聖書入門1

1章・天地創造 

聖書は、神による創造の6日間に始まる。そのクライマックスは最初の人類、男と女の創造である。神は創造物のすべてが極めて良いことに満足し、7日目に安息をとった。 

1・天地創造の7日間

御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。創世記1・27

神ははじめに天と地を造ったが、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」(創世記1・2)とあるように、それは暗く、湿っていて形のない、生き物の住まない場所であった。神はここから世界を整えていく。 

第一の日、神は「光あれ」(創世記1・3)と言い、光と闇が分けられ、昼と夜ができた。その日はそこで終わりに近づき「夕べがあり、朝があった」(創世記1・5)という創造物語で何度も繰り返されるフレーズで第一日目は終わる。

第二の日、神は「水の中に大空あれ。水と水を分けよ」(創世記1・6)と命じ、水を大空の上の水と下の水とに分けた。出来上がった空を神は「天」と呼んだ。

第三の日、神は「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ」(創世記1・9)と命じた。神は乾いた土地を水から分けて陸と海とし、陸に樹木、果実、草などの植物を生えさせた。

第四の日、「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ」(創世記1・14)。 神は空に星々を置き、太陽と月を造り、 昼と夜、季節、年のしるしとなるようにした。

第五の日、「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ」(創世記1・20)と命じ、それぞれを鳥と魚で満たした。神はそれを祝福し「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ」(創世記1・22)と言った。

第六の日、神は地の生き物を造った。そして最後に「御自分にかたどって人を創造された」(創世記1・27)。ここでついに、創造主と親しい特別な関係を持つ被造物、人間が現れた。神はその人間には、「海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」 (創世記1・28)と言い渡し、相応の責任を授けた。また、神は被造物に生殖の力を与え、それぞれが自ら繁殖できるようにした。

第七の日、神は安息をとり、「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された」(創世記2・3)。神にとって、世界の創造は七日をかけた仕事であった。こうして混沌とした地球は実り豊かな星に生まれ変わっていた。

2・よい被造物

(6日目の最後に) 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。創世記1・31

神はすべてのものを創造したが、各日に「神はこれを見て、良しとされた」とあり、6日目の最後にも上記にあるように、神はすべての被造物をよいものとして創造した。

3・天地創造の「日」は「24時間」だったのか?

夕べがあり、朝があった。創世記1・5、8、13、19、23、31

私たちはの1日は太陽が昇り朝となり、太陽が沈み夜となり、24時間たつことで1日と呼ぶ。しかし、私たちが経験する1日は4日目に造られている。ここでの1日は、混沌としたものを整え、神の光が十分にあたって完成されるまでの期間を表している。すべてのものは、神の光が当たることで 「夕べがあり、朝があった」となる。そして神の光が当たって完成に向かうので夜となることはない。 また、ここから神が言葉を発して、瞬時に世界が完成したというのではなく、日という期間をかけて完成したことがわかる。

4・天地が聖書に書いてある通りに成立していなら、聖書全体は嘘になるのか?

天地が聖書に書いてある通りに成立していないならば、聖書全体が嘘になるという人がいる。現在いろいろな学説があるが、これらの学説では、その根底にあるミクロのレベルでの生物化学的変化を説明できない。これを説明するためには、生化学のレベルでは現設計図のようなものが考えられなければならない。しかし、それは科学そのものの内部の問題であって、創世記の記事から答えを求められる問題ではない

聖書が主張することは、天地創造がどう解釈されるにしても、神が物語の著者であるということである。そしてもし原設計図があるとすれば、神が設計者であり、設定責任者であるということである。天地創造の記事はそのことを明らかにしている。

聖書の記事は、科学の学説と覇を争うことはない。科学において、この世界の法則や規則を見つけようとする。それはこの世界には法則、設計図なるものがあるという前提で調べているからである。聖書が言っていることは、その設計図は神が書いたものであるということである。

2章 エデンの園

神は大地を創造し、そこを命で満たした後、豊かな園を設け、最初の人、アダムにそこを守らせた。アダムには助けとなる者がいなかったため、神は妻となるエバを造った。 

1・アダム

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。創世記2・7

神は「塵」から体をつくり、神がその体に息を吹き込むと、それは命ある者となる。神はこの命ある者をアダムと名づける。アダムは他の被造物と異なり、神をかたどった独自の姿をしていた。

