第4書 第9章 イエスとマリアの甘美な交流。エジプトからの帰国

イエスは一歳になった時、沈黙を破り、養父として忠実に務めを果たしている聖ヨゼフに話すことにしました。御母との会話が御生誕のときに始まったことは、私が前に述べた通りです。御母と聖ヨゼフが御独り子を人々の救いのために世に送り、人となり、人々と話し、堕落した人性の罰を受けるように取り計らった神の無限性、善と有り余る愛について話し合っていた時です。その時イエスは、御母の胸に抱かれながら聖ヨゼフに話しかけました。「私のお父さん、私が天から地に降りてきたのは、この世の光となり、世の罪の暗黒から救うためです。良い羊飼いとして私の羊を探し、知るためです。羊たちに永遠の生命を与え、天国への道を教え、羊たちの罪により閉ざされていた天の門を開くためです。御母もお父さんも光の子供たちになってください」。この御言葉は家長である聖ヨゼフの心を新たな愛、尊敬と喜びで満たしました。聖ヨゼフは跪き、お父さんと呼んでくださったことを感謝し、涙を流し、自分がみ旨を果たせるように導き、何物にも優る御子からの恩恵を感謝するよう教えてくださることをお願いしました。聖ヨゼフは肉親の父親ではなく養父ですが、御子に対する愛情は、普通の両親の二人分の愛情よりももっと深いのです。イエスが一歳のとき、御母は普通の赤ちゃんが着るような着物を着せました。イエスは他の赤ちゃんと違わないように、本当の人性を取るように、人間への愛を示すように、人間の不便さを耐えるように望みました。イエスの人に対する無限の愛は、御母を主に対する感謝で一杯にし、英雄的諸徳を行うきっかけとなりました。御子が履物を必要としないで一枚の着物だけで十分と言ったのですが、御母は言いました。「何か履く物が必要です。布地の荒い着物はあなたの肌を傷つけるのに、あなたは下着の亜麻布(リンネル)も不要とおっしゃいます」。御子は答えられました。「御母よ、私の足には何か履きましょう。公生活が始まれば裸足になります。今リンネルは不要です。それは肉欲を助長しますし、人々の諸悪徳を引き起こします。私の模範により、私を愛し、模倣するように大勢の人たちに教えたいのです」。御母は直ちに御子の要望に応じました。自然のままで着色されていない羊毛を入手し、細い毛糸を紡ぎ、一枚の縫い目のない布を織りました。小さい機織りを使い、横糸を通し、刺繍するように織ったので、綾織のように少しデコボコした感じに出来上がりました。それは、しわもなく平らで均等であったことと、御母の要望により茶色と灰銀色の混ざった色がついたことが二つの不思議なことです。御母は麻のような強い糸で靴を織り、幼児の神に履かせました。御母は下着も織りました。御子イエスは歩けるようになってから、昼間の何時間か御母の祈祷室で過ごしました。御母の無言の問いかけに御子は答えられました。「私の御母、私といつも一緒にいて私の仕事を模倣してください。御母が皆の模範となり、人々の霊魂も御母の完徳を積むように。もしも人々が私の意図に反抗しなかったら、人々は私の最も豊かな賜物を得たことでしょう。人類が私を追い出したので、私は御母を全ての完徳と私の宝として選びました。私を見習うため、私のあらゆる行動をよく見なさい」。こうして天の貴婦人は、新しく御子の弟子になりました。御子が永遠の御父に向かって人類の救いのため祈るとき、地面に伏すか、十字架の形をとって起き上がりました。この全てを御母は真似しました。御子の外的行動だけでなく、心のなかの動きも御母にはよく分かりました。御母は御子の至聖なる人性と霊魂の動きを見ていつも喜びました。御子の人性が神性を敬い、愛し、讃えるという心の中の行為を感知したのは御母だけの特権です。例えば、御母の眼の前で御子イエスは泣き、血の汗を流しました。