苦しみの神秘2 イエスの鞭打ち(マタイ二十七、マルコ十五、ヨハネ十九)

■目次

① 愛する人よ、残虐な苦しみのこの時間、御父、イエスが示す苦しみの道を歩きなさい。アンナの屋敷で平手打ちされ、神を冒涜し死刑に値する罪を犯したと罵られるカイフアの屋敷に連行されました。そして最高議会で軽蔑され、横柄な兵士たちから唾をかけられ殴打されました。そのあと夜明けまで牢に閉じ込められます。夜が明けると主はピラトとヘロデの二人の法廷に連行されます。ヘロデは主を狂人と見なし白衣を着せ兵士たちと一緒にあざけり侮辱しました。愛する人よ、常に謙虚で、常に忍耐強いイエスを見なさい。彼は人の悪意とサタンの激怒で彼を苦しめるところに穏やかな子羊のように導かれます。どなり声、中傷、軽蔑の前で、イエスが沈黙のままであったことを考えましょう。そして彼は非難され中傷されているとき、神に自分を放棄しなければならないこと、そして神の愛のために沈黙より他の正当化を試みてはいけないことを教えるために何も言いませんでした。「屠り場に引かれる小羊のように、毛を刈る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった」(イザヤ五十三・七)。そうするならば、あなたは心の平和を得ることができるでしょう。イエスのこの沈黙は、何と多くの聖人、何と多くの平和な人を作ったことか!主よ、憐れんでください!私は罪に満ちていて、あなたに全く罪はありません。にもかかわらず、あなたは死ぬまで、そのようにあなたに接する全ての人を愛します。そして私は小さい侮辱に対し不快と憎悪の気持ちにとどまりますか?あなたは非難する全ての人を許します。そして私は誰からも非難されたくありませんか?無限の善よ、私はいつ心を変えるのでしょうか?私の神よ、私の救い主よ、私の主人よ、私はあなたの前で私の忘恩、高慢、うぬぼれを告白します。私におこる全ての苦悩と侮辱をあなたに倣い沈黙のうちに耐える恩恵を望みます。私は今まで私を侮辱した全ての人そして今からのちに私を侮辱する全ての人を心から許します。そして彼らが私から奪った名誉を取りもどすことをあなたの愛のために放棄します。私はあなたに捧げることと、あなたを愛する以外の名誉を望みません。私は怒りと復讐の感情の全てを捨て去り、心を尽くしてあなたを愛し、あなたのように私を苦しめる全ての人を愛し、「イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜ぶ」(使徒五・四十一)ために、私の心をあなたの愛で満たしてください。

②イエスは刑務所から出されます。兵士たちは主をいやらしく卑劣な人々に明らかにする目的でエルサレムの通りを恥辱とともに連行します。人は外見から物事を判断するので、主は呪われたもの、誘惑者、狂人として見られ、死刑執行人の手に渡され、侮辱と嘲笑のもとエルサレムを通ってピラトの屋敷に連行されます。道のりで死刑執行人たちは数え切れない侮辱と暴力を加えます。主は口汚く罵られ、ロープで引っ張られ、槍に押されて、休むことなく、歩くことを余儀なくされました。一晩中の虐待から疲れきっている彼が倒れたならば最も軽蔑すべきものとして打撃と侮辱で攻められます。そのことを預言者は見ました。「わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥」(詩編二十二・七)。最も甘美な先生は、このように十二時間以内にゲッセマニの園からカルワリオまで六つの旅を果し、十字架上の死に至るまで、不変の忍耐、深い謙遜、無限の愛、並外れた贖罪の跡を残しました。愛する人よ、目をさましなさい。あなたが横になる無関心と無気力から抜け出しなさい。エルサレムの道を涙で濡らし、ため息で空気を満たしながらマリアとともにたどる婦人たちを見なさい。被造物のなかで最も美しいかたは全ての婦人のなかで最も神聖で母のなかで最も苦しんだことを認めなさい。そしてマリアはイエスの母、あなたの愛する母であることを認めなさい。彼女は最愛の人を探しにいき、誰か見ていないか聞くために広場に行きます。おお、最も柔和なマリアよ、あなたは罪人の手にあなたの息子がいることの知らせを受けるまで、苦しみに満ちた祈りを一晩中続けました。しかし主が捕えられ牢獄に閉じ込められ、兵士たちの侮辱と恥辱の的にされ、彼の苦しみ、ユダヤ人の集会で発せられた死刑判決をヨハネから聞いたとき、誰があなたの心の苦しみを表現することができますか?しかし常に神に従ったあなたは苦しんでいる婦人にとても下品で手に負えない方法には何も身を置きませんでした。そしてあなたの心は言いようもない苦痛で苦しんでいたにもかかわらず、完全な従順で外に見させませんでした。「主のはしためを見て下さい。あなたの意志に私を従わせてください」とあなたは繰り返しました。あなたはイエスを見つけて十字架まで彼に従うため、まだ日が明けるまえに慎ましい住居を出ます。そしてピラトの館への道を見なさい。彼が連行されるところに嘲笑と冒涜のどなり声をおこすため、人々の波のように見えます。イエスは鎖でつながれ、手を背中の背後に絡ませ、めちゃめちゃになった顔、ずたずたに引き裂かれた髪、唾と血により不格好な顔、ほとんど彼であると認識できません。しかしマリアよ、あなたの心の激しい鼓動は、あなたに無実の御子を示します。 暴徒の呪いと敵の勝利のなか、屈辱の衣服の下で神の御子は侮辱に対して穏やかに攻撃にも静かで全く文句をいうことはありません。この神の子羊はオオカミの真っただ中にいるとき、聖なる御母に会うことを望みました。苦しいとき愛する全てのものは愛するものの不在を激しく感じ、苦しみが増えるおそれがあるにも関わらず、愛する存在を激しく望みます。しかし祝福された乙女であるあなたは御子に会うことができないし、御子もこの慰めもてませんでした。あなたが再び彼に会って、彼とともにあなたを慰めることができるまで、私をあなたに同行させてください。

