祈りの偉大な力 第2部3章

第三章 神は望むすべての人に、祈る恩恵をくださる。祈るために必要なのは間に合う(充足的)恩恵だけであり、それは全ての人に与えられている。

祈りの恩恵は全ての人に与えられており、そのための新たな恩恵は必要ないこと、また祈ることによって掟を守り、救いの実現に必要な助けをいただくことができる。〈新たな恩恵が必要ない〉とは、意志に肉体的あるいは精神的な衝撃を与えて、祈ることへ導く恩恵がなくても、祈ることができる恩恵が全ての人に与えられているということである。誰もが祈ることによって、さらに困難な義務の遂行に必要などんな恩恵も頂くことができる。誰もが他の助けを必要とはせずに、通常の恩恵だけで祈ることができる。そうでなければ、祈り始めるための直接的な力を得るには、他の力が必要になり、その別の力を得るためには、また別の力が必要となる。こうして無限に繰り返される。そうなれば、自らの救いの実現に協力する力をもつ人はいないことになる。神は不可能なことをお命じにならない。簡単なこと或いはそれほど完全でないことをするためには、私たちは神により大きな助けを願わなくても果たせる。しかし難しい行為を成し遂げるためには神に特別な援助をお願いしなければならない。祈りを活用するか否かは私たち次第である。だから祈らない人は、弁解の余地がない。私たちは、祈るための恩恵には恵まれており、他の助けがなくてその恩恵によって、行動するか、行動するための大きな助けをいただける。掟を守る恩恵は祈りの果実であり、神は祈りの賜物を、掟を課すときに同時にくださるのである。祈る行為の恩恵は、祈りを活用したいと望むすべての人に与えられる。だから堅忍することは誰にでもできる。最終堅忍を得られるためには絶えず祈らなければならない。祈祷と信心の賜物は、天啓に従いたいと心から望む全ての人に豊かに与えられるのであるから、堅忍する力は私たちにある。
善を行うための助けは誰にも与えられているか、少なくとも祈りの恩恵が誰にも与えられていて、その祈りによって善を行うためのさらに大きな援助をいただける。このことは、特別にすぐれた恩恵がなくても、誰もが共通に受けている恩恵(祈りなどの)によって簡単な行為をすることができることを意味する。そして誰もが祈りによって、困難なことを果たす力をいただくことができるのである。正義と善の神は、不可能なことをお命じにならない。そのことは、わたしたちが簡単なことは何をすべきか。困難な状況にあうときには、何をお願いすべきかを教えてくれる。神の掟を守ることは、少なくとも祈りを通して、誰にも可能なのである。祈ることで、掟を守るために必要なさらに大きな助けをいただくからである。主は、祈りを媒介に、全ての人に善を行うための助力の恩恵を与えられ、こうして、誰もが掟を守ることができるようになさるのである。神はあなたができることをするように、あなたができないことはお願いするように告げられている。弱く、他のどんな助けにも恵まれない私たちは、謙遜に神の憐れみによりすがるようにと神は望まれた。主が私たちの力を越える掟を科されたのは、私たちが祈りによって主に頼り、それを果たす力をいただくためである。人間が神の恩恵の助けを願い求めないときには、罪が増し加わるようにと掟が導入された。そして人が神の名を呼ぶときに、次のことが起こる。つまり罪の増し加わった所に、恵みも増し加わるのである。自由がこの地上で私たちに与えられているのは、私たちが望むときに正しいことをするためでなく、私たちが嘆願の祈りによって、神の方に向かうためなのである。主なる神が正しいことをするのを可能にしてくださるだろう。私たちが望むなら、私たちは掟を守れる。善を行うときは、その力をくださる神に感謝しよう。善を行うことができない時は、それをする力をくださいと祈ろう。私たちの側から障害をもうけない限り、救いに必要なものを誰にもくださることが神のみ旨である。だから「祈りなさい、祈りなさい、決して祈るのを止めてはなりません」。祈るならば、あなたの救いは確実である。しかし祈りを止めるならば、あなたの滅びは確実である。