ゲッセマニの園でそのように苦しまれる前、何回も苦しみました。御母は、その苦しみの原因がよく分かりました。つまり、人々が滅びたこと、創造主と救世主の恩恵に感謝せず、主の無限の力と善の御業をその人たちが捨ててしまったことです。また御母は、御子が天の光で輝き、讃美歌を歌う天使たちに囲まれているのを見た時もあります。このような不思議なことは、御母だけが目撃したのです。ヘリオポリスの大勢の子供たちが御子イエスのもとに集まってきました。無邪気な子供たちは御子が人間以上かどうかを問わず、天の光を自由に受けたので、真理の先生である御子から歓迎されました。御子は子供たちに神や徳について教え、永遠の生命の道を大人たちよりもっとたくさん諭しました。御子のみ言葉は生命と力があるので、子供たちの心をつかみました。イエスと遊ぶという幸運を得た全ての子供たちは大きくなって偉大な聖人になりました。エジプトにおいて御子イエスが七歳から八歳になろうとしたとき、ナザレに帰ることになりました。預言の通りです。御子と御母が一緒に祈っていたある日のこと、御二人は主の御旨を知りました。同じ日の夜、主の御使いが睡眠中の聖ヨゼフに話しかけ(マタイ二・二十)、御子と御母をイスラエルの地に連れ戻すこと、ヘロデ王や御子の命を狙った人々は既に死んだことを告げました。いと高きかたは、家長である聖ヨゼフに旅の準備を任せました。聖家族は、より高い地位にある御子と御母に従う天使たちと一緒に、パレスチナに向かって出発しました。偉大な女王はロバに乗り、膝の上に御子を抱え、聖ヨゼフもそのすぐ後ろを歩きました。エジプトの友達や知人たちは、偉大な恩恵者が立ち去ることを悲しみました。激しく泣き、嘆息をつき、恩恵者たちなしには、何もできなくなることを大声で抗議しました。闇を追い払った太陽が沈み(ヨハネ一・九)、惨めな夜が差し迫ってきたからです。聖家族は神の助けにより、別離の辛さを乗り越えました。エジプトの色々な町を通りながら、聖家族は恩寵と祝福を撒きました。一行の近づくのを前もって知って、病気や悲しみに喘ぐ人々は街道に集まり、信たちと霊魂の治療を聖家族から頂きました。病人は治り、悪霊多々は病人から追い出されました。ナザレに帰ってみると。聖家族の家は、聖ヨゼフの従姉妹たちがよく留守番をしていました。ここに、長く住みましたから、御子はナザレ人と呼ばれます。ここで御子は年齢、恩寵と徳を重ね成長しました。御母は、御子と聖ヨゼフと一緒に家のなかに入ると直ちに御子の前にひれ伏し、主を崇め、ヘロデの迫害から御子を救い、苦しい長旅の間、三人を助けてくださったことを感謝し、いつもの祈祷生活を始めることにしました。御子の救いの御業に御自身をいつの一致させることです。一方、聖ヨゼフは、神の御子と神の御母を扶養するという大事な役目を果たしました。額に汗して労働することはアダムの他の子孫たちにとっては罰でしたが、聖ヨゼフにとっては幸福でした。御母は聖ヨゼフの食事や身の回りの世話を心からの愛所で行い、聖ヨゼフの言うことに従い、聖ヨゼフの召し使いの立場をとりました。親切にして下さる人たち、除け者にする人たち、自分を嫌々ながらも我慢してくれる人たち全員に感謝しました。

元后の御言葉  私の娘よ、繁栄か窮乏は、この世について回ります。一事を嫌い、他事を喜ぶのではなく、全能者のみ旨だけを考えなさい。人間の心は限られており、狭いので、好き嫌いのどちらかの極端に走りがちです。一人の人間により頼み、失望すると、もう一人の人間に自分の活路を見出そうとします。そうすると混乱と情熱のなかに自分を見失うことは目に見えています。主の御意志だけが、あなたの喜びとなるように。あなたの望みとか恐れが聖務を怠らせることがないように。いつも主を見つめるように、私を見倣いなさい。