③(鞭打ち) 愛する人よ、考えましょう。ピラトはイエスの無罪を宣言しながら、死刑判決を下さなくても群衆が満足するため、公共の場で鞭打ちの刑を宣告しました。なんという裁判!告発人の憎しみを満足させるため、無罪の人に有罪判決を下します!イエス・キリストを兵士たちのなかに入れるとすぐに、兵士たちは話すことがなく、抵抗を示さない彼の服を剥ぎ取りました。イエスはその後、引き裂かれる罪のない御体、そして私たちのために長い間流すことを望む尊い御血を、愛に満ちた心で永遠の御父に捧げます。兵士たちはイエスを柱に結びます。そして四十以上鞭打つことを禁じていたユダヤの律法ではなく、数が限られていないローマの法律に従います。彼らは怒りを満たす以外注意をはらいません。兵士たちはイエスを鉄の囲いになるよう取り囲みました。そして最も力強く大胆な二人の死刑執行人が連れて来られ、棒の束、皮の鞭、コブのついたロープをつかみます。愛する人よ、見なさい。あなたが負わせた犯罪の全てを納得させるように、柔和なイエスは柱に立って結び付けられます。その後、彼の混乱と苦しみの全てを誰が言うことができますか?最初の鞭打ちのあと、純粋な肉体はめちゃめちゃに引きちぎられ、溝ができ、全ての傷から御血がほとばしります。鞭打ちで肉片は飛び散り、深い傷の上に一撃を与えるので、すでに作った傷の上にまた新しい傷を常に作ります。その血の光景はなんと残酷なことか!彼らは限りなく鞭打ちます。そして主は一言も文句を言いません。彼らは御体をとても残酷に引き裂き、そして主の全身は一つの傷のようになります。神のイエスよ、あなたが望んだとても残酷で、とても恥ずかしいこの苦しみを、私たちのよこしまな楽しみを償うために捧げますか?どうして私はまだあなたを傷つけることができますか?おお、私の神よ、私のために多く傷ついたことに、どうしたら報いることができますか?このことは預言されていました。「 耕す者はわたしの背を耕し、畝を長く作った」(詩編百二十九・三)。「神は悪を行う者にわたしを引き渡し、…わたしを打ち破り、なお打ち破る」(ヨブ十六・十四)。「頭から足の裏まで、満足なところはない。打ち傷、鞭のあと、生傷はぬぐわれず、包まれず、油で和らげてもらえない」(イザヤ一・六)。彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった」(イザヤ五十三・五)。おお、私の神よ、この全ては私たちの罪によって! どうして、私のような悪党のために、あなたはそのような拷問を経験するのでしょうか?多くの罪の犯行者である私のために、あなたはこのように、たくさん苦しみますか?私の救い主よ、私の罪を償うためにあなたに何をしたらいいですか?愛する人よ、主の忍耐の模範を見なさい。それにより全ての聖人たちは、彼らの体の扱うことと体を霊に従わせることを学びました。この人生で、私たちの肉ほど私たちの霊魂に対して大きい敵はいません。これは常に反抗的で苦しもうとはせず、抑制もしないし、服従もしません。これは感覚が好む現世の好みを制限なしに後を追い、激しく対象に向かう傾向があり霊は抑制され、そして肉は別の敵が一緒に結びつく全てよりも手ごわいです。しかし全ての聖なるキリスト教徒がとても厳しく実践したものがあります。それは五感を継続的に抑え、そして見ること、聞くこと、話をすること、そして心の清さを汚す可能性のある全てのことを、少しでも楽しむことを怖れました。あなたも体の苦行により誘惑と堕落に前もって対処しなさい。 同じことを使徒パウロは言いました。「自分の体を打ちたたいて服従させます」(一コリント九・二十七)。ダビデの神聖さ、ソロモンの知恵によっても、彼らの堕落を防ぐことが出来ませんでした。なぜなら彼らは五感の快楽に喜んだままだったからです。その人の一生を自分の体を満たすことができるものを求めることに全てを費やすなら、その人の運命はどのようになるだろうか?まさに人間がもつこの障害を償い、終止符を打つために、救い主は彼の罪のない御体をとても残酷に引き裂かれることを望みました。

