第2書 第2章 修道誓願に関して元后から与えられた教え

私の愛すべき娘よ、私の説明を熱心に聞きなさい。賢人は言います。「私の息子よ、友だちと約束するならば、あなたはその人につながり、自分の言葉の捕らわれの身となる」(蔵言六・十二)。神に誓うものは、自分の自由意志を縛り、自分を捧げた御方の意志と命令しか従うことしかできません。自分自身の誓いの鎖につながれます。霊魂の亡びまたは救いは、自由意志の使い方にかかっています。多くの人は、自由意志を悪用し、自分自身を堕落させたので、いと高き方は誓願による修道生活を設けました。おかげで、人は自由な完全な賢明な選択を用いることにより、主にお返しすることができます。誓願より悪を行う自由は消え、善行の自由が保障されます。危険を避け、安全で確かな道へ導きます。情欲の奴隷や従属という境遇から解放され、情欲を支配する力を獲得し、自分の霊魂を修める女主人・女王としての地位に戻り、聖霊の恩寵と勧めにだけ従い続けます。聖霊が修道女の全機能に命令します。こうして人間は、奴隷の地位から天使的生命へと移ります。全身全霊を尽くして聖職の誓いをやりとげようとする霊魂は、どのような祝福や宝を頂くかをあなたは理解できないでしょう。聖務を正しく厳守するものたちは、殉教者と同じまたは、より以上の功徳を積みます。聖務で大切なことは、義務の時間を厳しく守ることです。そして自由な信心業を行う場合、果たされた義務をやりとげた上で、それ以外の信心業を行えば、あなたの魂を美しくし、完全にするでしょう。従順の誓願は、自分の意志を放棄することです。自分のことは、上長の手に委ねます。疑いと自己主張を捨て、信仰と同じように上長の命令を批判せず、敬い、実行することです。自分の意見、意志、発言権は存在しないと考え、自分からは動かず、上長の望みを行うときだけ動かなければなりません。上長の命令を吟味したり、不賛成の言動を取ったりすることなく直ちに従いなさい。上長は神の代理であり、上長に従うものは神に従います。神は上長の理性を照らし、命令が修道者たちの救いのためになるようにします。上長に耳を傾けるものは神に耳を傾け、上長を拒むものは神を拒みます(ルカ十・十六)。聞き従う人の言葉は勝利を話します。(蔵言二十一・二十八)。神は従順なものの過ちを審判の日に赦し、従順の犠牲を見て他の罪も赦します。私の至聖なる御子は、従順なものを特別に愛し、苦しみを受け、死にました。従順なもの全員の成功と完徳のため特別な恩寵と特権を獲得しました。へりくだって死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順であった(フィリピ二・八)。主は永遠の御父にそのことを再び申し上げ、御父は従順なものたちの欠点を大目に見ておられます。清貧の徳は、この世のものをあきらめ、その重荷から解放されることです。霊魂を軽くし、人間の弱さから解放し、永遠の霊的祝福に向かうのに心を自由にします。自主的清貧は他の諸徳をもたらしますが、この世の人たちは地上の富を愛し、聖なる富める清貧に反対するので、この徳の甘美さを全く知りません。大地に自分たちを縛りつけ、金銀を採掘するために、何をしているか知らずに不安を持ちつつ働きます。富を手に入れるまでにひどく苦しみ、富が手に入ったあと、もっとたくさん苦しむのです。富とともに地獄に落ちた人は数知れません。富を持つことで霊魂を窒息させ、神と永遠の富を追う特権を失わせます。一方、自主的清貧は人間の貴さを回復し、邪悪な奴隷状態から解放し、貴い自由を再び与えます。富を持つことを希望しないとき、富への欲望はなくなり、神の宝を蓄えることができます。世のなかのものは、いと高き方により、私たちの生命の維持のために造られました。例えば、食物を手に入れ食べることで、私たちは生きることができ、それ以上の食物を必要としません。しかし、あなたたちは、いつも食物や富を必要以上に欲しがる傾向にあります。また生きるための手段が生きるための目的になる傾向もあります。しかも、私たちの大事な命もどのくらい続くのか、いつ終わるのか誰も知りません。