第6書 3章 最後の晩餐

主は使徒たちの足を洗ったあと、テーブルを持ってくるように命じました。このテーブルは大変高価な布で覆われ、その上には皿と大きな盃(さかずき)のようなコップが置かれました。その家の主人は、エメラルドのような宝石で出来た皿と盃を提供したのです。全員が着席してから、主は種なしパンと葡萄酒をもってこさせました。主は心からの愛の言葉を使徒たちに話しました。み言葉は彼らの心の奥深くに達し、心を燃え上がらせました。ご自身の神性と人性、救い、今祝おうとしている神秘の誓いについて申し渡しました。人はお互い愛し合えば御父により愛されること、新しい律法と新しい教会の建設のため使徒たちを選んだこと、御母の崇高さと特権について、使徒たちの理解を更新させたのです。私たちの主キリストは、皿の上のパンを両手で取り上げて、永遠なる御父に心のなかでお願いしました。「今、私が話し、今後、教会で繰り返される言葉により、私が実際にこのパンのなかに存在すること、私がこの約束を守ることを助け、許してください。この願いをしながら御目を天に上げている姿は、使徒たち・天使たちと御母に新しい深い畏敬の念を起こさせました。主は聖変化の御言葉を宣言し、パンを御自身の真の体に変えられました。直ちに葡萄酒に対する聖変化の御言葉を宣言し、ご自身の真の御血に変えられました。そして、永遠の御父の御声が聞こえました。「これは私の愛する子、私の喜び、世の終わりまで至るまで私の喜びです。私の子は、人の世に追放の間、常に絶えず私と共にいます」。おなじように聖霊は、み言葉を宣言します。み言葉のペルソナのなかのキリストの至聖なる人性は、ご自身の体と血の秘跡のなかにいる神性を恭しく拝み織ました。御母は一歩退き、聖なる秘跡のなかの御子を崇めました。御母の守護の天使たちや天の全天使たちと一緒に、エノクとエリアの霊魂も旧約の王たちや預言者たちを代表し、秘跡のなかの主の前にひれ伏しました。裏切り者を除く使徒たちと弟子たち全員はこの秘跡を信じ、謙遜と威厳を込めて崇めました。最高の司祭である主は、聖変化された御体と御血を両手で高く上げました。この時、御母、聖ヨハネ、エノクとエリアは特別な理解を神から頂きました。どのように御体がパンのなかに、御血が葡萄酒の中に存在するのか、御体と御血が御霊魂と結ばれているために生きている真の御子が現存すること、御子のペルソナが御父と聖霊のペルソナとどのように結合しているのか、聖三位一体の一致の故に、御聖体は主の人性とともに聖三位一体であることを理解したのです。主のなさったことを司祭の一人一人が再現する事、天地が崩れてもこの秘跡は決して崩れないことも御母を初めとする四人の深く理解することになりました。御母の理解はさらに深遠でした。この秘跡により、パンや葡萄酒の刑色は変わらず、御体と御血も元のままであることがよく分かりました。御子の聖祭は続きます。御子は御聖体を割り、一つを頂きます。ご自身を人間として認め、御聖体と御血を敬虔に頂く様子は、私たちに聖体拝領の仕方を教えただけでなく、人々が御聖体を粗末に扱うことを悲しまれることを知らせています。主の聖体拝領により、タボル山での御変容のときのように主の御体は短時間輝きました。御母には良く見え、他の三人には少し見えました。主は御聖体と御血を拝領し、永遠の御父を讃え、人間の救いのための犠牲として秘跡にこもるご自身を捧げました。残っているパンの切れ端を大天使ガブリエルに渡し、御母のところに持って行かせました。御母は涙を流し、御聖体を恭しく拝領しました。その後で、主はパンを使徒たちに手渡し、分け、配るように命じました。使徒たちは司祭の権限を与えられ、聖なる教会の創立者となり、他の誰にもまして優先権を与えられたのです。主イエス・キリストの御命令により、聖ペトロは御聖体をエノクとエリアに授けました。二人は大喜びして、将来、天国に入り、主なる神に御目にかかることを世の終わりまで待つよう改めて決心しました。心からいと高き御方に感謝したあと、天使たちに寄り二人の住居である古聖所に連れ戻されました。この奇跡により主は、昔からの自然法と成文放を御受肉、救世と人々との復活のなかに組み入れることを示されたのです。これら全ての秘儀は、至聖なる聖餐のなかに存在するからです。

元后の御言葉 ああ、私の娘よ、カトリック信者たちが石のように固くなった心を開き、聖体拝領の真の意味をつかむように心から希望します。御聖体のなかに力と健康があります。悪魔に誘惑され、迫害されても問題ではありません。御聖体を頻繁に拝領することにより、信者は悪魔を克服できます。ルシフェルと部下の悪魔たちが御聖体に近づくとき、地獄の拷問よりも怖い思いをします。教会のなかに入り、御聖体が安置されているところにいると残酷な苦痛にさいなまれますが、人々を罪に誘惑し、滅びに導こうと一生懸命になっています。御聖体が市街を通るとき、悪魔たちは怖さのあまり、逃げ回るのです。御聖体を敬虔に拝領する信者たちも悪魔にとって苦手です。それでも悪魔たちは、信者に御聖体の有り難さを忘れさせ、無関心にさせ、世の中のことに気を配るように絶えずけしかけてくるのです。この目に見えない敵に対して、聖体拝領という武器を持って聖なる教会のためにあなたが戦うべきであることは主の聖なる御意志であり、私の意志です。罪を犯すカトリック信者たちを救うためには、敬虔に聖体拝領すること、次に私に取り次ぎを願うことが大変胎児であることを肝に銘じなさい。信心深く聖体拝領する人たちは、主の御体や御血を頂かずに殺された殉教者たちよりももっと大きな光栄を頂くのです。私はただ一回も御聖体を頂く価値はありません。私は原罪の汚れはなく、セフィラム以上に愛徳を積み、全ての徳行において諸聖人以上の英雄的功徳を行い、私の全行為の意図は至高であり、私の習性も賜物も比較にならないほどの高貴であり、御子に見習って苦労し、恩寵の功徳を受けないときは一時もありませんでしたが、これらの全てを越えるのは「聖体拝領」です。聖体拝領するあなたは、いと高き御方を崇め、いつも主を受ける準備と何回でも殉教する覚悟をしなさい。