(鞭打たれたイエスへの祈り) おお、私の神よ、私の愛よ、私の命よ、私はここで心打たれ、そして苦悩と感嘆から貫かれます。ええ、私は言葉を口にすることができません。私はあなたの聖なる足にひれふし、あなたの御血で濡れたこの場所にキスをします。ここで、私はあなたの苦しみの原因である私の罪を泣き、私の悲惨さを告白し、あなたの慈悲を待ちます。私はこの場所から離れず、この光景を見るためにここに留まることを望みます。鞭打たれ、最も貴く、最も聖なる御血を流されたあなたを拝めます。あなたから私を遠ざけないでください。私がこの貴重な香油で清められ、汚れを洗い流されるまで、あなたの足をきつく抱きしめさせてください。アーメン。

(苦行) 好きな食べ物をいくつかとらないことにより、いつもすぐにベッドから起き上がることにより、または沈黙の時間を行うことにより、罪の道具であり、イエスの苦しみの原因である、あなたの体の感覚を押さえつけなさい。いくつかの許された楽しみをなくしてください。特に慎ましさ、とりわけ目の慎ましさを行いなさい。あなたが傲慢になる好奇心で満足しないでください。 今日あなたは膝まずいてロザリオを唱えなさい。

(短い祈り) おおマリアよ、罪びとの避難所よ、私はあなたのなかにすべての希望を置きます。

(聖体拝領前の祈り) 今、私を見て下さい。イエスよ、私のなかで全く清く、全く罪のないあなたの御体は私のために引き裂かれました。あなたの血管は開き裂かれ、そして私の救いのために御血を流します。これは最も神聖な御体が残酷な打撃から、そして何よりも一番にこの体で心を奪われたやましい楽しみから溝が刻まれた時間です。どうして震えなしで、引き裂かれ、打ち砕かれたあなたを見ることができますか?イエスよ、あなたはこの鞭打ちで、あなたの子供たちが御傷に入ることができ、御傷に住まいを定め、そして御傷に最も甘美な栄養を見つけるために、あなたの御体が傷で全て開かれることを望みます。私の救い主よ、私は永遠にあなたを称えます。そして天使、天と地の全ての被造物よ、永遠に賛美してください。おおイエスよ、私はあなたの僕の苦行をまねる勇気を持っていません。しかしあなたはこの祭壇から甘美な苦肉の策を示します。あなたの御体と御血の秘跡は誘惑を克服するため、肉の罪を修復するため、そして堕落から守るための力になります。聖体拝領とあなたの神秘の黙想とともに、あなたは罪に対する憎悪に、そして私への愛のために残酷に苦しむのを望まれたあなたに対する信頼に導きます。あなたは神の神聖さと、神の決定の厳格さの生きた考えを教えます。しかしあなたが罪人の姿をもつだけで、罪のないあなたの上で神の正義の厳格さはひっくり返ります。あなたは全ての罪を償い、そして絶望に陥ることがないように有り余る利益を与えるので私を希望へと導きます。おおマリア、最も苦しんだ母よ、あなたは残酷な鞭うちの打撃を聞きました。あなたは罪のないイエスの肩に人間の罪の嵐を浴びせられるとき兵士たちのなかにいて、あなたが与えたその御血が散らばるのを見ました。私はこの体のやましい楽しみでイエスの苦しみの原因であるために、私を憐れんでください。あなたの息子の苦しみを強く感じ、私の罪を憎み、この瞬間に世の罪を取り除く神の子羊(ヨハネ一・二十九)の最も清い御血によって洗い清められる恩恵を取り次いでください。私はあなたの御心を引き裂いています。私は、分離できない愛であなたの御子に私を結びつけることで、癒すことを希望します。常に救い主の泉でぬれて、彼の全ての御傷から全ての美しさを引き出す天のエルサレムよ、あなたが持つ泉の甘美な水の数滴をこの不毛な土地の上に落としてください。私のために、この神の憐れみを愛し、褒め、賛美してください。 祝福された魂よ、あなたたちに満ちている愛と光とともに参加してください。私の知性をふさいでいる闇を明るくし、あなたたちに燃えている同じ火で、私の心が燃えるために、凍っている私の心にあなたたちの神聖な炎の火をつけてください。アーメン。(あなたが求める恩恵を祈る)

