第6書 2章 我らの主の変容とエルサレムへの凱旋的入城

我らの救い主なるイエスは、説教と奇跡に既に二年半以上を費やし、ご受難とご死去により世を救い、永遠の御父へ戻られる時に近づいておられました。ご受難により御体がむごたらしく傷つけられるのを見て弟子たちが落胆することを見通し、あまり落胆しないように、同じ御体が光栄のうちに御変容するのを見せようと望まれました。主はガリラヤの中心の高い山、ナザレの西約七キロにあるタボル山に三人の使徒たち、聖ペトロ、聖ヤコブ、そして聖ヨハネを連れて出かけました。二人の預言者、モーゼとエリアが現れ、主の御受難について話しました。主が御変容になったとき、声が聞こえました。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」(マタイ十七・五)。聖福音史家たちは、聖母がそこにおられたかどうかについては触れていませんが、実は聖母は天使たちに運ばれて御子の御変容を目撃されたのです。御母は信仰を再確認する必要はなかったので、聖福音史家たちは御母についての記述を省いたのでしょう。御母は御子の光栄を見聞きし、心からの感謝と最も深い洞察を示し、天使たちと共に新しい歌を作りました。御変容の後、聖母はナザレの実家に運ばれました。御子もそこに帰ったあと、エルサレムに向かいました。御母、弟子たちや使徒たちも同行し、ガリラヤやサマリアを通ってユダに入り、エルサレムに着くことになります。主はエルサレムに向かうにあたり、人類のために自分を犠牲にしたいという熱烈で寛大な希望を抱いておられました。次のように御子は祈られました。「私の永遠の御父、あなたのみ旨に従い、あなたの正義を果たすことを喜びます。アダムの子らの借金を返し、閉ざされた天の門を開き、あなたと仲直りさせます。迷子になった人を探し、堕落した者たちを高め、貧しい者に富を与え、渇く者に水を飲ませ、高慢な人を低くし、謙遜な人を高くします。十字架の旗を揚げ、その下で人々が戦うことで地獄に打ち勝ち、ルシフェルと彼の悪徳に対して勝利を得させます。私が無数の侮辱と恥辱を受けることを祝福してくれますように。敵の手で殺されるまで、私がへりくだることで、選ばれた人々が苦難を耐え忍び、私と同じ迫害を受けるとき貴い報いが与えられますように。ああ、愛すべき十字架、あなたが私を抱きしめるのはいつですか?十字架によって私が死にうち勝つのはいつですか?苦痛、恥辱、鞭打ち、とげ、拷問、死よ、あなたは、私のところに来なさい。あなたの価値を知っているので、私はあなたを歓迎し、抱きしめます。世はあなたを嫌うとき、私はあなたに憧れます。世はあなたを知らず憎みますが、真理と知恵である私はあなたを愛し抱きしめます。人としてあなたを招き、神としてあなたを高め、あなたとあなたを愛する者によって罪を消します。苦しみよ、私のところに来なさい。あなたが私の人性を苦しみと痛みで私を満たすことを許します。真の神、創造主である御父よ、アダムの子たちが、十字架の拷問と恥辱に苦しんでいる姿を見ることで、今までの誤りに気づき、十字架に掛けられた神に従うことを名誉とすることとなりますように」。御母は、御子を恐るべき苦痛から逃れさせたいという母の愛と、永遠の御父と御子のみ旨に自分の意志を一致させることとの葛藤のため、聖シメオンの預言(ルカ二・三十五)により心が刺し貫かれました。御母は御子に、御子の苦しみを止めることが出来ず、御子とともに死ねないことを訴えました。神の御母の悲しみは、全ての殉教者を合わせた苦痛よりはるかに越えていました。このような気持ちで御子と御母はエルサレムに向かいました。御子の救世の御業が近づくにつれ、御子の奇跡の回数が増えました。その奇跡の一つとして、ベタニアのラザロの復活があります。その奇跡の噂はエルサレムの町中にすぐに広がりました。祭司たちやファリサイ人たちは、この奇跡にいら立ち、会議を開き(ヨハネ十一・四十七)、救い主を殺すことに決め、救い主の滞在場所を知っている者全員に報告するように命令しました。ラザロの復活の後、イエスはエフライムの町に退き、過ぎ越し祭りが近づくまでそこに滞在しました。