主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。 創世記2・14

最初の人間の最初の責任は、神がエデンに設けた園を耕し、守ることであった。

主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て…人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。創世記2・18~20

エデンの園には人に危害を加えないたくさんの動物が住んでいた。神は動物たちをアダムのもとにつれていかれたが、それらの動物でアダムと対等に付き合える相手はなかった。

2・エバ

 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られた創世記2・21~22

アダムは対等に付き合える相手がなく、孤独だった。神はこれを克服するために、彼に仲間を造った。神は仲間をつくるに際して男の身体の一部を用いた。神が造ったものを見た男はそれが自分と似ていることをただちに見て取り、まさに自分と同じものができたことを祝って詩をつくる。

ついに、これこそ、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたものだから。創世記2・23

神が最初に一人の人間をつくり、それから人類を増したことは、多くの人間から始めるよりも、はるかに善いことであった。 

それは人間がお互い親しく結ばれるならば、その統一ときずなとが強くなるためであった。

3・禁断の果実

園のすべての木から取って食べなさいただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。 創世記2・16~17

神は美しい木や美味しい果実をもたらす木など、あらゆる種類の木々をエデンに生えさせた。そして、それらの木々からなる実を自由にとって食べることを許したが、善悪の知識の木の実を食べることを禁じた。

これは、その木が悪いのではなく、 従順がどんなに善いかを教えるためであった。従順は、主なる創造者によってつくられた理性的被造物にとって大きな徳であったのである。 

4・楽園での生活

アダムとエバは、エデンの園に住み、園を耕し生活していた。二人には、「善悪の木の実を食べてはいけない」というごく簡単な掟が与えられ、二人はそれを守ることで、神から至福が与えられていた。二人は、空腹のためには園にある作物で栄養をとり、生命の木の実をとることで不老不死であった。そして二人は、今の私たちのような状態ではなく、欲望が意志に反対したりすることはなかった。

3章 蛇の誘惑 と楽園追放

エデンの園の汚れのない喜びは、蛇の姿をとったサタンに同意したことで切り裂かれた。アダムとエバは愚かにも禁断の木の実をとって食べ、その無垢な心を失った。

1・誘惑 

それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなる創世記3・5

二人が至福の生活を送っているときに悪魔が来た。悪魔はすでに堕落していたため、まだ堕落していない二人を憎んだ。悪魔は楽園にいる蛇を用いてエバを誘惑した。 蛇はまずエバに疑念を植え付けようとして、「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」(創世記3・1)と言う。

エバが「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました」 (創世記3・2、3)と曖昧な返事をしたとき、サタンは彼女の注意を引くことに成功したと確信した。

蛇は次第に大胆になり、神がアダムとエバに園の中央の善悪の木の実を食べないように命じたのは、人間を神よりも劣った立場に置くためだと主張した。禁断の果実を食べても神が言ったように死ぬことはなく、神と肩を並べる存在になるだけだとサタンは告げる。

女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。創世記3・6

誘惑の言葉、魅惑的な果実、そして神と同じくらい賢くなれるという期待を前に、エバは我慢できずにその実をかじった。

エバは禁じられて実を食べ、アダムに与えて、アダムも一緒に食べたのであるが、アダムは彼女を悲しませたくなかったのである。

二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。 創世記3・7

アダムとイブは神の掟に背くと、神の恩恵はただちに取り去られ、二人は裸であることに気づいて心が乱れた。そこで彼らは、慌てて近くにあったイチジクの葉で恥部を覆った。

その器官は、以前と同じであったが、恥ずべきものでなかったのに、恥ずかしくなっていた。そのとき二人は、神への不従順の結果、霊魂が肉体に対して持っていた支配力を失うに至ったのである。

2・楽園追放

主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」 創世記3・9

同じ日、神が園を歩いてもアダムとエバは姿を現わそうとしなかった。かつての信頼に満ちた友情に恐怖が加わったのである。

神は「どこにいるのか」と問うたのは、神がアダムの居場所を知らなかったからではない。アダムのいる所に神はいないことに気づくように大声をもって警告したのである。

ついに神の呼びかけに応じたときも、彼らは起こったことの責任から逃れようとして、はじめは互いを、次には蛇を責めたてた。しかし、神は正当に罪を定めた。

神は蛇(サタン)に言い渡します。

このようなことをしたお前は、あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で、呪われるものとなった。…お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。彼女はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。創世記3・14、15