貞潔の誓願は、身体と霊魂の清さをも誓願します。貞潔は簡単に失われます。貞潔を失わないようにするのは難しく、失ったあと、回復するのは不可能です。この大きな徳は城に置かれ、城にはたくさんの門や通路があります。よく守らなければこの宝は失われます。失わないためには徹底して五感を用いないことが大切です。五感を殺すとあなたの敵は手出しできなくなります。キリストの花嫁であるものたち(修道女たち)には、いかなる徳も欠けるべきではありませんが、最も大事な徳は貞潔の徳です。この徳は修道女を霊化し、この世の腐敗から遠ざけ、天使的生命に近づけ、神ご自身に似るようにします。この徳は他のあらゆる徳の飾りとなります。私の御子が十字架の上で勝ち取った救世の特別な果実ですから、乙女たちが子羊に付き添い、お供した(黙示録一四・四)と聖書に書かれている通りです。隠遁の誓いは愛徳や諸徳を囲う壁になります。キリストの配偶者たちに天より与えられた特権です。世の中の危険な誉め言葉から遠ざけ、安全な港を与えてくれます。狭い場所に詰めこまれるのではなく、神の知識の広大な徳の野原にいるのです。修道女はこの野原で楽しみ喜ぶのです。神の知識と愛の頂上に向かって昇りなさい。そこにはあなたを押し込める所はなく、無限の自由があります。そこから被造物を眺めれば、どんなに小さく、汚らしいかがわかります。いと高き御方は、私に説明しました。「人となられる神の母となられる御方の業は完全であり、全人類、全天使たちがいくら考えても理解できないものである。彼女の内的徳行は大変貴く、セフィラムができる全てに勝ります。あなたは理解できても言葉では言い表せない。この世の巡礼において至聖なるマリアをあなたの喜びの第一番にしなさい。人間的なもの、見えるもの全てをあきらめ捨てる荒れ野での旅の間、マリアについて行きなさい。心を尽くして、力を尽くして、マリアをまねなさい。マリアを、あなたの導きの星、監督としなさい。マリアはあなたに私の意志を伝え、御手によってマリアの心に書かれた聖なる律法を見つけなさい。マリアが取り次ぎによりキリストの人性という岩を打つ(民数二十・十一)と、恩寵と光の水がほとばしり出てきて、あなたの渇きを癒し、理解を深め、意志を燃えたたせるであろう。マリアはあなたの行く場所を照らす火の柱(出エジプト十三・二十一)であり、情欲の熱さや、敵の猛攻に打ち勝つ影と憩いを与える雲です」。「あなたはマリアを通して、あなたを守り導き、バビロンやソドムの危険から救い出す一位の天使を受け取るであろう。マリアはあなたを愛する母、相談相手、女主人、保護者、そして女王である。御独り子の母が神殿で修業した功徳のなかに、最高で完全な生活の要約を見るでしょう。すなわち、マリアの本当の姿、乙女の美、謙遜の愛らしさ、すぐに行う献身と従順。堅固な信仰。確信ある希望、愛の火と御手の御業の表現を見るであろう。この規則に従い、あなたの生活を整えなさい。この模範の鑑により、生活を飾りなさい。あなたの配偶者なる主の部屋に入る花嫁の美と優雅さに付け加えられるべきである」。「先生の気高さが生徒たちの進歩を助け、教義を受け入れやすくするとしたら、主イエスの御母に勝る先生はいません。この高貴な女主人の言うことを聞きなさい。マリアをよく模倣しなさい。マリアの称賛すべき諸徳を絶えず黙想しなさい。マリアの隠れた生活は、マリアの後で修道院に入るものたち全員の模範です」。マリアの生活を具体的に説明します。マリアを指導する祭司と先生は、天からの特別な啓示を受けて、三歳になる子供を呼び出しました。天の王女は二人の前にひれ伏し続けました。立つように言われてもひれ伏す許可を願いました。最高の祭司と先生の義務と威厳の前に敬意を表したかったのです。祭司は語りかけました。「私の娘よ、とても幼い子供として主はあなたを神の家に招きました。この恩恵に感謝し、真に、そして正しい心で一生懸命仕えなさい。諸徳を積み、この世の困難と危険に対して打ち勝てるよう準備して、この世に戻るように。