第2書 第五章 我らの貴婦人、至聖なるマリアにおける神愛の徳について

愛徳は全ての徳の女王、母、命と美です。愛徳は他の諸徳を支配し、動かし、最終目的の完成に向かわせます。愛徳は諸徳を啓蒙し、美しくし、生命と効果を与えます。愛徳は完全であり、他の諸徳を完全にします。愛徳なしには、諸徳は生気がなく、効果もなく、少しの価値しかないのです。愛は怒らず、利を求めず、全てを与え、あらゆる善を産み、悪に同意しない(一コリ十三・四)。愛徳だけが天国の鍵を持っています!愛徳は永遠の光の夜明け、永遠の昼間の太陽、清めの火、新しい喜びで酔わすぶどう酒、嬉しさをもたらす甘露、いつも満たしてくれる甘美、霊魂の憩い、神に私たちを結びつけてくれるものです。この結合は御父と御子の一致、御父・御子・聖霊の一致と同じです(ヨハネ一七・二一)。神ご自身が愛です(一ヨハネ四・一六)。カトリック教会は、御父の全能、御子の知恵、聖霊の愛を教える理由を持っています。聖ヨハネが書いた通りです。神の内なる働きは聖三位一体の相互の一致と愛ですが、神の外なる働きは被造物で、被造物は神の愛によって造られ、愛を神に返します。神を私たちの希望、忍耐と知恵と呼ぶときは、それらを神から頂きます。神が愛であると私たちが言うときは、それらを神から頂くだけでなく、神ご自身が愛であり、溢れ流れでる愛であるからです。神の他に完全な愛は至聖なるマリアにあります。愛の最高の働きは、私たちの主キリストがなさったこと、そして永遠になさること、愛がキリストにいつも存在することです。愛の次の場所は至聖なるマリアです。この選ばれた人、聖マリアは、罪により汚れた人間たちの欠点や欠損はなく、人類の欠点を補い、人類のために可能な限り大きな愛を神に返します。聖マリアだけが愛における正義の太陽を模倣するために、全人類のなかから選ばれました(雅歌四・九)。聖マリアだけが知っています。全人類よりももっと熱烈にもっと完全に愛することを、神を神自身のため純粋に激しく欠ける所なく愛することを、そして全人類を神のため、神が愛するように愛することを知っています。聖マリアだけが愛の衝動に従い、最高なる神を最高なる神として愛しました。聖マリアの愛は、全人類と全天使の総合よりも重いのです。聖マリアだけが愛なる神の精髄を知っていますから、十分な完全さで、理性的である人類の全能力を超えて神を模倣します。聖マリアの愛は、神の御子の御母としての聖マリアに与えられた素晴らしさと同じく偉大です。聖マリアの愛に応じて、永遠の御父なる神は聖マリアのため、そして全世界の救いのため、至聖なる御子を生贄にしました。聖霊が聖マリアを希望の母と呼ぶように、美しい愛の母と呼びます。この意味は、聖マリアが私たちの愛する主、救い主であるキリストの御母であることです。主は人間のなかで最も美しく、人間として欠点も汚点もなく、神と交流する恩寵の美が不足していません(一ペトロ二・二十二)。聖マリアは愛の御母として地上の私たちに愛をもたらし、私たちのために愛を育て、私たちに愛を教えてくれました。全ての聖人は聖マリアの愛を知れば知るほど愛を実行します。全ての聖人は、聖マリアの愛をもっと正確に模倣しようとします。聖マリアの愛の源は、聖マリアの支援な知識と知恵です。それは頂いた信仰と希望、聖霊の賜物である知力と知恵、そして神の幻視に由来しています。このようにして聖マリアは神を神のために愛し、人間を神のために愛し、最も激しい熱望を持って愛徳を実践することを学びました。神は、元后の意志には何の妨げや不注意、無知、不完全、沈滞がないことを御存じでした。神の御力が聖マリアの中で十分に働きました。「汝の神を全心、全霊、全力で愛せよ」という偉大な掟は聖マリアだけが実行できました。この掟は聖マリアに与えられました。他の人間はこの世にいる間、そして神にお会いするまでこの掟を全うすることはできません。聖マリアが私たちの時代に代わってこの掟を頂き、実行したのです。ああ、最も甘美にして最も美しき愛の御母!創造されたことのない愛が御身を造り、太陽のように輝くように選びました。御身は最も美しく、最も完全な愛をお持ちです(雅歌六・九)。エワの惨めな子供である私たちは、この太陽に照らされ、燃え、愛により再生し、愛、愛情、愛徳について教えて頂くようにお願いしましょう。聖マリアは教えて下さいます。愛は愛される者により喜び、満足することです。愛情は愛される者を同類の他者より選び分けることです。そして愛徳はこれら二者に加え、愛される者の善良さに敬服することです。聖マリアから私たちは、神のために愛し、全心で神に満足し、神でない全てから神のための場所を分離すること、他のこととごちゃ混ぜにすると神への愛が減ることを学びます。神に比べたら、金も貴金属・宝石類は汚らわしく見えます。至聖なるマリアの愛は天地の隅々に及んでいます。

元后の言葉  私の娘よ、あなたが私の後を追って、あらゆる徳行において私を見倣うよう母として希望します。愛徳はあらゆる徳の終局目標で冠です。信仰と理性の燈を灯し、無限の価値のあるこの貨幣(ドグマ)を見つけなさい(ルカ十五・八)。見つけたあとは、この世のものであり、朽ちるもの全てを忘れ、嫌いなさい。この限りない価値ある思考と目的は、何ものにもまして神のお喜びなるものです。神を完全に愛するために、次のような自己反省をしなさい。自分はいつも神を考えているか、神のみ旨と御勧告をおろそかにしていないか、神の言いつけに背くことを恐れているか、背いたあと直ちにお詫びをしたか、神がのけものにされているのを悲しむか、神が皆に尊まれているのを喜ぶか、神の愛についていつも話すことを望み、喜ぶか、神のお側にいることを喜ぶか、神を忘れ、神のお側にいないことを嘆くか、神があ愛することを愛するか、神がお嫌いになることを嫌うか、神の恩寵にあらゆる人たちを引き寄せたいか、確信をもって祈るか、神の恩恵を感謝するか、神の恩恵を粗末にせず神の名誉と光栄のために善用しているか、自分のあらゆる情欲の火を消そうとしているか、情欲は自分の徳行への鼓舞を遅らせていることを考えなさい。この掟の順序は、第一番目に、あらゆる人間を越えて神を愛すること、第二番目は自分自身を資すること、第三番目は自分の隣人を愛することです。よく里香氏、ごまかさず、手を抜かず、忘れず、けちることなく、怠らず、心から神を愛しなさい。神を愛するものは神の善を愛します。その次に隣人を愛し、敵味方の区別をしなくなります。神の顕れを他の人々に見るようになります。その人たちが親しかろうとなかろうと、恩恵者であろうと迫害者であろうと、その人たちの中に神の善を見つけるようになります。