蛇(サタン)は呪われ、人間から敵意をもって迎えられるものとなった。また、蛇(サタン)が世界にいかに害を及ぼそうとも、「女の子孫」がそれを打ち砕くと神は宣言した。

アダムとエバも不従順に対する罰を受けた。エバに対して神は宣言します。

お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め、彼はお前を支配する。創世記3・16

女は出産の痛みに苦しむようになり、「お前は夫を求め、彼はお前を支配する」(創世記3・16)と言い渡された。

アダムに対しては次のように宣言します。

お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して、土は茨とあざみを生えいでさせる、野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る、土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。創世記3・17~19

アダムに対しては、呪われた土から茨とあざみが生え出るようにし、かつて喜びであった労働は過酷なものになると告げた。そして禁断の果実を食べたアダムとエバは肉体的な死を迎えることになります。

主なる神は、彼をエデンの園から追い出した。創世記3・23

彼らは内面的に死に、もはや楽園にふさわしい者でなくなってしまった。神を知らず、互いを知らない者として、かつてその支配を任されたはずの世界のよそ者として、園から追放されたのである。 

3 最初の罪の大きさ

最初に犯された罪が食物に関するものだという理由で軽い小さなものと考えてはいけない。神の戒めのなかには服従も含まれている。

実際、ほかに食物が多く与えられている時に一つの種類だけが食べるのを禁じられたというこの戒めは守るのにきわめて容易であり、きわめて速やかに記憶にとどめることができるものである。しかも、そのとき今の私たちのように堕落しやすい状態ではないときである。

それゆえ戒めを尊び守ることが容易であるのに比例して、それを犯す不義はきわめて大きかったのである。

4章 第二のアダム

1 第二のアダム

一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。 ローマ5・12

アダムとエバは、エデンの園から追放されることになった。このことは、二人が神の恵みから、すなわち完璧な状態から放逐されたことを意味する。二人が持っていた善性は腐敗し、神の像は損なわれ、老い、死ぬ者となった。

二人から生まれ増し加わっていく人類も同じように、善性は損なわれ、老い死ぬ者として生まれ、罪を犯しやすい者となった。なぜなら、生まれてくる者は、生む者と同じ性質を持つからである。

律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。 ローマ5・13

楽園追放のあと、聖書には人間の罪深さを示す例が多く記されている。しかし、神は罪を見過ごしにはせず、イスラエルの人々に「律法」(ヘブライ語で「教え」の意)を与えた。罪によって滅びることがないように、罪をどう扱うべきかが律法によって示されたのである。

恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。… 一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。ローマ5・15~19

しかし、神は罪の抑制だけではなく、人間性の回復も望まれた。律法はその目的には不十分であったので、神はその子であるイエスを送り込んだ。

人類はアダムの不従順によって罪に堕ちたが、「第二のアダム」の従順によって人間性が回復される。

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。フィリピ2・6~8

御子キリストは神でありながら、私たちを贖うために人となられた。彼は最初の人間とは違って罪のない生涯を送り、死すべき理由はなかったが、神である御父のみ旨に従順に従い人類の罪を贖うために自ら犠牲となって死ぬ。

そのイエスを信じる者が神の好意を取り戻し、そこに新しい人類の歩みが始まるのである。

2 「贖い」の意味

「贖い」(あがない)という言葉のもともとの意味は、奴隷として売られた人間を代価を払って買い戻すこと、囚われの身にある者を身代金を払って買い戻すことである。古代中近東にあった風習である。

キリスト教では「失われたものを買い戻す」というもともとの意味から「贖い」はただ単に「救いのわざ」を表現するのみならず、人間の自由による神からの離反と、それによってもたらされる悲惨な現実、またこれを克服して神と一致を回復させようとする神の慈しみを含む。

