第5書 1章 マリアの内的試練。イエスは神殿に留まられる

聖家族がナザレに落ち着かれてから御子が十二歳になられるまでと、その後、公的生活に至るまでの御様子について、私が見聞きした事柄は膨大な内容があり、私は二、三の出来事しか書くことは出来ません。ナザレの帰還後、まもなく主は、御母に少女時代と同じ修練をお望みになりました。御子と御母が、この世の新しい律法が刻み込まれるために二枚の板になったのです。聖なる福音史家たちは、イエスが十二歳のとき、エルサレムで迷子になったときのことを記録して他、御母については触れていません。ナザレ滞在の二十三年間、御母は、御子イエス・キリストのたった一人の使徒でした。この至純なる乙女が、神以外の全てを越えた高みに至るまで聖性を養うために、主から愛徳その他諸徳の力強さを試されました。そのため、主は聖なる王女から遠ざかりました。主の輝かしい臨在も恩寵もあるのですが、内的に姿を消し、最も素晴らしい愛情の印も示さなくなりました。御子も、内的になり、しょっちゅう一人きりでいることが多くなり、口数もとても少なくなりました。この予期せぬ説明もない変化は、私たちの女王の愛の純金をさらに純化するための溶鉱炉となりました。女王は、自分が主の幻視を見せて頂く価値のないものであり、慈愛の御父に感謝しなかったと考えました。愛を失ったことよりも、主に十分に仕えなかったり、落胆させたことを怖れました。自分の落ち度を嘆く御母の愛情を見て、御子は胸が痛くなりながらも、外面的によそよそしい態度をとりました。このような逆境にめげず、御母の心はますます愛に燃えました。深くへりくだり、御子を心から崇め、御父を祝し、御業の素晴らしさに感謝し、み旨に自分を捧げ、信・望・愛と燃える愛の祈りを絶え間なく更新しました。御母はあらゆる行為から、甘い松のような芳香が御父に昇っていきました。また、涙ながらに自分の苦難について主に申し上げました。御母の願いに応じ、聖ヨゼフは長椅子をこしらえました。御母は毛布を一枚かけました。これがエジプト滞在のときから御子の寝台になりました。御母は毛糸で枕を作りました。しかし、この寝台に御子は滅多に寝ませんでした。御子は、自分のベッドは体を四方に伸ばして仰向けに寝られる十字架だけであると言われました。バビロンの人々が愛した物事によって、誰も永遠の休息を得られないこと、苦しむことはこの世の本当の休息であることを教えられました。御母は御子に倣い、御子のされるような休息の取り方をしました。御母の苦難は三十日間続きました。愛と神なしには一瞬間も生きられないと思う御母にとっては何年間もの苦難に匹敵しました。また、この期間は、御子イエスにとっても、御母にたいする愛を見せないという苦しみのときでした。ある日、謙遜なる女王は御子の足元にひれ伏し、泣き、訴えました。「私の最愛なるいと高き善なる神、私は塵と灰にしか過ぎません。私があなたに対する奉仕に熱心でないなら、叱り、そしてお許しください。しかしながら、私の救いである御顔の喜びをお見せください。それを拝見できるまで私はひれ伏し続けます」。この熱烈な嘆願以上に、御子はそれを望んでおられました。大変やさしく仰せになりました。「私の御母、お立ちください」。御子は、永遠なる御父のみ言葉です。このご挨拶はたちまち御母を最も高揚された恍惚のなかに引き上げました。この神の幻視のなかで、主は御母を優しく迎え、御母の涙を喜びに変えました。主は新しい福音の掟の偉大な秘密を御母に授けました。至聖なる三位一体は、御母を人となられたみ言葉の最初の使徒に任命し、あらゆる人々の模範にしました。あらゆる聖なる使徒たち、殉教者たち、教会博士たち、聴罪師たち、修道女たち、その他、御子が人類の救いのために建てる新しい教会の義人たちの模範になったのです。聖家族がナザレに落ち着いてしばらくしてから、ユダヤ人がエルサレムの神殿に行き、主にご挨拶するときが来ました。