(聖体拝領後の祈り) ダビデは言います。「あなたの祭壇に、鳥は住みかを作り、つばめは巣をかけて、雛を置いています」(詩編八十四・四)。そして主よ、あなた自身言います。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある」(ルカ九・五十八)。ここにあなたが私の魂に準備している家があります。最も甘美な救い主よ、それはあなたの御傷です。あなたの御傷のなかで私の魂は元気づけるため食物、神の正義の怒りの隠れ家、私の人生での誘惑の嵐と悲しみの避難所を見つけます。おお、私の心の中心、私の魂の命よ!ピラトは、あなたが無罪であるとわかります。しかし彼が残酷で不当だったので、あなたの敵を満足させるためにあなたを鞭打ちにします!しかしこれによって、ピラトはあなたに満足し、あなたは全ての人生であなたは血で覆われ、侮辱で満たされている見せることを望みます。あなたの御心のなかで燃える聖なる火は消えることがありません。あなたは全てを使い切ることを望み、そして私への愛ため、あなたの全てを捧げます。犠牲は今日完全です。三十三年の間あなたは、私のために苦しみ、祈り、断食、さらに誘惑で使いきります。今、あなたは、あなたの評判、名誉、教義、神聖さ、謙虚さ、友を犠牲とします。あなたは御血の全てを私に与えることで満足せず、肉体が奪われ、兵士たちのなかで肉片が地面に広がっていることを私が見ることを望みます。私は何をしますか?私の宝、私の愛、私の命よ、あなたのために犠牲をすることは当然です。ここでイエスよ、完全にあなたに自分の全てを捧げます。あなたの代わりに私がこの柱に付けられ、または、あなたが受ける打撃を少なくともあなたと共に受ける恩恵を私にください。この祭壇の犠牲、この聖体拝領とともに、私はあなたに私の魂とその力、私の体とその感覚を捧げます。私に起こる苦難についてもはや不満を言いません、しかしあなたの手からそれらを受けます。あなたが望む全てのことを私にしてください。このみじめな罪深い私の魂を懲らしめ、直し、清めてください。しかし常にあなたの御父の御心とあなたの愛情あふれる御傷の近くに私を置いてください。私が十字架を愛していないし、十字架を楽しんでもいないことを教えてください。そして私の肉が反抗するなら、あなたの魂に完全に服従するまで、あなたの打撃を加えてください。ヘブライ人の手紙で、あなたの御血は「わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにする」(ヘブライ九・十四)の力をもつと言っています。おお、世の罪を取り除く神の子羊よ、頭からつま先までの全ての傷に覆われ、全ての罪と欠点で一杯の、この重い皮膚病患者に目を向けてください。あなたの全身から流れる御血で私を洗ってください。あなたは聖ペトロに言いました。「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」(ヨハネ十三・八)。主よ、ここに私の頭、手、望み、意志、知性、行い、考え、愛情、感覚があります。全て汚れているので、全てを洗ってください。全て腐敗しているので、全てを清めてください。全て病気なので、全てを癒してください。あなたは私の司祭であると同時に、私のガイド、私の栄養であるので、無限の清さであるあなたと一致し、最も清い子羊であるあなたに仕えることができるために、あなたの貴重な御血の功徳によって私を変えてください。あなたの鞭打ちの至高の目的、律法のまとめと完成、天国の全ての中心であり、私のため息、私の涙、私の生きる時死ぬ時の苦悩の最後の終点である神の愛で私の心を燃やしてください。アーメン。(あなたの求める恩恵をここで祈りを言う)