3 「贖い」と「償い」との違い

「償い」(つぐない)とは、誰かに与えた損失をあとから補うことである。「贖い」としばしば混同されるのではっきり区別されなければならない。

教会では悔悛の秘跡のあと司祭に命じられて簡単な償いをする。

5章 カインとアベル

罪はアダムとエバの後の世代にも続き、カインは弟アベルを殺害し、神の裁きを受ける。しかし、神は被造世界から手を引くことなく、命を与え、保護する責任を負い続けた。 

1 最初の殺人

さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った 。彼女はまたその弟アベルを産んだ。創世記4・1、2

エデンの園から追放された後、アダムとエバは家族をつくった。最初の子であるカインという名は、ヘブライ語の「得る」という意味である。またその弟アベルも生まれます。

アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。 アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。 創世記4・2~5

カインは畑で作物を育て、弟のアベルは家畜の世話をした。兄弟は自らの働きから得たものを神に捧げた。カインは「土の実り」を、アベルは羊の「肥えた初子」(最高級の部位)を捧げた。

神はアベルの捧げ物を受け入れたが、カインの捧げ物は拒んだ。

カインは、自分の捧げ物が、神の受け入れられなかったことで、弟を激しくねたみ、殺そうとした。

主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない」。創世記4・6

神はそんなカインに「感情を制御できない人には破滅がもたらされ、罪に陥る」と警告した。

しかし、神の警告を無視したカインは神の警告を無視し、陰謀を企て、弟を野原に誘い出して殺害する。

2 神が献げものを拒んだ理由とアベルの殺害の理由

信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。ヘブライ11・4

アベルは、信心と生きた信仰でもって供えましたが、一方、カインは、信仰をもって捧げたのではありませんでした。彼は神の栄光のためではなく、彼のゆがんだ欲望を成就するため捧げ物をしたのです。別の言い方をすると、彼は、この世の利益のために神を利用したのです。

このような理由で神はアベルのいけにえを受け入れ、カインのいけにえを退けました。

悪魔に属していたから自分の兄弟を殺したカインに倣うな、なぜ殺したかというと、自分の行いが悪くて、兄弟の行いが正しかったからである。1ヨハネ3・12

カインがアベルを殺したのは、 悪人が善人を、一方が善人であり、一方は悪人であるというそれだけの理由だけで拒む悪魔的な嫉妬によるものでした。 

3 呪われたカイン

「知りません。わたしは弟の番人でしょうか」(創世記4・9)創世記4・9

神に弟の所在を尋ねられたカインはこのように怒って神に答えた。

主は言われた。「何ということをしたのか。…今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」 創世記4・10~12

カインのしたことを知っている神はカインに呪いをかけた。カインの手は土にアベルの血を流したため、その手が作物を実らせることなく、それゆえカインは遊牧民として地上をさすらう者となると言い渡されたのである。

主はカインに言われた。「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。 創世記4・15

しかし、神はカインが別の人に殺されることを鑑み、彼を殺す者は七倍の復讐を受けるとして、カインにしるしを付けた。カインはエデンの東、ノドンに住んだ。

4 カインの子孫

カインは妻を知った。彼女は身ごもってエノクを産んだ。カインは町を建てていた。創世記4・17

その後、カインは結婚し、エノクという子をもうけ、「町を建てる」。

カインの血族は6代にわたって様々な分野における発展の礎を築く。ヤバルは家畜を飼い、天幕に住む者の祖となり、その弟ユバルは「竪琴や笛を奏でる者」の祖となった(創世記4・21)。

一方、異母兄弟トバル・カインは「青銅や鉄でさまざまな道具を作る者となった」(創世記4・22)。

レメクは妻に言った。「アダとツィラよ、わが声を聞け。レメクの妻たちよ、わが言葉に耳を傾けよ。わたしは傷の報いに男を殺し、打ち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が七倍なら、レメクのためには七十七倍。」   創世記4・23、24

カインから数えて6代目レメクは、二人の妻に人を殺したと告白している。カインの子孫は殺害者から殺害者に至るものとして聖書では書かれている。カインの子孫はすべて洪水によって滅ぼされることになる。

5 聖書に書かれている人物はわずかなのに、どうして町が建てられるのか?