出エジプト記や民数記に書かれてあるように、この義務は年に三回あります。男性だけに義務があり、女性には義務が果たされていません(出エジプト二十三・十七)。女性は行っても行かなくてもよいのです。天の貴婦人は聖ヨゼフに相談し、人となられたみ言葉にも助言を求めました。年二回は聖ヨゼフだけが一人でエルサレムに行き、三度目は三人が一緒に行くことに三人は取り決めました。イスラエル人が神殿に行くのは、幕屋祭、ペンテコステ(聖霊降臨)の祝日と、種無しパン、つまり準備の過ぎ越しの祝日でした。聖家族が一緒に行くのは、過ぎ越しの祝日になりました。何回も家族は行きましたが、神の御子が十二歳になったとき、家族は神殿に出かけ、神の光が輝き渡りました。この過ぎ越し祭は七日間続き、最初の日と最後の日が一番盛大でした。聖家族は他のユダヤ人たちと同様、七日間、礼拝と信心業を行いました。御母と聖ヨゼフは、人間では考えられないほどの恩寵と祝福を頂きました。祭りが終わり帰郷するとき、御子は黙って両親から離れました。団体は男女別々に旅をして、ある地点で合流することになっていました。御子は一緒でなかったので、御子は聖ヨゼフと一緒であると御母は考え、他方、聖ヨゼフは御子は御母と一緒にいるに違いないと思い、二人ともそう思い込んでいました。御二人が合流し、御子がいないと分かったとき、驚きの余り、しばらく呆然としました。やっと気を取りもどしたとき、御子を見失ったことで自責の念にかられました。愛すべき御母は聖ヨゼフに申しました。「私の夫、私の主人、心配でしょうがありません。急いでエルサレムにとって返し、私の至聖なる御子を見つけましょう」。御二人はエルサレムに戻り、親戚や友人を訪ね回りましたが、誰一人として御子の所在を知る人はいませんでした。至聖なる御母は涙と嘆きに明け暮れ、三日間寝食を忘れました。三日目は砂漠に行き、そこで洗礼者ヨハネに尋ねてみようと思いましたが、またもや天使たちに引きとめられたので、御母は天使たちが主から口止めされていると気付きました。この時の御母は女王にふさわしく誠に偉大でした。御母の悲しみは、あらゆる殉教者たちの苦痛を全部合わせたものよりも、もっと深刻でした。天使たちと話す以外は何らの恩恵も与えられず、御母の御子の謎の失踪に苦しみ続けました。御母は、聖性、堅忍不抜と完徳、平安を保ち、怒りとか混乱、困惑など普通の人々が陥る苦しみには落ちませんでした。御母は天の秩序と調和を保ち、主に対する畏敬と賛美を忘れず、熱心に三日間ずっとエルサレムの街を歩き回ったのです。何人かの婦人たちに御子の特徴を質問されると御母は答えました。「我が子は、色白で血色がよく、何千人もののなかから抜擢されたのです」。一人の婦人は言いました。「その子だったら私の家に施しを乞いにやって来ましたよ。私は少し分けてあげましたの。気品が高く、ハンサムで、私はうっとり見とれました。その子があまりにも貧乏な様子なので、すっかり気の毒になったのですよ」。この最初のニュースで御母は少し元気になりました。他の人たちからも同様の知らせを聞き、清貧の開祖である種は病院に行かれたであろうと察し、病院に行ってみると、案の定、施しをし、慰めてあげたと分かりました。御子のことを聞いて、御母はなつかしさが込み上げてこました。御子が貧乏人のところにいないなら、神殿にいるであろうという気がすると、御母はぐずぐずしませんでした。天使たちも御母に神殿に急いで行くように勧めました。そのころ、偉大な家長である聖ヨゼフは、御母と離れ、他の地域を探し回っていました。神の御子を心配するあまり、寝食を忘れ、行き倒れるかもしれないほどでした。御母が天使たちから勧められるとすぐに聖ヨゼフに会ったのです。さて、神の御子が旅の一団から離れ、エルサレムの街のなかに戻ったのは、街の門のすぐそばでした。