第二部 三章 奉献生活の内的実行

第三章 奉献生活の内的実行

マリアに対するまことの信心は、自分の行いをすべて、マリアと共に、マリアのうちに、マリアを通じて、マリアのためにすることにあると、すでにわたしは述べました。自分をマリアのどれいとして、一度奉献しただけではたりません。また、毎月あるいは毎週この奉献をくりかえすだけでもたりません。それだけだったら、うわべだけの信心で、霊魂を完全に聖徳へみちびく力がないでしょう。あるいは、一つの信心会に入会して、この信心のために定められた祈りを毎日となえるだけでもたりません。大切なことは、この信心の内的精神に入ることです。しかし、これは容易にできることではありません。問題は、霊魂が、内的に、聖母のどれいとなり、マリアを通じて、イエズスのどれいになることにあります。この聖なるどれい制度の感嘆すべき熱烈さをもって、外部的におこなった沢山の人にわたしは出会いました。しかし、その信心のまことの精神を理解して、これを守りつづけた人は少なかったのです。この信心の根本的な実行は、すべての行いを、マリアと共にすることにあります。すなわち、しようと思うすべてのことの完全な手本として、マリアにならうことです。このために、何かをするより先に、自分と自分の考えを放棄し、超自然的などんな善いことも、あるいは、永遠の命のために、功徳のあるどんな行いも自分ではなし得ないと認めて、神のみ前にへりくだる必要があります。わたしたちは、聖母のご意向を理解できなくても、聖母マリアに、よりすがって、聖母のご意向に一致しなければなりません。こうして、マリアを通じて、イエズスのご意向に一致する必要があります。それは、くわしく言えば、マリアが、わたしたちのうちで行い、そして、わたしたちのことを、おん子イエズスのみ栄えのためになるとお思いになれるように、すべてをマリアのおん手にゆだねる必要があります。また、イエズス・キリストを通じて、おん父のみ栄えのためにマリアがおきめになれるように、マリアにすべてをまかせる必要があります。つまり、わたしたちの内的生活の行いも、霊魂の働きもみんな、マリアにきめていただくのです。すべてのことを、マリアのうちにしなければなりません。つまり、自分の心の中に、聖母の小さな、うつし、あるいは絵を作るようにすると共に、内的生活を生きる習慣をつくらなければなりません。つまり、マリアを霊魂にとって、祈りを神に捧げるためのお聖堂としなければならないのです。こうして、祈りを捧げたら、確実に聞き届けられると信じなければなりません。マリアは、また、ダビデの塔のようになり、その中で、わたしたちは、すべての敵から守られるのです。マリアは、あたかも、燃える灯のようになって、霊魂のいちばんかくれたところも照らして、神の愛に燃えたたせるのです。マリアはまた、ご聖体の顕示台のようなもので、その中で、わたしたちは、神の姿を仰ぎみることができます。マリアが霊魂にとって、希望と安全な、よりどころとならねばならないのです。祈るときは、マリアと共に祈り、聖体拝領によってイエズスご自身をいただくときは、イエズスが喜ばれるように、イエズスをマリアにまかせるのです。どんなことをする時も、マリアのうちで行いすべてにおいて、自分から離脱しなければなりません。マリアには、おん子の前で取りつぐ力があり、また信頼されているので、どんなことを願うにしても、マリアを通じて願うようにすることは、たいせつです。結局、わたしたちは、おん子に祈るとき、自分ひとりで祈るのではありません。すべての行いをマリアのためにしなければなりません。マリアの愛のどれいになった人は、このやさしい善良な姫ぎみのために働きます、そして、直接の目的として、マリアのみ栄えのために、最後の目的として神の栄えのためにだけ、行わねばなりません。もちろん、利己心を放棄しなければなりません。なぜならば、利己心は、わたしたちが気づかないうちに、どこでも入りこんでしまうからです。それで、なん回もなん回も、心の深いところで、こういわなければなりません。「わたしの愛する姫ぎみよ、わたしは、あなたのために、これこれの行いをし、そこ、あそこに行き、これこれの悩みと侮辱をがまんします」と。イエズス・キリスト、あるいは神の所に直接に行くほうが、もっと完全であると考えないように、注意してください。マリアの仲介がなかったら、あなたの行いも意向も、たいした値打ちはありません。しかし、かえって、マリアを通じてするとき、あなたの行いは、もうあなたの行いではなく、あなたのうちに働いてくださるマリアのものとなり、そのために神のみまえにもっと貴重なもの、うけ入れられるものとなります。あなたが、聖母のためにする、あるいは、話すことのために満足感を無理にでもよけいに感じたいと望まないでください。マリアは地上に生きておられた時にもっておられた、その清い信仰が、あなたのすべての言葉と行いに満たされるようにしなさい。マリアは、きっと適当な時に、この清い信仰をお与えてくださるにちがいありません。愛の小さなどれいである、あなたは、神を明らかに仰ぎみること、愛にもえること、精神の喜びと富と楽しみをあなたの姫ぎみマリアに残しなさい。あなたは、かえって、悩みと放心と、嫌気と、無味乾燥と、苦しみにみちた純粋な信仰だけを、自分のために探しなさい。そして、「わたしは、今のところ、これ以上のことができないから、わたしの姫ぎみマリアが天においてなさることに対して、わたしは賛成します」といいなさい。聖母のやさしい現存を心のなかで、すぐ味わうことができないことを悩んだり苦しんだりしないようにしてください。この恵みは、すべての人に与えられるものではありません。神が、大いなる、おんあわれみによってこの恵みをお与えになっても、もし度々集中しないなら、これを容易に失うことがあります。もし失ったら、マリアによりすがり、マリアのことを忘れたことについて、許しをねがいなさい。