第2書 第4章 望徳について乙女なる私たちの貴婦人はどのように実践されたか

主が、地位の貴賤や年齢の高低を問わず、あらゆる人たちに、神と神の神秘を教えるなら、各人は神が自分の最終目的であることを知り、その目的に達したいという熱望にかられることでしょう。これが希望です。洗礼のときに、この希望をもらって以来、この永遠の喜びに達すべく努力し、それを得るための困難に打ち勝たせて頂く恩寵を願っています。まだ目的を獲得していないので、人間は、キリストの功徳と自分の努力の両方で追及することになります。望徳は、信徳と主の間違いのない約束に賢明に頼ることにより進歩します。思考力に基づく望みは、絶望と推測の間に宙ぶらりんとなっており、自分一人の力に頼ることを許しません。み旨を邪魔する怖れや諦めも許可しません。絶望は神の約束を信じないことから、また信じるが、約束したものをもらえないと思い込むことから起こります。この絶望に対抗し、希望は、神が御約束を破棄しないこと、私たちは功徳を積む能力を与えられており、実際に功徳を積むことによってのみ約束が成就されることを教えてくれます。神から与えられた諸能力を乱用することによって、喜ばしい約束が叶えられるなどと考えないでください。主能力は、人生の目的に達するため、この世において神を求めるため善用されるはずのものなのです。神に直接お会いするという人間の最終目的のため、聖マリアは誰よりももっと頑張りました。そのための妨げになるようなものは捨てました。私が以前述べたように、聖マリアはこの世に住んでいたとき、天に上げられ、神に謁見できたこともありましたが、そのとき以外は、日常生活の連続で、神との面接を思い出し、もっと熱心に神を求めました。聖マリアは将来、神のもとに行くという自分が頂くご褒美は諸天使、諸聖人の受ける報酬よりももっと大きいことを知っていました。この知識は、聖マリアの望徳を他の誰よりも強いものとしました。自分の目的を達成するため、崇高な信仰、賜物、そして聖霊の特別な御助けをお願いしたに違いありません。聖マリアの素晴らしい信徳と望徳に相応した素晴らしい賜物の数々を頂きました。望徳は、聖マリアのために神が創造しました。そのあとで人類に分配してくださいました。このため聖霊は、聖マリアを美しい愛と聖なる希望の母と呼びます(シラ二五・二四)。キリストの御母となったように、希望の御母になりました。教会メンバーたちに希望をもたらしました。聖マリアが胎内にいるときに、既にキリストの死により確実となった神のお約束について、恵みの分配者とされておりました。自由意志でキリストを懐妊し、出産したとき、頂いたお約束を私たち全員に手渡し、私たちに希望を下さったのです。聖霊が聖マリアに言われたことは成就しました。「あなたの木は楽園である」(雅歌四・一三)。恩寵の母である聖マリアから由来する全ては、私たちの幸福、私たちの楽園と私たちの希望であるからです。御父のみ旨に従った御子の苦しみにより建てられた教会は、聖マリアによって養われます。母は優しく愛撫して、母性的愛情をもって小さな子供に乳房を吸わせる(一コリント三・十二)。教会が建てられたときから、聖マリアは慈愛の母として、神から頂いた教えという甘い乳を私たちに下さっています。世の終わりまでキリストに取り次ぎ、我らの主キリストは慈悲の御母のお願いを聞き入れてくださいます。聖マリアは私たちの甘美な御母、私たちの生命、そして私たちの希望です。私たちが頂く祝福の根源です。聖マリアは私たちの模範です。ご自分の御子の功徳により与えられる私たちの永遠の幸福のための保証です。私たちがその幸福に辿り着くように助けてくださいます。