アダムは、セトが生まれた後八百年生きて、息子や娘をもうけた。アダムは九百三十年生き、そして死んだ。   創世記5・4、5

アダム以外にも、創世記5章には「そして彼は息子や娘たちを生んだ。この人の生きた年数は何年であった。そして彼は死んだ」という言い方をし、この息子や娘たちの名を挙げていない。

アダムとイブはカインとアベル以外にたくさんの息子や娘たちがいたが、聖書は必要な人の名前しか記されていない。したがって名前が記されていない多くの人がいたのである。

また最初の時代の結婚には後の時代とは違う婚姻の法があった。最初の人類はアダムとエバだけであった。この二人の結びつき依頼、男女の結合によって子を生み、子孫を増やさねばならなくなった。しかも、これら二人から生まれた者以外にはどんな人間もいなかったのであるから、最初の時代、男たちは自分の姉妹を妻としたのである。

このことは古い時代に遡るほど、必要だから行われていたが、その後、人口が増え、その必然性がなくなり、掟によって禁じられて罪とされるようになったのである。 

また当時はかなり長命であり、洪水以前で最も短命で753才に達し、その多くの人は900才を越えていた。それゆえ、一人が生きている間に、一つではなく複数の町が建てられるまでに人が増えたとしても不思議ではない。

このことはアブラハム一人から、400年足らずの間に子孫が増え、この民がエジプトから脱出したとき、戦える若者が60万人であったことからも容易に推測できる。 

6章 ノアの大洪水

1 不法に満ちた地上

さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。 創世記6・1、2

アダムから10代後の子孫になると、神のつくった世界は変わり果てた。地上の娘たちの容姿が美しく、地上の者たちはその美しさを愛した。

地上の者たちは、人間たちの娘たちの美しさに捕らえられ、彼女を妻とするため、神を愛することを忘れ、聖なる社会で守られた敬虔を捨てた。

地上にはネフィリムがいた。これは、神の子らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり、大昔の名高い英雄たちであった。 創世記6・4

地上の娘たちも地上の力ある英雄たちを愛し、神を愛することを忘れ、神の掟を捨てた。

形の美しさや、身体の強さ、大きさというものは、神につくられらたものであるが、時間的で最低の善であって、神という永遠の善よりも優先されるならば、それは悪い仕方で愛されているのである。   

この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。 創世記6・11、12

これらの結果、地上では不道徳がはびこり、人々の心と行いは退廃をきわめ、 「地は不法に満ちていた」。

彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす創世記6・13

その悲惨な様子に神は人間を造ったことを後悔した。神は長く我慢していたが、大洪水で人類を一掃し、やり直すことに決める。

2 神に従う無垢な人

その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。 創世記6・9

しかし、今度は無から創造をやり直すわけではなかった。神は世の不道徳に染まっていないノアの一族に目を留め、創造の回復の手段とする計画を立てた。

あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。…わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。…あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。…すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい。創世記6・12~19

神はノアに三階建ての極めて大きな船をつくり、そしてノアの妻、ノアの3人の息子とその妻がそれに乗り込み洪水の難から逃れるように命じる。

また、神に命じられてやって来ることとなる動物たちも乗せることを命じる。これによって種の繁殖が確保され、動物の繁栄が約束された。

3 大洪水

ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。… ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った… 清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは神がノアに命じられたとおりに、雄と雌であった。 創世記7・5~9

ノアたちは神の命じられた通りに箱舟をつくる。そしてそこに神に命じられてやってきた動物たちと共に箱舟に箱舟に乗り込む。

七日が過ぎ…雨が四十日四十夜地上に降り続いた…水は勢力を増し、地の上に大いにみなぎり、箱舟は水の面を漂った。…水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。…水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。 
創世記7・10~24

ノアたちは神の命じられる通りに箱舟を作り上げ、ノアたちが無事に箱舟に乗り込むと、神は大洪水を起こします。

水は40日の間勢いを保ち、箱舟以外のものすべてを飲み込んだ。洪水の水は150日の間、引くことなかった。

地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。 創世記7・23

この結果、箱舟にいる以外の地上のもののすべてが滅ぼされた。

神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。…天からの雨は降りやみ、水は地上からひいて行った。百五十日の後には水が減って、…箱舟はアララト山の上に止まった。    創世記8・1~4

