第一部 一章 聖徳の召し出しは、みなのため

第一部 聖母マリアを通じて聖徳をめざす義務について

第一章 聖徳の召し出しは、みなのため

あなたの魂は、神にかたどって造られ。イエズス・キリストの尊いおん血によって、あがなわれたものです。神は、あなたが地上においては神の聖徳にならい、天国においては神の栄光にあずかるように望んでおられます。聖徳は、あなたのための召し出しです。聖徳を得るために、あなたのすべての考え、言葉、行い、苦しみにおいて、つまり、一生涯のどんな平凡な時にも聖徳をめざしてゆかなければなりません。もし、あなたが、そうしないなら、神のみ旨を果たさないし、神があなたを創り、今まで生かしてくださった大事な目的をないがしろにすることになります。聖徳はなんとすばらしいことでしょう。これによって、くら闇は光に、泥は潔白に、罪は恵みに変化されます。聖徳によって人間は、創り主に似たものとなり、聖徳は神の命にあずからせます。ほんとうに感嘆すべきことではありますが、しかし、そのものとしては、人間の力だけでは絶対に得られないものです。神の恵みなくしては、誰も聖徳を得ることができません。それは、神の異常なほどの豊かな恵みによるものです。それは、天地万物を創るより偉大な傑作です。あなたは、どのようにして、この聖徳を得ることができるでしょうか?あなたは、この聖徳を得るために、どんな手段に訴えられたらよいと思っていますか?救いと聖徳を得るために必要な手段は、福音書の中に書かれ、霊的生活の指導者たちから説明され、聖人たちが実行にうつしたものです。その手段とは、心のけんそん、たえざる祈り、すべてにおいて、特権をささげ、神のみ摂理にわが身をゆだね、神のみ旨に一致することです。これらの手段を実行するためには、疑いもなく、神の恵みが絶対に必要です。この恵みは、その程度の差こそあれ、すべての人に与えられています。程度の差があると、わたしはいいましたが、その理由は、次の通りです。すなわち、神は、かぎりなく善い方であります。そして、すべての人に十分な程度の恵みをお与えになるにしても、みんなに区別なしに、同じ程度の恵みをお与えになりません。大きな恵みをうけた人は、すぐれた行為をすることができますが、それにひきかえ、少ない恵みを受けた人は、限られた程度の行いしかすることができません。わたしの行いに、ねうちを与えるのは、神から与えられた恵みであります。これに人間が協力しなければならないのです。これこそ誰も反対できない原則なのです。