ご自身の失踪により起こる全てを予見し、人々の恩恵のため、全てを永遠なる御父に捧げました。御子が、その三日間、施しを乞いながら人々の家々を訪問したのは、清貧の家の長男として乞食生活をするためでした。貧者のための病院に行って、もらった施しを与え、慰め、密かに身体の病気を治したり、大勢の病人の霊魂の健康を回復してあげました。御子が施し物をした何人かの人たちには恩寵と光りをたくさん与えました。このようなことをし終えた後で御子は神殿に行きました。その日、学問を積んだ先生たちが集まり、救い主の来臨について討論していました。洗礼者ヨハネの誕生や東の王たちの来訪依頼、不思議なことが起こったため、救い主の来臨または存在が噂されていたからです。著明な学者たちの前に、神の御子は諸王の王として、無限の知恵なる神として現れました。威厳と恩寵をふんだんに与える御子に、学者たちは耳を傾けました。御子の説明に学者たち一同は驚嘆し、この子供は一体何者かと口々に言い合いました。御子が説明を終了する前に、御母と聖ヨゼフが到着し、御子の話しに聞き入りました。御子を見つけて大喜びの御母は、御子に近寄りました。「我が子よ、どうしたのですか?あなたの父と私はあなたを探せずとても悲しみました」(ルカ二・四十八)。主は答えられました。「どうして私を探しましたか?私が御父の御業に携わっていることを御存じではなかったのですか?」ルカは御両親が御子の言葉を理解しなかったと言います(ルカ二・五十)。ご両親には御子の行動が隠されていましたし、その時は喜びで一杯で十分に納得する暇がなかったからです。学者たちは素晴らしい教えを聞いてすっかり驚いて去って行きました。三人きりになると、御母は御子を優しく抱いて言いました。「私の子よ、私の心の悲しみと苦しみを言い表したことを赦してください。行方不明にならないでください。あなたの手元に召し使いとして私を置いてください。私の怠慢のため、あなたが立ち去るならば、どうぞ、私を赦し、ましな人間にしてください」。神の御子は御母を受け入れ、三人はナザレに出発しました。ナザレでは御子イエスは御母と聖ヨゼフに従順でした。神が両親に対して従順なことは天使たちの脅威の的でした。御母は聖ヨゼフの助けを得て、御子を自分の子供として取り扱いました。御母は、御子が戻って来られたことに心から感謝しました。それに値しないことを、御母は十分に承知しており、御子への奉仕についてもっと愛情深く、もっと注意深くなりました。御子の世話をするとき、御母はいつも素早く、いつも世話をする機会をうかがいました。御子のそばではいつも跪きました。御子は心から感動し、最も強い愛情で御母に結ばれました。御子の恩寵は御母の心のなかに洪水のように流れこみましたが、御母の心から溢れ出ませんでした。御母の心は大海のように大きいからです。

元后の御言葉 私の娘よ、主が私から姿を消されたのは、私が悲嘆の涙にくれながら主を追い求め、ついに主を発見し、再び喜び、豊富な実を得るためでした。あなたも同様に主をしっかりと抱きしめ、決して見失わないように熱心に主を探し求めなさい。無限の知恵なる主は、私たちを主の永遠の幸福に至る道に導きましたが、そこまで行きつくかどうか私たちが疑うこともご存じです。従って最終の目的地に達したい希望と、達せないのではいかという怖れがある限り、最大の邪魔者である罪を一生嫌悪することになります。この怖れ、不安、嫌悪は信望愛や自然な理解力に加えて必要です。主を忘れないように、主のおられない時にはそのことに気づくように、主を忘れると、たくさんのこの世の宝物やごまかしの楽しみを自分のものとし、それを自分の最終目的にします。この危ない愚行に注意しなさい。この世のあらゆる楽しみは気違いであり、この世が笑うことは悲しみであり、官能的快楽は自己欺瞞であり、心を酔わし、本当の知恵を壊す愚であることをわきまえなさい。主を完全に抱くと主以外の何物にも喜べないのです。