神は水を引かせ始めます。その150日後、箱舟はアララト山の頂上に止まる。

四十日たって、ノアは自分が造った箱舟の窓を開き、烏を放した。烏は飛び立ったが、地上の水が乾くのを待って、出たり入ったりした。ノアは鳩を彼のもとから放して、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとした。しかし、鳩は止まる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰って来た。…更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した。鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった。         創世記8・6~12

それからさらに40日経ってから、ノアはすでに乾いている土地が他にないか調べるためにカラスを放った。最初に放たれたカラスは、水がまだ引き切らないので、行ったり来たりを繰り返した。

次にノアは鳩を放った。鳩は二度目に戻って来た時にオリーブの枝を咥えていた。それは地上に再び草木が生え始めたことのしるしであった。

そして三度目には戻ることはなかった。住むことのできる土地を見つけたのであろう。ノアは安全に上陸できるときが来たことを確信する。

4 契約の確認

ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。創世記8・20

箱舟を降りたノアは、まず神のために祭壇を築き、清い動物をそこに捧げた。それを神はお喜びになり、次のように告げる。

わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。創世記9・11

神はノアとの間に立てた契約を確認して言った。そして、神は天に虹をかけ、この契約を思い出させる永遠のしるしとした。

かつてアダムに告げたように(創世記1・28)、ノアに対して次のように繁栄を命じた。

産めよ、増えよ、地に満ちよ。創世記9・1

7章 ノアの子孫

1 ハムの過ち

再出発した世界にはまだ堕罪の名残が見えた。ノアが酔って、裸で寝てしまったとき、ハムはそれを兄弟たちに告げて父の名誉を汚したが、兄弟たちは、父の裸を見ないように、着物でその体を覆った(創世記9・22)。ハムは、自分の子カナンにおいて呪われる。このカナンはカナン人の始祖となった。兄弟たちの間に生じた亀裂は子孫にも及ぶことになります。 

2 ノアの子ら

ノアの子らは広く様々な国の始祖となり、それぞれ独自の文化を発展させていった(創世記10)。ヤフェトの子孫は北メソポタミアに、ハムの子孫はカナンとエチオピアに、セムの子孫は東方に定住します。 

8章 バベルの塔

高慢になった人間はバベルの町に天まで届くような塔を建設しようとした。その結果、神は人間同士の連帯を打ち砕き、話す言葉を乱した。 

洪水後、大きくなっていったノアの一族は箱舟が止まったアララト山周辺の土地には留まらなかった。彼らは東方へ移動し、後のバビロンの町に近いシンシアルの地に住んだ。ノアの一族はおびただしい数に増えたが、同じ言葉を話していたこともあって結束は固かった。 

1 高慢な建設者たち

カインは息子エノクが生まれる前に町を立てていた(創世記4・17)。しかし、ノアの子らは古くからの石とモルタルによる建設法ではなく、レンガ造りの工法を編み出した。焼き固めたレンガは強度があり、それがアスファルトで固められた。人々はその技術を誇りにしていた。 

2 塔を建てる野望

神の領域に入るという傲慢な野望を抱いた人間たちは、結束して町の建設にあたった。その中央には天まで届く高さの塔が建てられることになっていた。それは名声を得ることを望んでのことであったが、「全地に散らされることのないようにしよう」(創世記11・4)とあるように、散り散りになることを恐れてのことであった。塔が安全と連帯をもたらすと感じていたのだ。しかし、実のところ、アダムとエバと同様、神と同じようになろうとする罪が繰り返されていたのです。神はこの高慢を見て言います。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない」(創世記11・6) 

3 言葉を混乱させる

塔の建設ができたのはコミュニケーションが円滑であったからだった。そこで神は人々が異なる言語で話すようにしたのである。これ以降、言葉がバラバラになって、人間は互いに理解できないようになり、「主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた」(創世記11・6)。こうして、一度は寄り集まった人々が離れ離れになり、結束は分裂にとって代わられた。 

4 言語と障害

バベルで神が人間の言葉を乱したことから来る民族間の差異は聖書全編を通じて続いた。その混乱を覆すような重大な出来事が起こったのが聖霊降臨である。様々な国々から来た人が聖霊によってそれぞれの言語で福音を聞いたのである。(使徒2・1~11)。