むすび 命の木

すなわち、マリアが、わたしたちのうちに生き、支配して頂くための方法。イエズスのおん血によってあがなわれた霊魂よ、わたしが、今までいったことを聖霊にみちびかれて理解したでしょう。そのことを神に感謝してください。このことは世間のわずかの人だけが知っている秘密です。もし、あなたは、マリアの畑に、福音書がいっているように、かくれた宝、貴重な真珠をみつけたなら、それを買うために、すべてを売ってください。神だけをみいだすために、自分自身を完全にマリアにまかせ、喜んで自分を放棄してください。わたしが説明してきた信心は、命のまことの木にあたります。聖霊が、あなたの心に、これをお植えになったのなら、あなたは全力をつくして、これを養い、適当なときになったら、みのらせるようにしなければなりません。この信心は、福音書にある“からしだね”のようなものです。それは、種の中で、いちばん小さいものであるにしても、非常に大きく成長して、空の鳥、すなわち選ばれた人々が、その枝の中に巣をつくり、酷暑のときに、そこで休み、野獣から守られます。では、ここで、この木を養う方法を教えましょう。この木がひとたび信者の心の中に植えられたなら、人間からの、なんの支えもなしに、自由に風にあたりたいのです。この木は神から植えられたものであるからこそ神に向かって枝をのばします。このためにどんな被造物の助けも必要としません。かえって、被造物の助けは、自由に伸びるのを妨げる危険さえあります。また、自分の自然的な“たまもの”や、人間の賛成や助けによって命の木を支えることも可能です。それで、ひたすらマリアにだけよりすがって、そのおん助けだけを、支えとしなければなりません。この命の木を植えられた霊魂は、よい庭師となって、常にこれを守り世話してあげねばなりません。なぜなら、この木は生きていて、命の実を結ばねばならないからです。それで、たえず注意して、これを養い成長させねばなりません。ほんとうに完全になりたいと望む霊魂の世話は、次のようにします。すなわち、たびたびその目標について考え、それだけを自分の大切な仕事にすることです。そしてまた、“いばら”と“あざみ”を根こそぎにしなければなりません。もしこれを怠ったら、この木を窒息させて、みのりを妨げることになるのです。具体的にいえば、犠牲心と自己放棄によって、無益な楽しみと、空しい世間的な用件を砕いたり、刈り込んだりするように、いつも注意しなければならないのです。あからさまにいうなら、毎日の十字架でもって肉欲をおさえ、専心、五感をつつしむようにしなければならないのです。昆虫と、寄生虫が命の木に損害を加えないように、気をつけなければなりません。みどりの葉を食いつくし、みのりの美しい希望を破壊する寄生虫は、自己愛と、ぜいたくな生活に対する執着です。なぜなら、自己愛と、聖母への愛は決して、あいいれることは出来ないからです。野獣が近づくのも妨げねばなりません。野獣とは、大罪のことです。大罪を犯してしまったら、命の木を死なせる結果になります。小罪さえも、この木にふれてはなりません。もし意識して犯した場合は、小罪でも大きな危険になります。この木には、たびたび水を注がねばなりません。それは、信心業、告解、聖体拝領、個人的、あるいは共同体でする他の信心業を熱心にすることです。そうしないなら、木は実をつけることができません。風がこの木をゆさぶったり、動かしたりしても心配してはなりません。なぜなら、いざないの風がその木を倒したり、霧と寒さが、この木を襲うのは、やむをえないことだからです。つまり、マリアに対するこの信心は、攻撃されたり反対されたりすることはさけられないことです。それにしても、忍耐してこの木を守るなら、何も心配することはありません。あなたの中に、植えられた命の木を聖霊によって、今いったようにして養うなら、間もなく、それは、高く成長して、空の鳥さえもそこに住むようになるでしょう。この木は、こうして立派な成長をとげて、適当なときに、きっと恵みの実をむすぶでしょう。その実とは、マリアのただ一つの実、愛すべきイエズスです。マリアという命の木を植えていただいた霊魂は、幸せです。その木が成長して花を咲かせることになれば、その霊魂はもっと幸せです。でも、この実を味わい、その時まで、そして、永遠にいたるまで、この木を保存する霊魂は、なおさらにすぐれた程度に幸せです。アーメン。「この教えをもっている人は、忠実にそれを守りますように」。おわり