アンナ先生の言うことをよく聞き、徳の甘美な束縛を我慢しなさい。そしてこの世でこれほど易しい束縛はないことを分かるようになりなさい」。天の王女は答えました。「神の祭司として神殿を護る私の主人、そして私の女主人、どうか、私が間違わないように、何をすべきかを命令し、教えてください。全てにおいてあなた方の言いつけを守ります」。この天の王女に特別に世話をせよという、神からの啓示を祭司とアンナ先生は受けました。マリアの神秘については知らず、マリアの心のなかの動きと霊感について予想さえできませんでした。祭司はマリアに仕事の規則を与えました。「私の娘よ、心からの尊敬と献身で主の名誉のための歌を歌いなさい。この神殿や神の民の生計のため、救い主の御来臨のため、いと高き御方にいつも祈りなさい。午後八時に就寝し、明け方に起き、午前九時まで主を讃えなさい。九時から夕方まで手仕事、そして色々な仕事を覚えるように。日課のあとで頂く食事を多くとりすぎないように。その後で先生の訓話を聞きなさい。残りの時間は聖書を読みなさい。全てにおいて愛想よく、先生のいいつけを守りなさい」。至聖なるこの子供はひざまずきながら祭司の言葉を聞きます。そして祭司の祝福を願い、祭司の祝福後、祭司の手と先生の手に接吻し、神殿において自分に与えられた果たすべき義務を胸に刻みました。聖性の女主人であるマリアは、謙遜に自分の立場を保ちました。彼女の希望と熱愛は多くの外的な行動に駆り立てました。これらは上長から命令されたものではありません。彼女は、主の代理者の命令に心から従順でした。完徳の女主人である彼女は、神が大事にしていることは他の諸徳を鼓舞するより神のみ旨に謙遜で従順に従うことであることを知っていました。上長の言葉は神の言葉として受け入れ、それに従順に従うことで神の希望や喜びを知ります。しかし、自分の興奮やきまぐれに従うならば、誘惑、盲目の情欲やうそに騙されます。自分に果たされていない仕事でも、私たちの女王は他の少女より抜きん出ていました。全員に仕え、部屋を掃除したり、他の人たちの仕事までしたりしました。神殿の秘密や儀式については神から知らされていましたが、それを勉強したり、実行したりするのに熱心でした。儀式にあずかるとき、どんな小さなことでも失敗しませんでした。人から軽蔑されることも、自分で自分を批判することにも、大変熱心でした。毎朝毎晩、そして仕事を言いつけられるたびに、先生の祝福を願い、先生の手に接吻しました。うやうやしく先生の足にも接吻しました。他の少女たちに対しても尊敬と親切を尽くし、自分の女主人に接するかのように、自分自身を忘れました。自分の同僚である少女たちに尽くすため、卑しい仕事をするため、神のみ旨にこたえるため、どのような好機失いませんでした。下の者が上の者に仕えるのは大きな徳であり、同じ地位の人に従うのは大きな謙遜であると、普通私たちは考えます。天地の元后が、小さい少女たちに心をつくして仕えているならば、困惑しない人はいるでしょうか?従順の誓願をした人でも、神から任命された上長から我意を棄てよと言われると、どれほど困るでしょうか?何回か従順であったら、自分は従順なのだという思い込みを捨てなさい。全ての人よりも偉大なマリアは、自分の同僚たちよりも劣っていると考えたのです。自然と超自然の賜物が組み合わさっている私たちの元后の美しさ、上品、優雅、礼儀は他の人たちに比べものになりません。マリアと話をする人たちが感じた愛情は、神により、ほどほどに表現するように抑えられています。元后は寝食を過度にとらないようにしたばかりではなく、減らそうとしました。しかも、上長に従い、定刻に就寝し、質素な長椅子でセフィラムや守護の天使に囲まれて、もっと高い黙想やもっと強い愛の恍惚を楽しみました。元后は時間割をつくり、賢明に仕事の割り振りをしました。昔の聖なる書物を読み、天から教えられ、深遠な秘儀をよく知っていました。聖天使たちと談義し、比べ物にならない知能と鋭さで天使たちに質問しました。元后が勉強したことを書いたならば、聖書はもっと大部になり、私たちは聖書を完全に理解できたでしょう。