力が聖マリアに何をなさったのか、これから何をなさるのかを神の光によりわかったのです。聖エリザベトの声は胎内の聖ヨハネにも聞こえました。二人は知恵と謙遜の御母がマグニフィカトを美しく優しく表すのを聞きました(ルカ一・四十六~五十五)。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに」。この賛美の歌を聞いた最初の人として聖エリザベトは、それを理解した最初の人でした。聖マリアは、神によって見、各人が栄え、喜ぶのは、神のみが全人類の完全な幸福と救いであること(二コリ十・十七)を語りました。いと高きかたがへりくだる者を優遇し、神の光を惜しげもなくたくさん送ってくださる(詩編百三十八・六)ことを明らかにしました。聖マリアの頂いた賜物を知り、理解することは、人間にとってどれほど価値があるかを聖マリアは納得しました。全ての謙遜なものが、一人一人の器を満たす同じ幸せを頂くのです。聖マリアの頂いた慈悲、恩恵と祝福は「大いなること」です。決して小さくありません。天のもんである聖マリアを通して、私たち人類はいと高きかたの慈悲を受け取り、神の国に入ります。高ぶる者を引きずり下し、へりくだる者を代わりに高座に引き上げる主の正義は、高慢なルシフェルと部下の天使たちを天から蹴落としたことで発揮されました。空虚な誇りは求めるべきではないし、求めても得られないのです(イザヤ十四・十三)。聖マリアと聖エリザベトが二人だけの会話をした後、二人は皆の居間に出てきました。聖エリザベトは自分自身、所帯全員と家全部を聖マリアに提供し、静かな奥まった部屋を聖マリアに見せました。ここで聖マリアは謙遜に感謝して、自分の部屋として使うことになりました。お返しとして自分の訪問は、聖エリザベトの召し使いとして働くためであることを述べました。その時はもう夜になっていました。聖マリアは、自分の前にいる聖ザカリアに祝福を願いました。彼が神によりしゃべれなくなっていることを知り、それを治そうとはしませんでした。聖ヨゼフは、聖エリザベトの歓待を受け三日間滞在したあと、聖マリアをそこに残し、ナザレトへ戻ることになりました。聖エリザベトがたくさんの贈り物をくださったのですが、ほんの一部だけ受け取り感謝しました。ロバも一緒に連れて帰りました。ナザレトの家では、近所に住む自分の従姉妹から世話してもらい、自分の仕事に精をだしました。聖マリアはいと高きかたの命令に従い、以前の習慣どおり真夜中に起き上がり、神の神秘を何時間も黙想しました。寝る時間もとり、自分の体調に合わせました。仕事と休息を続けながら、新しい恩恵、啓示、高揚や愛を主から受け取りました。この三ケ月間、神の幻視を何回も見ました。降臨により人性と一致したみ言葉の幻視が一番多くありました。聖マリアの乙女である胎が、絶え間ない祭壇、貴婦人の霊魂は広大にふくらみました。主の御力によって強くならなければ、愛の激しさのため、何回も聖マリアは燃え尽き果てたかもしれません。手仕事の間も心のなかで主にお願いし続けました。偉大なる女王は、先駆者聖ヨハネの産着や布団を縫いました。母である聖エリザベトは、この幸運を我が子のため謙遜に頼んだのです。聖マリアは、驚くべき愛と謙遜で従姉妹の聖エリザベトに従いました。謙遜さにおいて聖マリアは誰にも負けませんでした。永遠のみ言葉の教えを実践したのです。御子は真の神でありながら僕になり(フィリピ二・六)、聖マリアは神の御母、全被造物の女王でありながら、最も低い人間の召し使いになり、生涯、召し使いで居続けました。私たちは世間の評判を気遣い、理性をほとんど全部なくします。世間から名誉を受けなくなると、理性を完全に失い、気違いになります。御母マリアが極みまでへりくだり、蔑まされるのを心から喜んでいるのを見ておられる主は、御母が全被造物の前で名誉を受け、尊敬されるように取り測ろうと思えばできたのです。御母が賤しい仕事につき、何も命令できない立場にいることは不公平でしょう。しかし、これは普通の人の考えであり、諸聖人には通用しません。正義の太陽の前に現れ、恩寵の律法の待ちこがれた日を宣言する暁の星の時がやってきました(ヨハネ五・三十五)。預言者よりも偉大であると称され、子羊を指さす(ヨハネ一・二十九)洗者ヨハネは、世の救いのために準備します。聖エリザベトの胎内にいる間に、この赤ちゃんには完全な知性があり、受肉されたみ言葉の側にいて、神の知識を頂きました。聖エリザベトから頼まれて、天の女王は産まれたばかりの聖ヨハネを腕に抱き、永遠の御父に捧げました。「いと高き主なる御父、御子の御業を稔らす赤ちゃんを捧げます。この赤ちゃんは御子により、原罪の結果と昔からの敵(悪魔)から救われました。この赤ちゃんが聖霊により満たされ、御身と御独り子の忠実な僕となりますように」。聖霊に満たされた至福の赤ちゃんは、自分の女王に対し、心の中の尊敬をお辞儀であらわしました。女王の胎内のみ言葉をもう一度崇めました。この赤ちゃんの割礼の日が近づくと、親戚の人が集まり、名前を決めることになりました。聖エリザベトの奇跡的出産は、神の偉大な御業であると皆は感じていましたし、神秘の勉強や天の王女との交流により、その霊魂は刷新聖化されて顔が輝き、魅力があり、神々しくなっているのを皆は気づきました。人々はザカリアに合図すると、口のきけない彼は、筆をもらい板の上に書きました。「子供の名前はヨハネ」。この瞬間、至聖なるマリアは彼が啞から解かれるように心のなかで命令しました。ザカリアは話しはじめ、集まった人を驚かせました。聖霊と預言の賜物に満たされ、聖ザカリアは言葉をほとばしらせます(ルカ一・六十八-七十九)。約三ケ月間の聖マリアの滞在が終わる頃、聖エリザベトは聖ヨゼフを呼び出しました。聖ヨゼフが到着したとき、聖エリザベトと聖ザカリアは、聖ヨゼフをイエス・キリストの守護者として心から尊敬を示しましたが、聖ヨゼフはそのことをまだ知りませんでした。聖マリアは聖ヨゼフの前に跪き、夫を疎かにしたことを詫びました。これは謙遜の礼儀正しい愛すべき行為です。聖マリアと胎内のみ言葉のお陰で、ザカリアの家の全員の品性が高められました。出発にあたり、聖マリアは聖ヨゼフの前に跪き、祝福を願いました。そうすることが聖マリアの習慣であったからです。