その間、イエスは十二使徒たちに、エルサレムでイエスはファリサイ人や祭司たちに引き渡され、縄をかけられ、鞭うたれ、虐待を受け、十字架上で死ぬことを使徒たちに語り、エルサレムに行くための心の準備をさせました。過ぎ越しの六日前、イエスは皆と一緒にベタニアに行き、ラザロの二人の姉妹、マリアとマルタのもてなしを受けました。救い主の御受難と御死去の前日の木曜日がきました。その日の明け方、主は御母をお呼びになりました。御母は急いで駆けつけ、主の足元にひれ伏し言いました。「私の主よ、どうぞ話してください。あなたの言葉をお待ちしています」。主は御母を起こし、最もやさしい声で話されました。「母よ、人類の救いのために、御父が永遠の知恵によって定め、私に命じる時がきました。今まで私たちが常にみ旨に従ったように、今回も従います。御父に従い、私が敵の手に渡ることを、私の母として同意してください。あなたが、私の受肉をあなたの自由意志により同意したように、私の受難と十字架上の死を同意してください。御父が私をこの世に送ったのは、私の苦しみにより、御父の家から迷子になった羊、アダムの子らを連れ戻すためです」(マタイ十八・十二)。御母は御子の足元にひれ伏し言います。「主なるいと高き神、創造主、あなたは私から生まれた御子ですが、私はあなたの婢です。あなたがお降りになったことで、私は塵からあなたの母に高めて頂きました。私はあなたの慈しみに感謝し、永遠の御父とあなたの御意志に従います。私の御子である主、御父の永遠に崇められるべきみ旨が成就しますように。私にとって一番大きな犠牲は、あなたと共に死ねないこと、あなたの代わりに死ねないことです。あなたを見倣い、あなたの側で苦しむことは、私にとってせめてもの慰めであります。あなたと共に受ける苦しみは何でもありません。あなたが人類の救いのために無限の苦しみを耐えることは、私の苦痛にとって唯一の慰めです。ああ、私の神よ、あなたと共に死ねないというこの犠牲を受け入れてください。人類の悪を見る私の悲しみも受け入れてください。ああ、天よ、地よ、天使たち、王たち、預言者たち、全ての被造物よ、あなたたちを造った御子の死を嘆く私を助けてください。御子の死の原因である人たち、この偉大な救いを失う人たちの悲惨を私と共に嘆いてください。破滅する人たちは何と不幸でしょうか!子羊の御血で洗い清められる人たちは何と幸せでしょうか!ああ、私の御子、私の霊魂の限りない喜びよ、私があなたの御受難と十字架に参加することができますように、そしてあなたの母としての犠牲をあなたの犠牲と共に永遠の御父が受け取って下さいますように、心からお願いします」。御母は御受難を御子と共に受け、共に贖う者になることを志願しました。そして御母は御子にもう一つのお願いをします。御母は、御子である主が御自身の御体と御血の秘跡を定めることを御子の光栄のために決心され、聖別されたパンと葡萄酒のなかで聖なる教会に留まることを決心されたことを話し、その秘跡を頂く価値のない人間であると謙遜しながら、秘跡を頂きたいことをお願いしました。御子の御体・御血は元々、御母を通して与えられました。御体と御血を拝領することは正しく御子と一致であると共に、御受胎のときと御懐妊のときの御二人の一致の再現せもあります。再び結ばれ、御母の心のなかに御子を再びお迎えし、将来決して離れることにならない喜びを、御母は述べておられるのです。このようにお互いの挨拶を交わされ、イエスは御母を残し、エルサレムへ出発するまえにお祈りしました。「永遠の御父なる私の神よ、私の兄弟であるあなたの被造物の全てを罪から救うために、苦しみと死に向かいます」。

元后の御言葉 私の娘よ、人々が聖体拝領を度々頂くのを嫌がり、怠り、準備も、熱い信心もなく御聖体に近づくことは、主にとり、私にとり、諸聖人にとり、何という恐ろしい犯罪であるかを考えなさい。聖なる秘跡にいらっしゃる御子を頂くために、何年間も私は準備しました。私はそれを妨害する罪は全くなく、恩寵に満ちているにも関わらず、愛、謙遜と感謝の徳を熱心に積み、聖体拝領にあずかる身にしようとしました。御子の神性と人性がいらっしゃるご聖体を頂くため、ふさわしくなれるように毎日いつも自分の罪を非難しなさい。